月刊敬和新聞

2011年4月号より「静かに輝く人になる - 44回生入学礼拝より-」

小西二巳夫(校長)

神さまの愛によって入学した44回生
  ・・・みなさんが選ばれて敬和学園に入学してきたのは、ただ一つ、神さまの愛によるのです。それでは、神さまに選ばれ敬和学園に入学したみなさんに、どのような学校生活を過ごしてほしいかをお話しします。そこで、どうしても触れなければならないのは3月11日に起こった東日本大震災のことです。この大震災によって命を失った人、行方不明の人が3万に以上になり、その数は今も増え続けています。避難所生活を強いられている人が17万人以上います。敬和学園の在校生、卒業生にも被災をした人たち、津波によって家を流された人たちがいます。家族を奪われた人たちの、被災地に生きる人たちの、避難生活を強いられている人たちの、そこにある悲しみと痛みはたやすくに言葉にできません。日に日に事態が深刻化していく福島の原発事故によって、住んでいるところから離れなければならない人たちはもちろん日本中の人が絶望的な思いにさせられます。原発事故によって、日本は滅亡に向かって走り始めたという人がいますが、それを簡単に否定できない、明日の希望が持てない状況に今わたしたちは置かれています。そうした社会状況のもとで、みなさんは敬和学園で高校生活を始めることになるのです。

マルチン・ルターの言葉
 3月11日の大震災以降、特に原発事故のニュースに絶望的な気持ちさせられる中で、わたしが自分に何度も言い聞かせている言葉があります。それはマルチンルターの「たとえ明日世界が滅びようとも、今日わたしはリンゴの木を植える」という言葉です。世界がもうすぐ滅びるとしたら、いくらリンゴの木を植えても実を収穫することはできません。ある意味それはムダなことです。だから何もしなくていいのか。そうではありません。もう何もかもだめだと、すべて投げ出したくなるその時に、なお一日一日を大切にする、そのことを通して人は喜びと救いを見つけることができるということです。今、わたしたちに何より求められているのは、周りの人から賞賛を受けるような大きな何かをすることではなく、一日一日の生活を通して、やるべきことにじっくり取り組むとの思いをしっかり持つことです。そして、この生きる姿勢は敬和学園が神様に選ばれて入学をしてきた人たちに願い求め続けてきたことでもあるのです。

静かに輝く41回生
 44回生となったみなさんには、何よりもまず3年間の敬和生活に、せかずあわてずじっくり取り組んでほしいのです。今から両サイドのスクリーンで写真をお見せします。登場するのは、3月の初めに卒業していった41回生です。写真は、彼らがふだんの学校生活で見せてくれる姿を集めたものです。・・・写真を通して見る彼らの表情を一言で表すと何となるでしょうか。それは「静かに輝いている」です。静かに輝く、じつにすてきな言葉、すてきな表情です。静かに輝いて見えるのは内側が輝いているからです。静かに輝くとは自分の人生にしっかり生きていける人になるということでもあります。しかし写真の人たちは最初から輝いていたのではありません。課題を抱えながら敬和学園に入学してきた人たちがいます。また、学校生活がすべて順調であったわけではありません。自ら悩み周囲の人を悩ませたのです。それでも敬和学園での一日一日にじっくり取り組み、じっくり学び、それを3年間続けることによって、ある人は出会いを通して、ある人は気が付いたらいつの間にか内面的な輝きを持つ人になっていたのです。そして、それはそのまま3年後のみなさんが持つことになる輝きです。

44回生となった人の使命
 わたしたちを東日本大震災と原発事故によって引き起こされた状況はたいへん厳しいものです。これからさらに深刻になっていくと思われます。逆に、だからこそ、一日一日の大切さをこれまで以上に実感できるのです。たいへんだからこそ、争うのではなく、共に助け合いながら生きることができるようになるのです。厳しいからこそ、小さな喜びを分かち合うことができるのです。さらに、みなさんが敬和学園での学びと生活を通して「静かな輝き」を持つ人になることが、苦しみと悲しみを抱えて生きている人たち、隣人の希望になるのです。そのように考える時、みなさんが敬和学園の一日一日にしっかり取り組むことが、みなさんに与えられた神様からの使命だということに気づかされます。神さまはそのために、みなさんを44回生として選んでくださったのです。その神様の愛に応えるためにも、隣人と共に生きるためにも充実した高校生活にしていきましょう。