月刊敬和新聞

2011年10月号より「あなたも敬和生活にはまってみませんか」

小西二巳夫(校長)

ライフ   ― いのちをつなぐ物語 ―
 「ライフ いのちをつなぐ物語」という映画を観ました。この映画は動物たちの様々な生き方に焦点を当てて作られています。ですから、零下30度を下回る極限の寒さの中で子育てをするアザラシの姿から温かさが伝わってきます。サバンナで水牛をじっと狙っているコモドドラゴンの姿は暑さを忘れさせてくれます。見終わってあらためて思ったことは、動物が地球上に一緒の暮らしている人間の仲間だということであり、大きな動物であろうと小さな生き物であろうと、一つ一つの命はすべて重く、その命には存在の意味があり、そして命と命はさまざまな形でつながっているということでした。それを実感できるのは、この映画が動物や生き物と同じ目線に立って撮影されているからだと思います。それを監督のマーサ・ホームズは次のように語っています。「地球は、広大で膨大なジグソーパズルのようなもので、私たちはそのワンピースにしかすぎません」。

OMホールのコッパ石
 学校のチャペルの中にOMホールという部屋があります。初代校長の太田先生と二代目校長のモス先生の頭文字をとって名付けられた場所です。ここには太田先生の柔道着や自筆の原稿が展示されていますが、何となく場違いな感じのものが一つ展示されています。それは片手で持つには少し大き過ぎる岩石です。プレートには「コッパ石」とだけ書かれています。コッパ石とは石切場で石を切り出す際に割れたかけらのことだそうです。ふつうは役に立たないものとして集められ捨てられます。それが敬和学園のチャペルになぜ陳列してあるかです。かつて太田先生は家庭の事情から進学できず、石切場で働かなければなりませんでした。その石切り場から持ってきたのがチャペルにある岩石です。太田先生の進学が許されず石切場で流した汗と悔し涙が、時を経て敬和学園の一人ひとりを大切にする教育につながっていくのです。そこで誰一人(ワンピース)として不必要な人はいないことを、一人ひとりにはその人(ワンピース)だけに与えられた存在の意味と役割があることを、忘れないために敬和学園の中心であるチャペルにコッパ石を置いているのです。

たかがワンピース、されどワンピース
 映画ライフとコッパ石が教えてくれるのは「たかがワンピース、されどワンピース」です。その人にどれほど才能があっても、優秀だと言われたとしても、決して「ツーピース」にはなれません。逆に誰かと比べて自分はだめな人間かも知れない、生きている意味はないと思ったとしても、それも一つの思い込みなのです。ジグソーパズルでは、ワンピースの自分だけが単独で存在していても意味も価値もありません。他のいくつものピースと接した時、初めて自分の存在の大切さが明らかになります。

敬和生活にはまりました
 しばらく前の休日の午後、近々の卒業生三人が訪ねてきてくれました。在校中はお世話になりましたと、わざわざお土産にかにを買って持ってきてくれました。「まあ、コーヒーでも」ということで、しばらく愉快な時間を過ごすことになりました。彼らは今自分が通っている大学や専門学校で取り組んでいることを、実に楽しそうに語ってくれました。話題はやがて高校時代のことになりました。授業のこと、行事のことをこれもまたいきいきと語ってくれたのですが、一人が敬和学園の三年間を思い出しながら、ふっと言いました。「結局、僕は敬和生活にはまったんです。自分を敬和にはめようとしたその時から楽しくなったんです」。ジグソーパズルをする際の動作、それは「はめる」です。一つ一つのピースをはめ込んでいくことです。はめ込むことがジグソーパズルの面白さです。そこで自分自身をワンピースと考えたら、それは「はまる」という表現になります。「~にはまる」はあまりいい意味で使いませんが、自分をワンピースと考え、敬和学園での学校生活を考えた時、とても意味ある言葉になります。自分の存在の大切さを自分でわかるためには、その場所にはめ込んでみることです。はめ込んで初めてわかる喜びと楽しさがたくさんあります。ですから敬和学園の三年間にはわくわく感があるのです。「敬和生活にはまってください。敬和学園の三年間に自分をはめ込んでみてください」。そして敬和学園の三年間で自分の内側にあるたくさんのピース(能力、個性、他者を生かす力)を引き出して下さい。