月刊敬和新聞

2013年7月号より「『メメント・モリ カルペ・ディエム (死を覚えて 今日を生きよ)』」

小西二巳夫(校長)

週刊○○は明日発売です
 1958年に「週刊新潮」が創刊されました。私の年代の、しかも関西の人に「週刊新潮は?」と振りますと、たいてい「明日発売です」、「ただいま発売中です」と続けてくれます。ノリのいい人はさらに「夕焼け小焼け」を口ずさんでくれます。それは、週刊新潮が創刊されて以来テレビなどのCMで、子どもの声で「週刊新潮は明日発売です」と呼びかけ、続けて「夕焼け小焼け」のメロディーを流してきたからです。まさに〝刷り込み〟です。表紙を描いていたのは画家の谷内六郎さんで、この人の描く日本の原風景は亡くなるまで25年間続きました。17年前からは成瀬政博さんが描いています。成瀬さんの絵はオシャレで、必ず描かれるのが、つばの広い帽子を被った少年と小さな猫です。長野県の安曇野には成瀬さん個人の美術館があって、これまで描いた原画が季節ごとに入れ替えながら展示してあります。絵の脇には「表紙の言葉」がついていて、ハッとさせられるものが多くあります。

メメント・モリ カルぺ・ディエム
 キリスト教に触れる絵もしばしば描かれます。たとえば皮をナイフで剥かれている最中の赤いリンゴが描かれたものがあります。皮は帯状になっていて、内側に文字が見えます。「メメント・モリ」というラテン語です。「表紙の言葉」で、成瀬さんは聖書がアダムとエバがリンゴを食べて、エデンの園から追い出された話は、神様が人を苦しめるためではなく、生きる喜びを与えるためであったはずと書いています。リンゴの皮にメメント・モリと記したのは、この言葉の持っている意味を伝えたかったからだと思います。メメント・モリは中世の修道院でのあいさつの言葉でした。日本語にすると「死を覚えて」となります。えらく重たい意味を持つ言葉のようですが、もともとはこの後に「カルぺ・ディエム」(その日一日の花を摘め、今を生きよ)と続いていたのです。それがいつの間にか省略されてしまいました。

「おはよう」の一言の重さ
 私たちも朝起きてから、顔を合わせる家族や同級生、近所の人に「おはよう」といいます。「おはよう」ほど多く使われる言葉はないでしょう。何気なく使っていますが、メメント・モリとは違う意味で重みがあります。「おはよう」の一言があるかないかで、人間関係がよくなったり悪くなったりします。「おはよう」と声をかけたにもかかわらず、相手が無言だったら気分はよくありません。そのことで腹を立てる人や考え込む人がいます。無視されたのは私が昨日何か言ったからだろうかと考え込み、次の日思い切って尋ねてみたら、声をかけられたことやすれ違ったことさえ知らなかっただけということがあります。また、その人は家族のことで思い悩んでいて、周りが見えなかったのかもしれません。「おはよう」との声をかけても、相手が無言の場合は、何かの事情があってのこと、と思い巡らす想像力と度量が持てるようになったら、それだけで人間として大きくなることができます。

生きる希望は全校礼拝と飛び交う 「おはよう」から生み出される
 それは聖書のことを専門的に学び、人はどのように生きたらいいかを、真剣に考える生活をしていた修道院の人たちも同じであったのです。ですから、朝起きてから夜寝るまでの間に、出会った人とは、どのような事情があったとしても、そして同じ人であっても何度でも必ずメメント・モリとあいさつを交わしたのです。今日一日を元気に過ごそう、楽しい一日を過ごしたいと、いうときに、「死ぬことを忘れないで」というのはふさわしくないように思いますが、人の生き死には人に決められるものではありません。そこには神様の意志があります。つまり相手にメメント・モリというのは、今日一日神様の守りがあなたと私の上にありますように、という気持ちも込められていたのです。さらに「神様が与えてくださった命と生活に、謙虚な気持ちをもって精いっぱい取り組みましょう」、との思いを込めたのです。「おはよう」もまさにメメント・モリと同じような意味と力を持つ言葉です。お互いの「おはよう」が、それぞれの事情を超えて、今日一日を始めようとの気持ちを生み出します。敬和学園の一日が希望にあふれたものになっているとしたら、それは毎朝続けられてきた全校礼拝とあちこちで飛び交わされる「おはよう」に満ちているからです。