のぞみ寮通信

みぎわ館

2015/06/10

みぎわ館 第220号(5月26日)

久々の訪問

 先日、久しぶりにみぎわ館に参上させていただきました。内心ドキドキしていたんです。ドキドキみぎわ館の玄関に入り、礼拝ギリギリに行こうと思っていたのに、時間前に入りすぎて、私がホールに入ってもその後続々とみぎわっ子たちがやってくるではありませんか。

 でも、私のドキドキ感はすぐになくなりました。はじめは「エ!」って感じでおどろいていましたが、いろんな人が声をかけてくれました。普段、友愛館では声をかけてくれない子も声をかけてくれます。そして、何よりの驚きは、館にいるときのみんなの顔が友愛館で全体でいるときの顔と全く違うことです。

 その顔を見ていると、見ている私が安心させられました。笑顔でリラックスしていてその表情から、館の雰囲気がすぐに感じ取れました。あったかい雰囲気で、ここにいるみぎわっ子たちには、ここがホームなんだと感じとれたんです。正直、女子寮って言ったら、もっとピリピリしているんだと思ったんですが、全然違いまました。むしろ、全く逆の空気を感じたんです。

 その空気のおかげで、一緒に参上した会田先生も、緊張していたはずなんですが、すごくリラックスしてみんなと接することができていたと思います。

 さて、そうこうしていると礼拝が始まりました。あたたかい空気の漂う中で、始まった奏楽、讃美歌、お話。どれをとっても驚きです。男子寮とやっていることは同じでも、みぎわ館の良さを感じることのできる礼拝でした。何よりも、お話のレベルの高さ。その日話してくれたMさんが、きっちり準備をして話してくれたことがわかります。

 男子寮では礼拝のお話にアゲイン制度を導入しています。礼拝後に話の内容をそこにいた全員に問います。「アゲインだと思う人?」その問いかけで、手があがるともう一度お話をするという制度です。この制度を導入してから、かなり内容のレベルはアップしましたが、Mさんの話には到底及びません。しかも、前日の大望館の礼拝ではアゲインが宣告されたばかりと来たもんです。その話の翌日ですから、その差を余計に感じてしまったんです。男子寮の礼拝も自信を持って「良い礼拝です」と言い切ることが出来ますが、みぎわの礼拝を受け、まだまだ満足していてはいけない。そう感じさせられました。ちょっと反省です。

 さて、最後になりますが、今回の訪問で何よりの収穫は、「すみません、ありがとうございます。」と「ハイ!お疲れ様です。」の使い分けがあるということです。これまで私は女子寮には「すみません、ありがとうございます」しか存在していないと思っていました。最後の連絡で、どちらの言葉を出したらいいか、戸惑う皆さんの姿に、ちょっとかわいらしさを感じてしまった私は、間違いでしょうか?

 チャンスがあればまたまた参上したいと思いますので、その時は温かく迎え入れてください。と、ついでに、友愛館でもホームでいるときのように声をいっぱいかけてくれたら嬉しいんですけれど・・・。(澤野)

 

 

 

初めての避難訓練

 今年度初めての避難訓練が5月13日(水)に行なわれました。春の訓練は寮生に予告をして取り組みます。日にちも時間も公表しての取り組みです。2・3年生は何度目かの訓練ですが、1年生にとっては初めての避難訓練。告知された時、既にドキドキ・ザワザワしていたようでした。

 当日、本番。20時に信田寮長による避難訓練開始宣言がありました。「慌てなくていいから、1次避難場所に移動しなさい~!」と館内には榎本先生の声が響き渡ります。一時避難場所に先回りしていた私は、館外に出てきたみぎわっ子に「部屋ごとに並んで~!」と声を張り上げて指示を出すつもりでいました。しかし、そんな私の出る幕がないほどの2・3年生の活躍ぶり!だったのです。

 1年生を率いて外に出るなり、「はい、ここ1室」「こっちは15室だよ!」と3年生が大きく手を挙げて指示をだし、2年生が1年生を誘導し、各部屋そろったところからスッと座る……なんていう素晴らしくスムーズな移動ができていたのです。点呼の返事も3年生が大きな声で「はい!」と言ってくれるからそのあとに続く1・2年生も自然と大きな声になります。顔もしっかり教師のほうに向けてくれるから、名前と顔と声と3つ揃えての点呼も確実に行えました。誰一人としてうろたえることない、きっちりした訓練が行えました。みんな、すごい!

 寮生活ではいろんな場面で先輩がお手本となり、先輩が後輩を導き、不安なく確実に歩めるようにと配慮してくれます。困っているのにほったらかし……なんてことが全くありません。いつも、後輩が、仲間が歩めるようにと知恵も力も惜しむことなくかしてくれます。それがのぞみ寮生です。1年生ののぞみ寮生活も2か月目に突入しています。とは言え、まだまだ2か月。信頼すること自体に不安を感じる人もいるとは思います。でも、ここなら大丈夫。そんな思いを持てるきっかけの一つに今回の避難訓練もなったのではないでしょうか。共に暮らす仲間と支え合って、元気に事故なく毎日歩んでいってほしいと思います。(森口)

 

 

 

礼拝の話                           

2年 M.S

  今日は、私が今まで育ってきた中国と日本とオーストラリアの話をしたいと思います。

 私は小学生の時、ずっと中国に住んでいました。そして中学生からはオーストラリアに住んで、そして、今、日本に来ました。中国はひとクラス60人以上います。そして10クラスもあります。人数がすごく多いです。早朝7時には、学校に行き、夜5時に学校が終わります。部活っていう物はありませんでした。中国は人数が多いため、大学へ行ったとしても、仕事がない人は一杯います。だからみんな小さな頃から教育がすごく厳しいです。

 私は小学生の時、1週間に10個位の塾に行っていました。英語、数学、習字、国語、ピアノ、カラテ、歌の練習、バトミントン、美術、ダンス等、色んな事を習いました。土曜日、日曜にはあんまり遊ぶ時間はありませんでした。私はずっとこれが普通のことだと思っていました。

 そして中学校に入り、私一人の旅が始まりました。一人でオーストラリアの生活を始まったのです。オーストラリアの学校は朝9時に学校へ行き、午後3時頃に終わります。ランチは11時30分から1時までです。授業はものすごくやさしいです。街はすごく広いです。真っ直ぐ行くとナチュラルパークがあります。学校では教科書はなく、宿題もありません。学校は遊ぶのが中心の生活をしていました。服装は、みんな私服で、ピアス、ハイヒールで普通に登校していました。すごく楽しかったです。良い思い出です。 そして、今、japanに来ました。日本の第一印象は、すごくキレイです。そしてびっくりした事もありました。例えば、言葉の違いでは日本語の「娘」は「娘」という意味ですが、中国では「お母さん」という意味です。食文化では日本は餃子はラーメンと一緒に食べますが、中国では餃子を食べる時は他には何にも食べないです。餃子は主食です。また、日本に来て初めて制服というものを知りました。初めて見ました。色んな事を経験して色んな文化を知りました。これからは2年生になったので、進路をそろそろ決める時期です。私はすごくアメリカの大学に行きたいです。とてもお医者さんになりたいです。これからこの夢に向かって、頑張りたいと思います。