のぞみ寮通信

のぞみ通信

2010/02/16

のぞみ通信 No.158(2月16日)

今日あるは主の恵み 
                                

寮長 信田 智

 

  ほめたたえよう、主のみめぐみ。今日まで旅路を 主は守られた。 
世界の民よ、たたえうたおう、「あがないの主に み栄あれ」と。(讃美歌21-464)

 
 40回生の寮生一人一人の歩みを振り返ってみるとき、この讃美歌がふと、口をついて出てきた。何人かの仲間が、苦しい選択をして寮を去っていった中で、ぎりぎりの所で踏みとどまり、卒業の時を迎える事が出来た仲間も何人かいた。不思議な守りと導きがあったとしか思えない。もちろん順調に来たように見える一人一人も、実に多くの悩みや行き詰まりを経験し、様々な葛藤を通して卒業の時を迎えたのである。

 
 地元の友達との関係が切れず、休みのたびに生活を狂わせてくる。親の言う事も聞かず、両親を悲しませる結果になる。親も本人も希望を失いかけたそのとき、学年の教師の働きかけをきっかけに、もう一度チャンスが与えられた。今まで中途半端な反省にとどまって、何とかすり抜けようとしてきたその姿勢を崩され、真の悔改めに導かれ、曇りのない心に新生した。真の悔改めに立てない者は、後ろめたい思いを引きずったまま、敬和生活を続けることになる。その差は自ずと現れてくる。

 
 ある人は、敬和が嫌だ、寮がいやだとダダをこね、辞めたい、辞めたいとわめき、好き勝手な振る舞いをし、何度も指導を受け、ついに敬和を去らなければならない事態になったとき、最後の最後に本心を問われ、敬和から離れられず、もう一度チャンスを与えられる事になった。そのきっかけは、自分が堕落しているその場で、生き生きと輝いて寮生活をしている仲間の生き方に心を動かされたのである。

 
 また、頑なに心を閉ざし、徹底的に指導を拒みながら、なお心は敬和にある事が判ったとき、時間を与えられて、寮生活の中で解きほぐされて、卒業の時を迎える事のできた人もいる。
 親との葛藤の中で心が傷つき、親子して苦しんだ長い期間を経て、その修復が図られ、生き生きと輝いて今がある人もいる。もちろん自ら問題を克服し、道を切り開いていった人達も沢山いる。皆、逞しく立派に成長してくれた。それは素晴らしい自分探しの旅だった。
一人一人様々なドラマがあって、主の恵みの中に今日を迎えている。離れなくて良かった。離さなくて良かったとしみじみ思う。

 

 

 

 

 

 

寮生リレー通信  (第 76 回)

 

 

<めぐみ館>

 

「スキーを好きになりました。」   K.N.(1年:新潟県胎内市)
 私が最後にスキーをしたのは小学校6年生。それ以来でした。約3年ぶりのスキー場、スキー板、スキー靴。何もかもが久しぶりすぎて、何だか、物凄く焦ってしまいました。でもどこかで、ウキウキしている自分もいて、ドキドキと、ウキウキの中スキー授業が始まりました。リフトに乗り、上まで行きました。すべってみたところ、まだ足が安定していませんでしたが、楽しくすべる事が出来ました。「なーんだ、平気じゃん」って思ったら、近くにいた人がコケて、「あっ、気をつけなきゃ!!」と思いました。クラス別にされて、白幡先生の班になりました。3日間で、色んな技?を教えてもらいました。最終日には、最初よりも、ターンも上手になったし、八の字から板を揃えられるようになりました。いっぱい転んだけど、スキー授業は楽しかったです。スキー授業の中で、あまりしゃべることがなかった子と沢山話をして、人とのつながりが増えたのではないかなーと、思います。

 

 

 

<光風館>

 

「笑顔があふれた鍋夕食会」     M.M.(2年:新潟県村上市)
1年生が「スキー教室」に出掛け、2年生だけになった初日の夜、毎年恒例の鍋夕食会が開かれました。僕が、この鍋夕食会に参加して最初に思ったことは、「すごい量の具材だなあ」、ということでした。肉類や魚介類、野菜、それにうどんもありました。コンロの上に置かれた鍋に具材を入れて、煮立つのを待っている間、私は、肉をたくさん取りたいと思い、ずっと箸を握りしめていました。待つこと十数分、鍋が煮立ち、蓋をあけると一斉に箸が伸びました。一瞬のうちに肉類が消え去り、残ったのは野菜ばかりでした…。それでも、僕はたらふく鍋料理を食べることができました。食後のデザートには、アイスクリームつきの巨大なケーキが出てきました。すでにお腹はいっぱいでしたが、半分死にそうになりながら完食しました。2年生だけで鍋を囲んだ夕食会、皆の顔には笑顔があふれていました。「また、こういう機会があったらいいなあ」と思う素敵な行事でした。

 

 

 

<みぎわ館>

 

「将来の夢」           A.J.(2年:新潟県長岡市)
 皆さんこんばんは。今日も1日、お疲れ様でした。お腹一杯ですね。幸せなことです。さて、今日から3日間の進路デイズにちなんで、礼拝のお話も明日のK君のお話と2本立てで、特集を組んでお送りします。その名もズバリ、『将来の夢✰特集』です。第一回目の今日は、私、みぎわ館のAがお話させていただきます。よろしくお願いいたします。

 
 私の将来の夢は、聖書科の教師になることです。この夢はきっと敬和に来れなかったら、思いつきもしなかったでしょう。と,いいますのも、私は敬和に来て初めてキリスト教と自分自身が向き合えたと思うからです。私の両親はクリスチャンなので、私は母のお腹にいるときから教会に行っていました。小さい頃には親の意志で幼児洗礼を受けましたし、日曜日に家族に連れられて教会へ行くという行為は、私の中で特に何の疑問もない、習慣のようなものになっていました。そんな私も中学3年となり、母の母校であるここ敬和への進学が許されました。寮生となり、それまで毎週、教会に連れて行ってくれた家族と離れて暮らすようになったので、教会に連れられていくことが習慣になっていた生活から、自分の意志を持たないと教会に行かない生活に変わりました。それでも行ける週はなるべく教会に行ったり、聖書の授業や毎朝・夕の礼拝、祈祷会などに出席したりする事を通して、ある時気付きました。私の考え方のもとは両親の考え方であり、その両親の考え方の基盤はキリスト教の教えなのだと言う事に、つまり私の軸はキリスト教だということに。だから、もっとしっかりと神様とつながっていたいと、信仰告白を決心した時、ようやく私はキリスト教と向き合えたのだと思います。そして私は思いました。1人でも多くの若者に、若いうちにキリスト教に出会ってほしい、それが平和や幸せや愛を生むのではないだろうか。そのために何か私もお手伝いができたらと。こうして私は聖書科の教師になる、という夢を持ったのです。幸いにも私の周りには先輩、つまり聖書科の先生が何人もいらっしゃいます。この恵まれた環境を活かして今のうちに色々なことの相談にのっていただいたり、自分でも調査したりして夢の実現に向けて、見通しを持って今の自分に出来る事を、すべき事を実行して行きたいです。みなさんの夢は何ですか?もう具体的に決まっている方も、まだ決定していないという方も、今、自分が何を考えているのか、周りの人と語り合うというのも、自分の考えを整理したり、視野を広げたりするのに、いいと思います。

 
 こんなにも、進路や夢について考えられるのも、学生のうちがある程度のチャンスなのではないかと思います。進路デイズも残り2日、将来のために有意義なものになるように、しっかり取り組んで行きたいものです。明日も頑張りましょう。これでお話を終わります。聞いてくださってありがとうございました。

(2月3日 2年生の夕礼拝にて)

 

 

 

 

<大望館>

 

「僕の将来の夢」           K.H(2年:北海道旭川市)
 みなさんこんばんは。大望館2年のK.H.です。今日は進路デーにちなんで、引き続き「将来の夢」についてお話したいと思います。僕の将来の夢は、児童福祉の分野で社会福祉士として働く事です。難しいようですが要は青少年のために学校や家庭と協力して、支援していこうという仕事です。そもそも僕がその世界になぜ興味を持ち始めたかといえば、敬和での寮生活が大きく関わっています。一つ屋根の下で暮らす寮生活の中で、この2年、実に多くの人と接する機会がありました。友人関係で悩む人、勉強や将来のことで悩む人、本当に多くの悩みを目の当たりにしてきました。その中で、一つ気になっている事がありました。それは、なぜこんなにもみんなつらそうなのか?ということです。悩みなんてそもそも、解決策が見つからないから発生する。これは思春期の僕らがぶつかる壁だとも思います。しかし今の社会には、親からの虐待や貧困の問題、それに加え学校でのイジメなど、実に社会的な問題が増えています。そして、将来が決まってない僕らがその問題を背負って生きるのは、少し酷な話だとも思います。僕はそんな十代の悩みを少しでも軽くしてあげたいと思うようになったのです。

 
 ここで話がそれますが、実は僕も人並みに悩んでいます。寮での勉強のことや、友人とギクシャクすることなど、いつもどこかに重荷をしょっているような感じがしています。あんまりこれを悟られたくないのですが、親や親しい人と話すうち、いつもポロッともれてしまいます。でもそれが恥ずかしい反面、不思議とホッとしたりもします。僕はこの安心感を未来の十代にも味あわせてあげたいのだと思います。
人が生きていくことは、一体何なんでしょうか?そもそも人は食べれば生きられるし、他人をかまわずとも生きて行けます。ではなぜそうしないのか?多分それは他人に尽くすことの喜びは、自分が何かを達成することと同様に、大きな達成感があるからだと思います。おそらく僕は、その事の素晴らしさを知ってしまったのだと思います。 

 
将来の夢、これは今の僕らには、すぐ導き出せるものではないと思います。でも僕らはまだ17歳です。人生をおそらく4分の1も生きていません。だから進路というのは、もう少し気楽に考えてもいいのかもしれません。自分の進みたい方向さえ見すえていれば、いつか必ず自分のやりたいことが見つかるはずです。進路は、一生が進路なのだと思います。僕の好きな言葉に「使命の風が吹く」というのがあります。これはある牧師の言葉なのですが、自分の進む方向を目指していれば、神様が時と場所を選んで、背中を押してくれるという意味です。いつか僕にも「使命の風』が吹くことを祈って、これからも生きていこうと思います。 

(2月4日 2年生の夕礼拝にて)

 

 

 

 

 

<スタッフから一言>

 

                 
3年生が自宅学習期間に入り、のぞみ寮は1・2年生だけでの生活がスタートしています。なんと3年生の頼りがいのあったこと!と、改めて3年生の偉大さを、成長の大きさを実感しています。そして同時に、嬉しい事に、2年生の顔が行動が引き締まってきたように感じられます。「何か1・2年生の雰囲気変わったね。しっかりしたかも・・・。」これは10日ぶりに寮にやってきた3年生の一言です。たった10日、されど10日。寮生たちは日々成長しています。私たち寮スタッフも、負けずに一緒になって人間的成長を目指していきたいと思います。

 
2月はイベント盛りだくさんの月です。1年生のスキー教室に2年生の鍋パーティー、バレンタインデーに部屋替え。寮生活・学校生活、そして恋も、大いにチャレンジして楽しんで青春を満喫して欲しいと思います。それぞれが成長の糧となることを祈って!

       
 女子寮 森口みち子