のぞみ寮通信

みぎわ館

2010/02/15

みぎわ館 第31号(2月15日)

<みぎわFamily、28名でスタートです!>

 

 
 2月7日(日)入寮礼拝が行われました。

入寮したのは、昨年秋に行われた寮体験プログラム(以下寮体験)に参加し、1週間をみぎわ館で過ごしたI.Y.さんです。寮体験以降、みぎわ館の1年生とは仲良くなっていたYちゃん。寮生としてみぎわ館に入寮する事に、大きな大きな不安はあまりないようです。寮体験の時でさえ、お客様としてではなく、しっかり寮生として電話ダッシュもし、大掃除も体験し、お風呂のお湯入れも、ポットのお湯汲みも、1年生の仕事は何でもこなしてくれていました。先輩とも同級生とも楽しく過ごし、ステキな関係を築いてくれていました。(寮体験終了後、先輩達までもが「Yちゃん、みぎわに来てくれないかなぁ」って言ってたくらいですから!)

 
 とは言え、これまで家族と一緒に暮らしていたのに、全く違う環境での生活が始まります。寮体験のときのように1週間という短期間でもありません。3年になり、卒業の時まで寮生活は続きます。(だけどあっという間の3年間です!)ふっと寂しさが込み上げてくる時もあるでしょう、28人もの仲間との生活に理不尽さを感じる時もあるでしょう、辛くて仕方ない時もたくさんあると思います。しかし同時に、いやいやそれ以上に嬉しい事とは、今まで以上にたくさんの出会いがあります。今まで嬉しいと感じる事が出来なかった小さなことまで、喜べる優しい心を手に入れることも出来るでしょう。人間関係にしっかりもまれ、友との絆を強く結び、遠慮など無用です、素晴らしい寮生活を送っていってください!これから始まる28名での新たな歩みがとても楽しみです。 

(森口) 

 

 

 
<鍋とアイスと宝探しとケイドロと。>

 
 2月3日~5日まで1年生がスキー教室に出かけました。3年生がいなくなり、ただでさえ静かな日々だったのに、1年生が出かけてしまうと、寮に残ったのは14名の2年生のみ。なんと静かなことでしょう。
 寮に残った2年生は、3日に鍋パーティーを行い、お腹がはち切れそうなくらい食べました。「私のお腹、妊娠何ヶ月?」なんて事を言いながら、お互いにパンパンになったお腹を触りあっている姿には笑ってしまいました。鍋をガッツリ食べた後に出てきたものは、ビッグサイズのバターケーキとファミリーパックのアイスクリームが2パック(各館2パックずつでした)。アイスクリームディッシャーで2盛ずつ分けてもまだ残っていました。「おかわりあるよ~。」と試しに声を掛けてみると、「食べる~!」と返事が返ってきたことに更にビックリ!ま、まだ食べるの!?(笑)。楽しいひと時を過ごしました。

 
 また翌4日は、ミーティングをした後、レクリエーションタイムを行いました。宝探しとケイドロです。宝探しは3チームに別れ、本とスリッパと飛行機のおもちゃの3つの宝(?)をチームごとに隠し、スタートの合図と共に全員が捜索に乗り出しました。他チームの宝2つを見つけたチームが優勝です。しかし、これがまたなかなか見つからないのです。どのチームも上手に隠したものです。それぞれヒントを出し合い、ようやく発見に至りました。結局結果は引き分けだったようです。
 その後はケイドロです。警察と泥棒に別れての鬼ごっこ。基地(牢屋?)を3階の踊り場に設定し、教師住宅側の階段もオープンにし、全員裸足で駆け回りました。事務室前を通るみんなの息遣いがゼーゼー聞こえてきていました。勢いあまって捻挫とか、骨折とか、大怪我に至らなければいいけどなぁ・・・と心配もしながら、14人しかいないとは思えない元気な姿を楽しく見物させてもらっていました。今度はぜひ一緒に参加させてもらおうかなぁ~(笑)。

 
 汗をかいた後は、お茶会です。スライスされた山のようなケーキに、晴子先生お手製の元祖ムーンライトを2台もいただき、穏やかな時間を過ごしました。あの大量のお菓子が気付いたときにはなくなってる、その胃袋体力には本当に脱帽でした!(^^)
 年にたった1回だけの2年生だけの寮生活。これもまた良いものだなぁと思いつつ、2泊3日が限界だなと思ったりもしちゃいました。だって、みんなが帰ってきた5日の夜は(1年生グッタリでグースカ寝てましたが)、家族がそろった夜のようにホッとしましたから。

          
(森口)

 

 

 

 

 
<礼拝のお話>

 

 
M.Y. (1年生)
 みなさん、こんばんは。1室のMです。2年生のみなさん、進路カリキュラムディお疲れ様でした。風邪を引いてしまった方々は体調管理をしっかりしましょう。人の事言えませんが。さて、もうすぐバレンタインデーですね。女の子も男の子も闘う時です。尚更体調管理をしっかりしましょう。
 今回のお話は、私が今思い、考えている2つのことについてお話したいと思います。一つ目は、皆さんは本気で人を信じた事が1度でもありますか?あると答えられる人は少ないのではないかと思います。私もはっきり言って、誰かを信じきった事はないと思います。努力はしていますし、信じたいと思ってもいます。「家族も?」と思う方もいると思いますが、家族もです。「家族には!」と思いますが。もちろん色々な話をすることはできます。重い話もし、聞いてもらっています。今までそれが信じるという事だと思っていましたが、それが実は「話す」という行為だけであって「心」がないことに気がつきました。そして、とても悲しくなり、今まで普通に接してくれて、私を信じてくれている人達に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
 このような事を通して私が思った事は、「信じる」と言うのは簡単だけど、実際に「信じる」ことはとても難しいという事です。私はこれから、私の好きな人や大好きな友達を信じられるように生きていきたいと思います。今仲良くしてくれている人達にはとて申し訳ないのですが、もう少しの間私の心の成長を待っていて欲しいと思います。私と友達でいてくれてるみんな、本当にありがとう!

 
 二つ目は、みなさんは「死ぬ」という事を考えた事がありますか?私は兄弟ケンカで初めて「死ね!」と言われ、「死ぬってどう言う事なんだろう?」と疑問に思ったことがきっかけで考えました。始めは肉体的な死を思いつきましたが、、肉体的な死は本当の意味での「死」とは違うと思いました。本当に死んでしまう事は「人から忘れ去られてしまう事」なのだと思います。肉体的に死んでも、心の中にその人が生きているのであれば、その人は私達の記憶の中で生き続けることになります。特に肉体的に生きている人を気にかけ、心に留めておく事はとても大切で嬉しい事なんだと思います。
 最後に私の友達の1人について話します。彼はとても優しい人です。優しいと同時に頭が悪いです。頭が悪いというのは、彼の頭の中の大半は他人のことでいっぱいのようだからです。人の事を気に掛け、他の人のことばかり考えています。だけど、そんな彼だからこそみんなから慕われ、好かれるのだと思います。私は彼が友達として大好きで、彼のような人間になりたいな、と思っています。              

(2010年2月8日)

 

 

 

U.K. (2年生)
 みなさん、こんばんは。2室のUです。今年初めてのお話で、何を話そうかといろいろ迷いました。そんな中で、今日は「涙」についてお話したいと思います。私なりの解釈が多く、分かりにくいかもしれませんが聞いていただけたら幸いです。そして、みなさんの心の中でも少し考えて頂けたらいいな、と思います。
 突然ですが、私は寮に入りとても泣き虫になりました。みなさんはどうですか?逆に、泣かなくなった方もいると思います。このことについて、私は弱虫で泣き虫になったのかな・・・?と思っていました。しかし、先日A.J.さんに「素直に見せられるようになったんじゃない?」と言われ、「そうだ!」と気付きました。心が疲れてしまった時、悩んでしまった時、自然と涙が出てきて止らなくなってしまうときがあります。家にいる時は、きっと親の前・兄弟の前では泣くのが恥ずかしかったのだろうと、今になって思います。今の私は誰の前でも泣いてしまう、泣き虫女になってしまいましたが、自分の気持ちに素直になって、周りにも素直になれているんだなぁ、と思える自分がいて、泣きたい時は泣けばいいんだな、と最近思えるようになりました。我慢するとやっぱり心が苦しいです。

 
 次に涙は涙でも違う種類の涙があります。それは嬉し涙や感動の涙です。お話しするのには、少し恥ずかしさがありますが、最近の私は感動の涙もよく流してしまうようになりました。ある時、友達のバレエの発表会のチケットをもらい、母と見に行ったときがありました。初めて見る友達のバレエの姿。そして私が見る、人生初のバレエ。最初から最後まで「すごい!こんな世界もあったのか!」という気持ちで見ていました。友達がキラキラした衣装を着て、見たことのない化粧をしてステージに出てきて躍っている所を見て、私は涙が出ました。なぜ涙が出たのか本当の事は分かりませんが、今までに見たことのない友達の姿に感動して涙が出ました。この時、感動の涙ってこれかも!と思いました。
 また、声楽部のコスモスコンサートのスタッフをさせて頂いていた時、コンサートの中で声楽部の歌を聞いて涙が出ました。これも、ステージ上にいた声楽部の頑張る姿、キレイな歌声によって私の心の中で何かが起こり、涙が出たのだと思います。

 
 感動ってすごいな!と改めて思います。そしてその何かによって出た涙で、自分も頑張らなくちゃ!という気持ちになりました。涙の持つパワーはすごいと思います。悲しいときや辛い時に泣いたら、心すっきり。嬉しい時・感動した時の涙でも心すっきり。そう考えると本当にすごいな、と思う今日この頃の私です。
 私は嬉しい時や感動した時、心動いた時などなどに出る涙は幸せの涙だと思っています。幸せの涙を流せるということは、心が素直でキレイなのかなぁと思います。人それぞれで涙が出るときは違うと思います。しかし、誰でもいつでも自分の心に素直になって泣いていいのだと思います。泣きたい時は泣きましょう!幸せの涙もいっぱい流しましょう!誰かの歌詞にあるように「涙の数だけ強くなれる」のだと思います。
 みぎわの新テーマ(Love Share~泣いて 笑って みぎわ族~)のようにいろいろな感情やいろいろな涙をみんなで分かち合いながら毎日を過ごしていきたいです。

(2010年2月9日)