月刊敬和新聞

2008年2月号より「聖書 書いてください」

小西二巳夫(校長)

ショーシャンクの空に
 無実の罪で終身刑になった主人公が19年後に脱獄するまでを描いたアメリカ映画があります。邦題は「ショーシャンクの空に」です。彼は独房の壁を19年間毎夜掘り続けました。道具は鉱石や地質を調べるときに使う手のひらサイズのロックハンマーです。脱獄の夜、彼は一冊の聖書を、囚人たちを不当に扱い続けた所長の隠し金庫に入れていきました。翌日、所長が「救いはこの中に」と書かれた紙片を挟んだその聖書を開いてみると、中はロックハンマーの形にくり抜かれていました。彼は19年間、聖書の中にロックハンマーを隠し続けていたのです。「救いはこの中に」は聖書の言葉を使って囚人を裁いてきた所長への強烈な皮肉であったわけです。聖書の言葉がなんの役に立つのかという意味さえ含まれています。しかしもう少し掘り下げて考えてみますと、聖書が主人公を救ってきたこと、守ってきたことがわかります。

救いは聖書の中に
 刑務所に持ち込むことが許されないロックハンマーを19年間隠し通せたのはなぜでしょうか。定期的な持ち物検査でも発見されなかったのは聖書という存在のおかげといえます。看守に見つからないように壁を削る作業は遅々たるものであったはずです。なかなか進まない作業のために、そして無罪を証明する証人が殺されるなど、絶望的な気持ちに何度も襲われました。その彼を絶望の淵から這い上がらせたのは、希望を与えたのはロックハンマーを取り出すときに、そしてしまう時に否が応でも目に入る聖書の言葉であったはずです。まさに聖書が彼の毎日の生活と心の支えとなっていたのです。

聖書 書いてください
 1月になると、朝の礼拝後や授業の終わりなどに3年生から「校長、聖書書いてください」との言葉をかけられることが多くなります。「俺は、聖書は読むけど、聖書は書けへんで」とついつい関西流のボケでもってわたしは答えます。「違います。聖書にメッセージを書いてほしいんです」。3年間愛用した聖書にメッセージを書いてもらうという光景は3年生が終業を迎える時期の敬和学園の風物詩でもあります。差し出される聖書もさまざまです。多くは入学時に学校で購入したものですが、同じタイプの聖書でも入学以前に贈り主が書いたメッセージを見かけるものがあります。「祝、ご入学 光の子として歩みなさい ○○教会 教会学校」。敬和学園では3年間皆勤の人には、生徒たちが「金の聖書」と一種の憧れをもって呼ぶ革装の聖書を卒業礼拝のときに贈呈します。すでにそれを貰っている人がいます。そこには両親を始めとする贈り主の「キリスト教信仰を大切にしてほしい。敬和学園でそれをしっかり育ててほしい」との祈りがあることをひしひしと感じます。わたしが聖書を手にしたときには、すでに何人もの人がメッセージを書いている場合が多くあります。クラス担任や仲のよい友人に書いてもらうのです。指定のあったページの隣に本人と意外な関係の人が書いているのを見ることもあります。すでに卒業した先輩やクラブの後輩が書いていることもあります。

これもまた神様のはからい
 卒業の際にメッセージ帖等に言葉を書いてもらうのは珍しいことではないでしょう。 しかし、そのメッセージを聖書の裏表紙や空白ページなどに書くところに敬和学園らしさがあります。聖書にメッセージを書いてもらうのは、これから出会うであろう試練や孤独に負けそうになるときに、取り出してそこに書いてある言葉を、自分を支える力にしたいと考えているからです。つまりメッセージを書いてもらいたいと考える人の手元には、これからいつも聖書があるのではないでしょうか。メッセージを読もうと聖書を開く際に、聖書の言葉を否が応でも見ることになります。自分のために書かれたメッセージを大切にしようとすればするほど、聖書そのものがその人にとって大切な存在となるとういうことでもあります。神様は「聖書にメッセージを書いてもらう」という面白い方法で敬和学園に学んだ一人ひとりを、その人生を守り導かれようとしているわけです。これもまた神様のはからいに違いありません。38回生のそれぞれの人生を神様が共に歩んでくださることを信じてやみません。