のぞみ寮通信

光風館

2015/06/05

光風館通信 第451号(6月3日)

< 光風館スポーツ大会〜フラッグフット〜 >

 5月30日(土)光風館スポーツ大会でフラッグフットを行いました。フラッグフットと聞いて、ピンとくる人は少ないと思います。簡単に言うと、アメリカンフットボールの防具なし・タックルなし・腰から下げているフラッグを取ったらプレイが終わるという競技です。光風館では今年1月からこのアメフトをスポーツ大会で始めました。去年卒業した45回生の参加率が高かったので、参加者が減ってしまうかも……という不安はありました。でも1年生が興味を持って参加してくれて、盛り上げてくれたので楽しいひとときを過ごすことが出来ました。そして今回は教育実習生も参加してくれました。

 最初、大まかなアメフトのルール説明とパス練習から始めました。自分が向いているポジション(パスを投げられる・足が速い・キャッチが出来る)を理解して、最後に45分間ゲームを行いました。オフェンスライン・ディフェンスラインとなったH.R君(3年)とS.R君(1年)の“RとRと”対決は白熱したモノとなりました。パスプレイ・ランプレイはそっちのけで、体育館全体を使って追いかけられ逃げ回っていた二人の一生懸命な姿はみんなの心を打ち、全員を笑顔にしてくれました。また二人の素晴らしい攻防戦を期待しています!(片岡)

 

 

 

< 彼との出会いは… > 

 彼との出会いは、今年の1月。入学試験の面接です。私は、今まで何人もの受験生と面接試験をしてきましたが、こんなに印象に残った出会いは、数少ないです。

 明らかにガチガチに緊張して入ってきた彼。緊張のせいだと思います。顔も何となく青白かったのを思い出します。とりあえず、挨拶。そして面接を始めます。その中でわかった事は、教会生活を大事にしている反面、学校は大嫌いであること。そして何より勉強が大嫌いであること。当日行われた学力テストが全く出来なかったこと。

 徐々に話は盛り上がります。面接試験で盛り上がるという表現は間違えていると思うのですが、盛り上がったんです。段々とその人柄が見えてきます。緊張もほぐれ、笑顔が出てきます。さあ、ここまで来たら好きなことも口に出来ます。そして、面接の後半。「今回ダメでも、もう一度チャレンジする」と口にしてくれました。私も心からそれを願いました。でもさ、結果は出てみないと分からないから……。私は心の中でそう思っていたんですが、彼から出てきた言葉は「じゃ2月にまた来ますので、よろしくお願いします!」と明るく元気よく、その日の誰よりも好印象を与える口調で去って行ったんです。結果は彼の予想に反して2月受験に来ることはありませんでした。そして入寮礼拝当日、スクールバスから降りてきた彼を見つけた私は、何だか嬉しくてたまらない気持ちになりました。

 そんな、彼。このテスト週間、一生懸命勉強していました。朝早く学校に行って勉強していたそうです。学校へ朝早く行くのは、テスト前だけではありません。普段は朝早く学校へ行って、掃除をしているそうです。中学校が嫌いで仕方なかったなんて本当なんでしょうか?疑ってしまいます。そんな彼の成長がたまらなく楽しみです。ここでのこれからの変化と成長を、そばでゆっくり見守りたいと思います。(澤野)

 

P.S.(追伸) 後日、返って来たテストにがっくりしたRちゃん。大丈夫だよ。今は赤くても、努力を続けていると必ず黒くなるから。大事なことは、諦めないこと。だからICUへの道も諦めないで、地道に取り組んでいかないかい?そんな君を僕は心から応援しています。

 

 

< 礼拝のお話 >

K.T(1年)兵庫県神戸市出身

 みなさんは、讃美をする本当の意味を知っていますか?この話をしようと思ったきっかけは、礼拝中の讃美歌を歌う声の小ささです。確かにわからない曲や難しい曲、歌が苦手っていう人もいると思います。だけど、もしかしたら「讃美をする理由がわからないから歌わなくてもいいや」と、思う人がいるかもしれません。なので、讃美歌について少しお話をしたいと思います。

 まず、讃美歌とは何か?讃美歌とは文字通り美しく讃える歌と書いて讃美歌と呼びます。誰を讃えるかというと、それはもちろん神様です。神様を美しく讃える歌が讃美歌なのです。では、一般的な歌謡曲と讃美歌は何が違うのでしょうか?違うところは誰を対象に歌っているか、というところです。一般的な歌謡曲は、もちろんお客さんに歌うけれど、だいたいは自分の満足、いわゆる自己満足だと思います。なので対象はお客さん、もしくは自分となります。しかし、讃美歌は歌う対象が神様です。そこが大きく違うところだと思います。しかし、同じところもあると思います。それは「愛」を歌っているところだと思います。一般的な歌謡曲は、その曲の愛を歌っていると思います。しかし讃美歌は神様の愛を歌っていると思います。私は「愛」を歌っている点では、一般的な歌謡曲と讃美歌は一緒だと思いました。

 では、なぜ讃美歌を歌うのでしょうか?それは、命を捨ててまで私たちのことを愛してくださる、その恵みに感謝して神様の御名を讃えるためだと思います、もう少し簡単に言うと、十字架にかかって死んでくださったイエスや神様にありがとうの気持ちを伝える方法のひとつだと思います。みなさんも讃美歌をちゃんと歌って神様にありがとうの気持ちを伝えましょう。

 

 

K.T(1年)新潟県佐渡市出身

 僕が寮に入ろうと思った理由は、将来に必要な事を学ぶために入りました。僕の姉は敬和の卒業生で寮に入っていました。その姉に僕は憧れ、この寮に入りたいと思いました。この三年間寮生活で頑張っていきたいです。

 

 

 

N.T(1年)兵庫県姫路市出身

 私がこの寮に来て一週間ほどしか経っていない頃のことです。私は寝癖がひどく、派手についてしまいます。実家では毎日シャワーを浴びていました。寮に入るとその対策は使えないとわかっていたので、入寮への不安要素のひとつでした。そして試行錯誤しながら、一週間の朝を実際に過ごし、行き着いた対策は帽子をかぶることでした。自分のほかにもかぶっている人をちらほらと見受けられましたし、帽子姿の私を見て、「似合っている。」と言ってくれる友達もいました。そんな新しい対策を見つけ、気に入った私は毎日帽子で寝癖を押し付け、朝食の席に座るようになりました。

 そんなある日、なかなかご飯を食べきることが出来ずに、一人でテーブルに残っていた私の元に後ろから寮長がやって来られました。そして一言。「食事中は帽子を取りましょう。」私は言い訳がましく「寝癖がひどくて……。」と答えましたが、「大丈夫。誰も気にしてないよ。」と背中をたたかれました。その途端、私はとても恥ずかしくなり、自分が格好悪く思えました。

 みなさんもこのような経験はありませんか?自分のコンプレックスを隠し、他人からよく見られようとして、逆に周りの人を不快な想いにさせてしまう。今までにこんな経験はなかったでしょうか?誰しも一度くらいあると思います。私はこのことがあってからは、毎朝どんなにダイナミックに寝癖がついていても気にせず、朝食を摂るようになりました。そうすると人々からは色々な反応や対応があります。何も言わずただ私の頭上を見つめる人。「すごいね。」と何がすごいのか分からない人。ただただ爆笑する人と色々ですが、どれも悪い気はしません。帽子をかぶって格好つけるより、笑われて話のネタになるほうが自分も相手も幸せだと感じました。

 つまり、自らの個人的なコンプレックスにとらわれず、むしろそこをさらけ出すことによって、それを気にすることなく過ごせるのではないでしょうか?自分にとって気がかりなことでも、相手は全く意識していないことが多いです。お互いのコンプレックスを認め合って過ごすことの出来るのぞみ寮であることを願います。