のぞみ寮通信

光風館

2015/05/28

光風館通信 第450号(5月27日)

< 第一定期テスト お疲れ様! >

 第一定期テストが5月19日(火)〜21日(木)に行われました。今年度初めての定期テストでしたが、それぞれ手応えはありましたか?納得のいく点数だったでしょうか?

 のぞみ寮では定期テスト期間中、管理栄養士の五十嵐さん・調理師さんが特別に夜食として、サンドウィッチや手の込んだお菓子を作ってくださいます。各館礼拝後に食事委員が「各部屋の代表者は夜食を取りに来てください」とアナウンスすると、「やっほ〜!夜食!」と、叫びながら階段から下りてくる光風生や部活動後の汗臭い光風生で娯楽室がごった返します。余ったモノはじゃんけんで争奪戦となり、勝ち取った光風生は歓喜し、負けた光風生は相当落ち込んでいる光景があります。でも定期テスト期間中の楽しみとして夜食があることで、寮生の勉強に対するモチベーションは確実に上がっているように感じます。管理栄養士の五十嵐さん・調理師さん、いつもありがとうございます。

 また光風館ではリクエストに応えて、私も夜食を作っています。今回は特別に月曜日も夜食を作りました。私のお休みである月曜日の夜、「今日は夜食ないんですか?」と尋ねてきたH.H君(3年)からのリクエストがあったからです。「3年生は明日が山場なので、夜食がほしくて……。自由さん、お休みなのは知っていますけど……出来たらこの前作ってくれたパスタが食べたいです。」と、メニューまで指定してきたのです。「そんなに楽しみにして喜んでもらえるなら、仕方ない……。作ってやるか!」と思い、作ることになりました。H.H君はパスタを振る舞った最初から最後まで「本当にありがとうございます。美味しかったです。」と、繰り返し言ってくれました。普段からおだてることが上手い彼だけど、そこまで感謝されたら「作って良かったなぁ」と思えた一コマでした。

 

今回の夜食メニューは以下です。

5月18日(月)『ベーコンと新玉ねぎのペペロンチーノ』

5月19日(火)『ナスとチーズのトマトソース』

5月20日(水)『鮭たまご雑炊』

 今回、W.M君(2年)のおじいさんが家で採れたパセリを差し入れてくださいました。ビニール袋いっぱいあったパセリをみじん切りにし、パスタに入れました。パセリ本来の味や香りが強く、絶品でした。なので、いつも食べているモノよりも深みのあるパスタを楽しむことが出来ました。ありがとうございました。

 1年生は中学校時代とは違う緊張感を感じたのではないでしょうか?寮生活の中で周りの先輩が勉強している姿を見たり、仲間と教え合ったりすることで刺激を受けたことでしょう。同じ授業を履修している人が近くにいること、これはのぞみ寮生の特権です。これからの定期テストでこの特権を有効活用して、お互いを刺激し合ってください。

 2・3年生は新しい授業科目となり、苦戦している姿が見受けられました。なかには「合計3教科しかテストがない」と余裕だった光風生もいましたが…。定期テストの緊張感に慣れ過ぎてしまうと取りかかりが遅くなったり、やる気が起きなかったりしてしまいます。これから部活動の大会やフェスティバル活動で忙しくなり、余裕が無くなると思います。忙しい時だからこそ定期テストだけで終わらせることなく、ひとつ一つの授業を大切にしてください。そして今、自分に与えられた課題に全力で取り組んでください。 (片岡)

 

 

 

< 光風館スポーツ大会〜バレーボール〜 >

 5月23日(土)光風館スポーツ大会でバレーボールを行いました。ゴールデンウィーク中に行った男子寮合同バレーボール大会が面白かったらしく、バスケットボールと多数決の末、開催することになりました。最初は慣れない様子でサーブが入れば、勝てる状況でしたが…次第にラリーが繋がり始め、白熱したゲームが繰り広げられました。その後、1年生VS2・3年生で9人制のゲームをしました。『マイボール!』と叫びながらレシーブする人、力技でボールをねじ伏せるようにアタックする人、『ゼウス!』と言いながらチームにあまり貢献出来ない人など、それぞれ楽しむことが出来ました。ラリーが続いて得点を決めた時の喜びや結束力は、バレーボールならではだと思います。

 またスポーツ大会を近々企画します!(片岡)

 

 

 

< 礼拝のお話 >

K.M(2年) 

 「みなさんは洗剤を飲みますか?」と聞かれて、ほとんどの高校生は飲まないと答えるでしょう。社会人だったら、なおさらです。しかし、小学校低学年からそれ以下ぐらいの子どもたちが洗剤を飲んでしまうという事故を耳にしたことがあると思います。それはなぜか?私が思うには、考え方が違うからだと思います。洗剤を飲んではいけないという常識がないからです。子どもたちはまだ生まれて間もなく、常識というものにあまり触れたことがありません。

 では常識とはなんでしょうか?誰が作り、誰が広めたのでしょうか?私たちはその誰が作ったのかも知らない常識というものから外れてしまうのを嫌います。そこに「自分、一人だけ」という言葉がつくとまともにたってもいられません。しかし、子どもたちは違います。自ら常識を外れていきます。そんな子どもたちにしか出来ない発想や意見をよく「若者にしか出来ない柔軟な発想」などと呼ばれます。私が言いたいことは何かというと、「常識なんて捨ててしまえ。洗剤を飲め」などと、そういうことではありません。たまには非常識なことをしてみるのはどうでしょうか?ということです。きっと常識的なことほどつまらなく、非常識なことほど面白いのだと思います。周りに合わせてばかりではなく、たまには自分にしか出来ない非常識なことして楽しんでみてはいかかでしょうか? 

 

W.M(2年)

 みなさんは「タランチュラ」をどう思いますか?たぶんタランチュラと聞くと、恐ろしいクモの想像をしてしまうと思います。でも、なぜタランチュラは怖いクモと思われているのでしょうか?その一説についてお話したいと思います。話は600年前になります。生息地であるイタリアのタラント地方で「タランチュラに咬まれたら倒れるまで狂ったように踊らなければ毒が抜けずに死ぬ」という噂が大流行。もちろん迷信ですが「バカらしいからやめよう」と思う人はなかなか現れず、この歴史は300年も続いてしまったのです。結果、現代でも「タランチュラ=怖いクモ」という印象は、すっかり定着してしまいました。でも、それは大きな間違いです。タランチュラはさほど毒もなく、人間を襲うことはいたずらをしない限りありえません。

 この矛盾さを聞くと、このクモが悲しく思えてきませんか?人間の勝手な思い込みで、自分の名前が猛毒グモの代名詞のようになっているのです。きっとこのクモ(タランチュラ)は今でもジャングルの中で悲しんでいるでしょう。この考えは現代でも言えるでしょう。人は外見や能力の差で人を差別します。でも僕にとって、それは間違っていると思います。聖書にも書いてあるように「人を侮るのは罪」と箴言に書いてあります。その聖書の通り、やってはいけないと僕は思います。そして人を差別しないで受け入れる人こそ、尊敬され救った人の希望となるのではないかと僕は思います

 

T.M(2年) 

GW2日目に「マレフィセント」という映画を観ました。『アナと雪の女王』に内容が少し似ているなと思いました。そして疑問に思ったことが「真実の愛」についてです。

「恋人がいる人に問いたい。あなたは今の恋愛に満足していますか?あなたは今の恋人と20年後も一緒にいると思いますか?既に彼氏・彼女持ちなのに、これらの質問に即答できない人、ひょっとすると『愛』のことを余りよく分かってないのかもしれませんよ?」と興味のそそられる文章をネットで発見しました。そこには「真実の愛を掴みたい人に向けた恋愛の先輩たちの深いい話をご紹介します。」と書かれていました。(中略)

マザーテレサはこう言います。「では慈しみとは具体的にどういうことを言うのかというと、戦争で苦しむ人々、飢えで苦しむ人々、孤独な老人、障がい者、ホームレス…。このような人々を思いやることです。」彼女はインドに渡り、死にかかる多くの人を助けました。お金も支援者もなく、単独でインドに渡り、ひとりの溝に落ちて死にかかっている女性を助けたのがインドに来て最初に行ったことでした。その後、彼女の活動は大きな組織となりましたが、これこそ「愛」の手本と呼べるでしょう。

また、聖書のコリント13章4~7節では、「愛は寛容であり、親切である。愛は妬まず、愛は自慢せず、高ぶらず、ふさわしくない振る舞いをせず、自分自身のものを求めず、荷立たず、悪しきことを企まず、不義を喜ばず、しかし真理を共に喜ぶ。愛はすべて忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」と書かれています。

愛が存在する場所は、決して恋愛だけでなく思いやりの中にだって含まれています。ただ、恋愛では真実の愛を見分けるのは難しく、恋人同士でもお互い愛の感情が一緒ではないかもしれない。敬和で学んだこと、それは、愛すべきものは本当に身近にあるということです。愛とは、恋愛より大切な何かがあるはずです。自分探しでその答えを探していきたいと思います。