のぞみ寮通信

めぐみ館

2010/02/06

めぐみ通信 (2010年2月6日)

<自分探し・あらさがし>

 
 「自分探しの学校とおっしゃっていますが、私にはあらさがしの学校と思えて仕方ありません。」
 以前、生活指導になった生徒の親御さんから家庭訪問に伺わせてもらった時に言われた一言です。指導をしなくてはいけない事実をお詫びすると共に、本人と、ご両親のお話を伺いにご自宅に伺った時の事でした。ご両親からは、厳しくもあり、率直に話をしてくださる事に、大きな期待も寄せてくださっている事を感じつつ、私共の謹慎指導における意味をお伝えすべく、この指導が新たな自己発見につながると固く信じている事をお話させて頂きました。 
その指導後にいたっては、予想以上の展開、成長が見られたのは言うまでもありません。
月日が経ったある日、その親御さんから1本の電話がありました。
「先生、最近、娘の様子はいかがでしょう。」その声は、心配に満ちたものでした。その生徒は、指導後には、本人のペースで今まで見られなかった積極的な労作意欲、ミーティングの向き合い方の向上など、安心していましたので、「何かありましたか??」と、逆に私の方から、問い返させて頂きました。

 

すると、そのお母様は、
「最近、、、娘はすごく、明るくて、家に帰ってからも私たち夫婦と良く話しをするし、学校の先生のこともとてもいい感じに報告して、寮に至っては、悪いことしか聞かなかったのに、楽しそうな事しか言わなくなって・・・で、何かやましい事でもあるのではないかな、と。この3日ほど、夢にまで出たので、心配になって電話しました。」と言うものでした。思わず、うなってしまいました。親御さんが疑うほどの変化は「目を見張るもの」だったのですから。
また、話しをうかがっていると心の成長は私が知っている事以外に、多くの深いものがありました。今度は、私が驚かされる番でした。
生活指導以来、毎週教会に通うようになっていると言うのです。寮に居ると、つい友だちと遊びに出かけてしまう心配があるので、心がぶれないように、離れている実家にわざわざ週末帰って、礼拝を守るようしていると、言うのですお子様が行くというので、忙しいにも関わらず、お母様も一緒に礼拝に出掛けられておられると言う報告には、胸が熱くこみ上げるものがあるくらい感動いたしました。心が静まる時を自ら作り出している一人の寮生の姿。

 
 自分の反省を通して彼女は何を得たのでしょう。
 敬和での学びは、様々な角度から、自分探しがはじまります。その一つに、謹慎指導も含まれます。謹慎指導が反省に止まるのではなく、自分が何を求めてここに(敬和学園)居るのかを問い直し、大いなるステップに繋げられるように、時間を重ねます。
 電話口の声は、安心したものに変わり、いよいよ敬和の醍醐味である3年生を迎える楽しみな声になって、受話器を置きました。

 
 
一般的には「反省」は、事実についてのみの記述であり、それに基づいての反省文です。そこに至った友人関係、はたまた家族への気持ちに至るまでの掘り下げは、先の保護者の方の気持ちではありませんが、「謹慎指導」が「あらさがし」に思われてしまう危険を伴いかねません。しかし、敬和の生活指導の極意は、「あらさがしでは無く、自分の負にまつわる事実をしっかりと見つめる勇気、また、やり直す為に、必要不可欠なプロセス」としています。その説明を根気強く、また教師自身の向き合い方の問い直しをしながら丁寧にしないと、大変な傲慢なところに立って、反省を強いてしまう危険性を秘めている事をこのご両親の真摯な疑問の投げかけで、改めて教えて頂きました。
 
指導を経て、約7ヶ月経とうとしている今、予想だにしていなかった可能性の花が咲く、春はもうすぐそこに・・・

(榎本かな)

 

 

 

 

<今だからできる話>

 

昨年の春、全校礼拝で小さいころの話をしました。その内容は、『3歳まで哺乳瓶を使っていたが、自分で落として割ってしまったことを機に手放した。しかし、幼い私の中には、気が済むまで使えなかった“満たされない思い”が残っていた。それから数年後のある日、幼稚園の帰りに哺乳瓶型の入れ物のお菓子を買ってもらい、家に帰ってお菓子を出して、こっそり麦茶を入れて飲んだ。数回で気が済んだ。』という、“満たされなかった思いを無意識のうちに取り戻したこと”を語ったものでした。

 

先日実家に帰ったときに、母にその話をしました。すると母は、「あんたは小さい頃から何でも“自分で自分で”と言って早く親の手を離れたから、いつか揺り戻しがくるだろうと思っていた。哺乳瓶のことも、割れた時に『もうお終わりにしようね』と諭したら『うん』と言ったから止めさせたけど、もう少し使わせてあげれば良かったかなと気がかりだった。こっそりそんなことしてたんだね。これで安心したわ。」と言いました。
私にとって、3歳の頃の出来事は、聴いて記憶していたものでしかありません。“あの時哺乳瓶を取り上げられた”と恨んでいるわけでもないのに、母が気にしていたことに驚きましたし、何だか嬉しかったです。

 

一方で、覚えていて欲しいことほど、忘れられているものです。母に話して、がっかりした出来事です。私の家は、父方の祖父母との3世代同居でした。祖母は気の強い人でしたから、母は、嫁姑問題で苦労していました。ある朝、私は、幼稚園へ行く仕度をし、幼稚園バッグを提げて廊下で三輪車を漕いでいました。廊下の向こうの祖父母の部屋には、母と祖母の荒い声が響いていました。子どもながらに不穏な空気を感じていましが、きっと私を見たら、準備万端なことを褒めてくれるだろうとワクワクしながら廊下を往復していました。話が終わり、出てきた母が目にしたのは、無邪気に三輪車を漕ぐ可愛い娘のはずでした。しかし、何と!母は、「遊んでるんじゃないの!」と私の太ももを叩いたのです。「なんで!?」と思ったところから、私の記憶はありません。それほどにショックな出来事であったのに、肝心の母は、そのことを全く覚えていないのです。「あはは。そんなこと、あったっけ?あら、ごめんね。」って。親って勝手なものだなぁと思いました。

 

いずれの話も、年を重ねた今だから、客観的に笑いを含んだ話として話せたのだと思います。一人一人の人生のひとコマは、その人にとって大切なものです。私のことなんてたいしたことではないと思うこともないし、人と比べられるものでもありません。
悩み・傷つき・葛藤の真っただ中では、どう頑張っても、うまく気持ちが伝わらなかったり、通じ合わなかったりすることもあると思います。今だからできる、“あの頃の話”もあるでしょう。また、今はまだできないけれど、いつかできる“今の話”もあるでしょう。想像もしなかった自分や相手の気持ちや、新たなエピソードが見つかるかもしれませんよ。待つことで得られる、発見・喜びも味わってみて欲しいと思います。 

(冨井愛)