のぞみ寮通信

大望館

2015/01/26

大望館通信 第231号(1月25日)

<カウントダウン>
 

 ついに今週は3年生にとっては敬和での最後の1週間です。明日は高校生活最後の授業があり、そして高校生活最後のテストが始まります。また大望生41名で過ごす最後の週でもあります。すべての事に敬和生活最後という言葉がついてきます。『立つ鳥跡を濁さず』という言葉があるように、まずはテスト勉強に励みスムーズに卒業できるようにしましょう。次に1年間安らぎを与えてくれた自分の部屋に感謝を持って掃除をし、次の人に引き継いでいってほしいと思います。そして、この1週間を1・2年生たちに胸を張れるような、3年生らしい生活で締めくくって下さい。

 2月から3年生は自宅学習期間に入ります。約1ヶ月あるこの期間をみんなはどのようにして過ごそうとしていますか?くれぐれも学校に行かなくていいからといって、ダラダラとゲームやパソコンばかりしているなんて生活にはならないようにして下さい。

 私はこの自宅学習期間を、“春から始まる新しい生活のための準備期間”だと思っています。新しく生活をする場を決めたり、大学から出されている課題に取り組んだり、車の免許を取る人もいるかもしれません。4月から始まる新生活は、もう『大人』の世界です。今以上に自分への責任も増し、大変な環境が待っていることでしょう。(それ以上にやりがいや楽しさもありますが。)他の学校が大学受験等で忙しい時期に、3年生はもう新生活の準備ができるのです。この時間を有効に、自分の今後のために使える時間に出来たなら、君たちは4月からしっかりとしたスタートが切れるのではないかと思っています。ぜひ、今のうちから自宅学習期間の計画を立てて有意義な1ヶ月にしてください。

 また、1・2年生は3年生がいなくなってからの期間を、“先輩になる準備期間”にして下さい。これからの大望を支えていくのは君たちです。新しい大望館をどのように作っていくのかを、私も45thも楽しみにしています。 (堀越)

 

 

 

<3年生ラストメッセージ> 

S.T (新潟市秋葉区) 

 今日は僕を支えてくれた、三つの好きな言葉について話したいと思います。

 一つ目は、この大望館でも浸透している「boys be ambitious」です。アメリカの教育者であるクラーク博士が言った言葉で、訳すと「少年よ大志を抱け」です。大望では先の文章についてあまり触れていないので、ここではこの一文だけで考えます。少年達よ、大きな志を持て。夢を目標に持て。大望館に入ってから見かけるようになったこの言葉は、程度の差はあれ全員が「持っている」と思います。自分で分かるような大きな志なんて、持っていないという人もいるかもしれません。僕も持っていませんが。けれど、持っていない人はそれでも良いんだと思います。「志」というとなんだかでっかい感じですが、誰でも、自分が大切にしている物だと思えば良いと思います。家族だったり、趣味だったり。自分にとっての大切なものがあれば良いんです。イメージです。考え方が大事なんです。

 二つ目は、努力と忍耐です。これは一応実家の家訓で、床の間に置かれた額縁に書かれてあります。意味はそのまま。とてもストレートで分かりやすいです。これは、毎日の学校や寮の生活に当てはまることだと思います。やるときはやり、辛い時も耐えてゆく。プラスの方面で僕は捉えています。三年生はもうテスト一週間前を切っているので、ラストスパート頑張りましょう!

 三つ目は中学の先生から教えてもらった言葉で、「どうにもならないときは、どうにもならない。どうにかなるときは、どうにかなる」です。当時聞かされたその言葉は、「何だか投げやりじゃないか」と思ったものですが、最近見方が変わりました。その時その時の自分が精一杯の努力をして、それでも失敗する時というのはある。それで反省をして繋げていければ良いですが、何時までもくよくよしていてはならない。そのための、一種の区切りを付ける為の言葉ではないかと思うのです。「どうにかなるときは、どうにかなる」これは凄いポジティブとも取れますね・・・。これは、例えば成功を願う、先行く不安に対しての言葉だと思います。練習はしたけれど、本番は不安だ。けどきっと、どうにかなるときは、どうにかなる。そう考えると心が軽くなると思います。

 僕はこれらの言葉に支えられてきたことを、三年生になり気が付きました。特に「どうにもならないときは~」の言葉は、思い返すと結構ありました。意識して口に出すこともありました。これから先、皆さんに辛いことがあったとしても頑張れるように、これらの言葉が少しでも糧になってくれたら良いなと思います。

 思えば、僕はだいぶ変わったなと思います。特に三年生になってからは、昔の暗さと比較して結構ましになったのでは、と思います。はっちゃけるようにもなれました。この前の大望フェスは最高でした。焼き肉も楽しかったです。

 最後に、ここまで一緒に過ごせた45回生の仲間の皆さん、ありがとうございました。楽しい思い出が沢山あって、大望館に来れて本当に良かったと思います。ここに来て、出会えた事に感謝です。1・2年生の皆さんも本当にありがとうございました。フォローされることもあったし、何より一緒に過ごせて良かったです。こんな僕でも、大望館とメンバーがとても好きです。ここでの思い出は忘れることは無いと思います。先程から何度も言ってしまっていますが、本当にありがとうございました。感謝してもしきれません。

 

I.H (新潟市北区) 

 皆さんは恋愛をした事がありますか?多分ほとんどの人は付き合っている人がいる、もしくは片想いくらいはあるんじゃないでしょうか?自分も今片想いしてる人がいます。逆に恋愛なんてした事無いと思ってる人もいるでしょう。

 では、恋愛をしている人は付き合っている時、もしくは片想いした時に相手のどこを見て好きになりますか?一番は顔だと思った人もいるのではないでしょうか。僕も昔はそうでした。

 しかし、それはあまり良くないと思います。人間は、見た目で判断することが多いですが、良く考えてみて下さい。見た目では分からないことの方が多いはずです。ですから、見た目よりも中身の性格などを一度重視してみた方がいいでしょう。

 現時点で誰かと付き合っている人は、そこを考えながら相手を見直してみて下さい。そしてお互いの事をよく知る事が大切です。お互いをよく知ればその恋愛は長続きします。たまにケンカや言い合い等もあると思いますが、その時は、自分の事ばかり主張するのではなく、相手の意見も聞いてあげた方がいいと思います。もし、それでも腑に落ちなかったり怒りが収まらなければ別れた方がいいです。それは自分には合わない人だったと思うべきです。そして片想いしている人はまず、話しかけたりで自然に距離を近づけてみて下さい。そうすれば、たとえその恋が実らなかったとしても、相手と仲良くなっていた間は幸せだったと思え、これからの糧にもなるはずです。

 ここまでの話を聞いていて、なぜ僕がこんな話をするのか疑問に思う人もいると思います。何故かというと、僕は今までなぜか色々な人の恋愛相談を受けてきました。それと同時に恋愛とはどういうものなのかを考えてきたからです。皆さんも将来大体の人は結婚すると思います。なので、出来れば結婚するまでの間、もしくは結婚後も今日のこの話を思い出してもらえたら幸いです。

 

S.K (兵庫県西宮市)

 これまでを振り返って思ったことを話そうと思います。自分を変えようとして、この敬和学園に入ってきました。私の兄は敬和の卒業生で兄貴が家に帰省する度に変わっていく姿を見て、寮にいたらいやでも自分が変わっていくやろと思っていました。しかし、私の場合は違いました。

 1年生の後半になっても自分が成長している気がしませんでした。ミーティングで発言しても、しどろもどろになって何を伝えたいのかわからなかったり、部活では練習中に文句言われるプレーばかりしたりと、できないことがたくさん出てきてそればかり気にするようになってきました。できないことを気にしていても何も前に進めないということは頭のなかではわかっていました。でも、心の中ではいつも気にしていました。そのせいで、サッカーでは朝練したり、走ったりして努力したけれど結果はあまり良くありませんでした。寮のほうではブロック長になっても、1年生の時と変わらずミーティングではしどろもどろで、自分でもよくブロック長やってこれたなと思います。

 3年生になると、2年生や1年生の時に比べ余裕がでて、物事を冷静に見つめられるようになりました。それに加えて、フェスティヴァルなどの行事を通して、だんだん自分の考え方が変わり、視野が広がっていきました。そんな時、やっと気がつきました。それは、今までできないことに目を向けすぎていて自己中心的に行動していたことと、いろいろな所で私を支えてくれた人たちがたくさんいるということです。もし、私のしどろもどろなミーティングを聞いてくれる人が45回生大望館にいなかったら、住みにくい大望館になっていたかもしれないし、今より大望館を全然楽しめていなかったと思います。

 それだけでなく、友人や先生など相談に乗ってくれる人がいなかったら、ここまでこれなかったと思います。本当にありがとうございます。自分を変えようとして入った敬和ですが、1年の時と比べても自分は変わっていなくて、自分ってどういうやつなのかを突き付けられた寮生活だったなと思います。この経験を次に生かしてこれからも歩んでいこうと思います。46回生47回生のみなさん、こんなブロック長でしたが、今までついてきてくれてありがとうございます。周りの人を大切にして、これからも寮生活を楽しんでください。

 

O.Y (千葉県市原市) 

 みなさんの前でお話しすることが今回で最後ということで、この3年間過ごした中での、「自分」というものをお話ししたいと思います。

 さかのぼること、一年生時。入寮した当時は“自分を変えたい”という意思で敬和に来ました。なぜかというと、中学生までの自分が、本当に嫌だったからです。

 中学生までの私は、本当にやりたい放題でした。小学校の時、私はいじめられていたので、そのお返しとして、自分も人に嫌がらせをし、両親の言葉も無視。ここでは言えないような事もしました。しかし、中学生の時、それではいけないとやっと気づき“自分を変えたい”という意思で敬和に来ました。

 そして、一年生の時は、覚えなきゃいけないことがいっぱい。1・2年生も最初に感じたであろう、洗濯やルール、先輩への礼儀、人間関係、勉学。面倒だと思ったことは、確かに私も感じました。しかし私は、将来役に立つであろうと思っていたことから、やらなければいけない面倒なことをやっていても不思議と充実感というものがありました。ですが、一年生の時の私は極度の不安症やひどい自意識過剰でした。何をするにしても不安が付きまとう。人と話していても、本当はそんなこと思っていないのだろうなとか、冗談をそのまま真に受け、何かあればすぐに泣く。自分の好きであったはずの音楽も、部活では毎日泣いてばかりでした。そのため、本当に数多くの人々を困らせ、それによって、友達が自分の前から消えてしまうことも少なくありませんでした。自分でもそう感じるほどだから、周りには相当だったのだと思います。

 しかし、そんな私が、今の私に変わっていけたのは、こんな私でも支えようとしてくれ、いつも通りに接してくださった友達、先生、先輩後輩、家族のおかげでした。私はその時、自分は支えられているのだと気づくことができました。それ以来、自分にのしかかっていた不安や自意識過剰な性格が少しずつなくなっていき、逆にその悩みにより、今の自分の自信へと繋がっていったのではないかと私は思います。以前の私よりかは、少しはマシになれたかなと感じています。そして、ここまで来るのに、多くの時間、悩みと闘い続けていた私がいました。その自分を思い出し、今、私は敬和生活を終えようとしています。

 ここで過ごしたときは忘れられないものになったし、自らの糧となりました。自分がここまで変われたことも、不安が消えていったのも、どれもこれも、この大望館にいるみなさん、学校、先生や先に旅立っていった先輩方、私と関わってくださったすべての人々の存在があったからこそ成しえたものでした。私が敬和に来てみなさんと共に時間を過ごしていなければ、今の私はありません。感謝の気持ちしかありません。本当にありがとうございました。

 もうすぐ45thはいなくなります。正直言うと、二年生は「やっと俺らの時代だ。」と感じる人がほとんどでしょう。実際私もそうでしたから。だから、これから三年生になる君達へ、私からひとつお願いがあります。「自分に正直になれる人」になってください。

 何をするにしても、一歩止まって、これは本当に「自分」が良いと思ってしていることなのか?という自問自答をしてください。これは私がしたいものだ。と答えが出たとき、その選択は後悔のないものになると私は思います。自分に正直でいれる人には、自然と良い人々が集まってきます。その行動は、先輩の背中を見ている後輩にとっても影響されるものですから。その背中を見る後輩は、きっとあなたを大きく慕ってくれると思います。

 最後に。敬和の卒業が、私たちの最後ではないことを、しっかりと胸に刻んでほしいです。ここを卒業しても、今の自分をきちんと持ち続け、敬和であった生活を糧としながら、生きてください。自分を見失っているなと感じたら、体を休めて、心を落ち着けて、そんなこんなで、なるようになってゆくと思いますので。

 三年生へ。いままでありがとう。この言葉の重みは、みなさんが一番よく知っているはずです。これからも、いつも通りにやっていけばきっと、大丈夫だと思います。

 

 

<今週の写真☆もちつき~球技大会>