毎日の礼拝

毎日のお話

2014/06/30

小西二巳夫(校長)

イザヤ書 41章9~10節

「ぼっち」とは一人ぼっちの略で、マイナスの言葉だ。一人になる事は、恥ずかしい事と思われる。しかし、「ぼっち」になる事を求めるのが敬和だ。まず、毎朝の全校礼拝がそうだ。一人になってこそ、人は物事を深く考えられる。寮の礼拝の話で、「ぼっち」になって一人の世界を楽しんでいるという生徒がいた。これは、生きるうえで、とても大切な事だと話した。「ぼっち」になる事で、かえって自分が決して一人ではない事がわかる。イエスが共にいて下さる。