のぞみ寮通信

めぐみ館

2014/06/23

めぐみ通信 (2014年6月17日)

すごいね~!! 

 私がめぐみ館に入らせてもらうようになって2か月が経ちました。これまでは知ることが出来なかっためぐみっ子たちのステキな面をいっぱい見せてもらい、感動の連続です。

 2014年度が始まってすぐから取り組みが始まったフェスティバル準備が大詰めになってきたある夜の出来事です。本来ならゆっくり過ごす自由時間もなんだかみんな(特に3年生)真剣な顔で作業にのめりこんでいました。そんなみんなに「何やってるの~。」とあっちこっちに顔を出し、質問をする私。嫌な顔一つせず、でも目は自分の手元から離さず、とっても優しく親切に答えてくれるめぐみっ子たち。優しいなぁ~!

 作業は様々でした。衣装を縫っている人、連合Tシャツに付けるワッペンに刺繍を施している人、ネイルデザインを考えている人、髪形を考えている人、連合の旗づくりに精を出している人…。いろんな人が忙しそうに、でもなんだかとっても雰囲気よく、それぞれに作業しているのですが、不思議と別々な感じがなく、この温かい感じ、なんだろう?なんて思ってしまうほどでした。

 

 よくよく聞いてみると、それぞれに行っていた作業にたくさんの仲間の助けや想いが存在していた事を知り、それだけでも私は大きく感動してしまいました。

例えば、衣装は自分のではなく、ダンスパートナーの物だとか。ワッペンはAさんがデザインしたものをBさんがとてつもなく気に入り「Tシャツに付けたい!」と思い、手先の器用なCさんが刺繍をしてくれているのだとか。ネイルは、Dさんがめぐみ館3年生全員分じゃないの!?と思われるほどの量の注文を受け、みんな違うデザインに…なんて思ってたら大変だった!と。そしたらEさんが「こんなデザイン、どうだろう?」なんて考えて持ってきてくれたのだとか。髪型は、美容師顔負けのFさんがみんなの髪の長さと希望を考慮し、考えてくれていたりだとか。

 

 忙しそうなのに、なんでこんなに温かいのだろう…と思ったその答えは、きっと、全てが自分のためではなく、誰かのためのものであったからだったのです。「えっ!8人分もお願いされてるの!?大変だね~!」と声を掛ける私に、「でも私の髪形は○○さんがやってくれるし…。お互いだよね!」と軽く答えてくれるめぐみっ子たち。素敵だなぁ~!

 

 仲間と助け合って、それぞれの得意分野を大きく活かしながら、みんなが素敵に輝いているのがめぐみっ子たちなのだと知ることが出来ました。これからも、もっともっとみんなのステキなところをいっぱい見せてもらい、感激させてもらえることを楽しみにしています!(森口)

 

 

 

友愛館で礼拝を

 めぐみ館の耐震工事が着々と進んでいます。いつもならめぐみ館から渡り廊下を通過してめぐみホールへ行き、そこで毎晩の礼拝を持っていました。しかし今、その渡り廊下は工事のため撤去され、めぐみホールとめぐみ館はまったく別個の建物となってしまっています。めぐみホールに行くためには靴を履いて、表に出て、ぐる~っと回って非常口から入る…となってしまうのです。そこで、めぐみ館の夕礼拝を友愛館ですることにしました。

 最初こそ、なんだか毎晩友愛館へ行かなきゃいけないなんて面倒くさいなぁ…なんて思っていたようですが、始めるととってもスムーズに集合し、礼拝に向かうめぐみっ子たち。通常礼拝は19時半からなのですが、19時20分過ぎには全員が集まり、いつも25分までには礼拝が始められているような状況です。30分から礼拝なんだから、30分に行けばいいでしょ!なんて考えている人は誰もいません。5分前行動が当たり前に出来ているめぐみっ子たち。それも「決まり」だからではなく、先輩の後姿を見て、後輩も真似て、みんなが気持ちよくやっている事に驚きます。

 そして驚く事はもう一個。みんなが集まったかなぁ~、と点呼を取るのは大体は先生のお仕事です。でもこの礼拝では、礼拝委員のWさんと生活委員のYさんが自ら点呼表を持ち、みんなが揃ったのを確認してくれます。それも、自ら進んで。。。この自治力の高さは、すごいものがあります。自信の持てるものだと思います。

 夕食が終わってホッとめぐみ館に戻り、1時間もせずまためぐみ館を出発して礼拝に臨む。今まで自由に使っていたホールが使えなくなり、ミーティングなども友愛館でしています。時にはいろんな事が重なり、場所がないよ~なんて言う事もありますが、さすがはめぐみっ子たち。誰一人文句を言う人はいません。友達と声を掛けないながら「礼拝行こう!」なんて楽しそうに歩いてきます。友愛館は広いから床に座って円になって、「みんなを近くに感じられるようにミーティングしよう!」とアイデアを出してくれます。重なれば、あっちの端とこっちの端で…なんて場所を考え合ったり、譲り合ったり。めぐみホールが使えない、この不便さを自分たちの心を豊かに育てる一つの大きなチャンスとしてくれているのです。(森口)

 

 

 

礼拝のお話

*T.K(2年生)

 

 みなさんは「ぼっち」という言葉を耳にしたことはありますか?私は敬和に入って初めて「ぼっち」という言葉を知りました。「ぼっち」とは一人ぼっちを縮小した言葉です。一人ぼっちを辞書で引くと「たった一人でいること。孤独である事。」なのだそうです。また孤独を調べてみると「仲間のいないこと。」なのだそうです。みなさんは「ぼっち」にどういった印象を持っているでしょうか?辞書のように「孤独・仲間のいない人」などマイナスのイメージを持っているのではないでしょうか。

 一人行動している人や休み時間も教室の机に一人で座っている人、一人で本を静かに読んでいる人に対してどんな印象を持っていますか?

 私は世間的に言う「ぼっち」の中の一人です。教室移動は99%一人で行きますし、休み時間はトイレに行くか机に座っているかしています。この話を聞いて私の事を「友達がいないの!?」と心配してくれた人が居るかもしれません。しかし、私にはステキな友達がたくさんいます。私は敬和に入って初めて「ぼっち」を経験しました。中学の頃は何においても誰かといつも一緒でした。教室移動、トイレ、休み時間を常に5~6人のグループで過ごしていました。今考えると「ぼっち」になることが出来なかった、しんどかったなと思います。

 敬和での「ぼっち」は孤独や仲間のいないことではなく、自分の好きなように行動し、一人の世界も楽しみ、時には友達とも賑やかに過ごすことです。今、学校生活や寮生活で一人じゃ不安だ、一人で行動するのが恥ずかしい、寂しいと思っている方はぜひ敬和で「ぼっち」を経験してみてください。一人でいることで、見える物、感じる物も変わってきます。

 私は卒業された44回生のステキな友達をたくさん持つ先輩から「ぼっち」生活のステキさを教えられました。私も自分の卒業までにはその先輩に負けない気付きや学びを「ぼっち」生活からもしていきたいと思います。