のぞみ寮通信

みぎわ館

2014/05/15

みぎわ館 第194号(5月15日)

サービスを受ける「当たり前」

 敬和学園では、心の教育として、キリスト教に基づいた様々な環境が用意されています。最も大切にしている事の一つに「礼拝」があります。

 その礼拝、特に日曜日に教会に行く、と言う事に関しては、創立以来から地域の教会が敬和学園で学ぶ生徒の為に、多くの教育的な支援を惜しみなく注いでくださっています。その最たる支援に新潟教会、東中通教会からは、寮生の教会までの交通費の負担、更には、朝の高校生会では朝食を用意してくださって、礼拝後にはランチまで振舞まってくださいます。実に受け取るに余りあるサービスを寮生には用意されています。

 教会は、寮生活までして敬和教育を受けに来ている一人ひとり、漏れることなく、皆にその敬和の真髄を分かち合おうと、献金を寮生のためにあてて下さっています。その集まった献金の中には、受洗している高校生である先輩が毎月自分で決めた額の献金も含まれていますので、様々な方から寄せられている事を是非忘れないでください。この心からのサポートを受け取ったみなさん、半額とまでは言いません。3分の1程度の額は献金して来てください。教会に行けば、「現金がもらえるところ」と思う事は無いと思いますが、万が一、そのような場所として考えているのでしたら、その礼拝で受け取る言葉や、会衆の方々との心の交流、出会いへの冒涜となります。ぜひ、今一度、ご自身が何のために日曜日に教会に足を向け、時間を持っているのかを考えて見ましょう。

 献金すると言う事を通して、捧げる、という経験をさせてもらってください。

 先日も「サービス」と言うコラムでお便りをさせてもらいましたが、そこには、「交流」と言うやり取り、キャッチボールを意味するものがあります。「サービス」は皆さんの理解抜きには成り立たない事を覚えて是非日曜日には教会へ行きましょう。(榎本)

 

 

 

 

< 礼拝の話 >

2年  Y.H

 皆さん「演じる」と言う事をどうとらえますか?「演じる」と言うと自分を偽る、と言う風に聞こえたりもしますが、普段の自分とは違う人格、もしくは違う人間になって見ると言うのはとても面白いとは思いませんか。今日は、演じる事についてお話したいと思います。

 私が「演じる」事を面白いと思ったきっかけは、洋画ハリーポッターシリーズでした。最初私は悪役のドラマ・マルフォイや常に恐い表情のスネイプ先生が本当にいるのではないのか私生活でも恐い人なのではないかと思っていました。しかしDVDのメイキング映像などで、朗らかに笑っていたり、敵役の人と仲良く会話をしているのを見て、「え、全然違う」と感じました。本当にその人がそこにいるのではなく役者さんの方々が演じているのだと知りました。その時すごく感動しました。人は違う人になりきる事ができるのだ!と思いました。性格、趣味、家族構成など自分と全く違うのに、その人だと思わせるなんて!!私はその頃とても人見知りでした。初対面の人としゃべる事がとても苦手で、どうやって関われば良いか分かりませんでした。ある時、初対面で明るく話かけてくれた子に、そっけない返事をして、すぐ他の仲の良い友だちと話し始めてしまいました。本当は恥ずかしくて何を話せばいいか、分からなかったのですが、彼女を無視してしまった事をその後、とても後悔しました。もし私が積極的で明るい性格だったら、その彼女とも仲良くなれたのかも知れません。なので、人とは違うキャラクターを演じられる役者さんに憧れたのです。

 高校に入った今もその想いは消えずに、去年は思いきってフェスで演劇部門に入りました。しかし、オーディションでやりたかった役から落ちてしまいました。私がなりたかった役は、その時私に足りなかった声の通りやすさによって他の人がなる事になってしまったのです。オーディションに落ちた事は自分が思っている以上に悲しかったです。しかし、その事でより一層、演じることに興味を持ちました。そこで今年もフェスで再び演劇をしようと思いました。実際去年からどれだけ成長しているかわかりませんが、精一杯努力してオーディションを受けた結果、役を頂けることになりました。自分の出来る限りの力で最高の演技をしたいと思います。

 もう一度皆さんにお聞きしたいと思います。皆さんは「演じる」事はどうとらえますか?それは嫌な意味だったり、たのしくない意味だったりするかもしれませんが、「演じる」事で人が楽しくなれたり幸せになったりすることがある事を、皆さん知っていてください。私はこれからも幸せになれるような思いで「演じる」と言う事に挑戦していきたいと思います。