のぞみ寮通信

めぐみ館

2014/03/17

めぐみ通信 (2014年3月14日)

寮修了礼拝・44回生を送る会

 敬和学園では、2月27日に寮修了礼拝、そして28日に学校全体での送る会が行なわれました。プログラムの構成やステージでの出し物、贈る言葉など、その一つ一つがたくさんの笑いと愛に満ちており、本当に心を込めて行なわれていることにとても感動しました。敬和学園ってほんとうにいいなぁ。素敵だなぁ。改めてそう感じました。

 そしてうれしいサプライズも!昨年までのぞみ寮の女子寮で働かれ、現在はモンゴルの学校で働かれている冨井先生からも、卒業するめぐみ44回生へ向けて、素敵なメッセージが届きました。以下にご紹介させていただきます。

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「A、U、S、N、H、M、M、M、R、Wー♪

 久しぶりに寮に帰って来たところかな?元気にしていましたか?会いたいなぁ。会いたいよ。どんな風に成長したのかな。3年間の寮生活はどんなものになったかな。聞きたいことは山ほど。1、2年生の時の皆の顔を思い出すと、たまらなく愛おしくなる。色んなことがあっただろうなあ。色んなことがあったからこその今。たくましく成長した姿を想像しているよ。

 モンゴルに来ても、敬和のH.P.でめぐみの皆の写真を見つけては「大人っぽくなったー!」「いい顔してるー!」「手作りお菓子すごい!」と一人で言っていました。私の配属先の学校にも寮があってね、のぞみ寮と同じくらいたくさんの寮生がいるよ。のぞみ寮のようにいろいろなプログラムはないし、寮教育という概念もないけれど、寮生の繋がりと心には似たものを感じるよ。遠くの草原から寮に入っているモンゴルの子どもたちも、不自由を不自由で終わらせてないし、寮の仲間を家族のように大切に思っています。44回生のみんなも、大切な繋がりができたことでしょう。

 ただね、違うところが一つ!先生に反抗しないの。びっくりした。モンゴルは絶対的な縦社会。反抗なんか、させてもらえないんだ。意見を言ったり疑問をぶつけることすら難しい。敬和の寮でたくさんもがかせてもらえたあなた、幸せ者だよ。

 モンゴルで価値観の違いを目の当たりにしてグラグラ揺れそうになることが多々あるけれど、敬和での働きの日々が私を支えてくれています。あなたたちのおかげです。ありがとう。(めぐみ館からモンゴルに飛んでいる絵、部屋に飾ってるよ。)

 敬和の3年間で出会った出来事、自分自身、仲間、先生は宝物。色々あるから面白い。これからも、いっぱい笑っていっぱい食べて、いっぱい心と身体を使ってね。応援しています。

冨井愛」

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 冨井先生から頂いたメッセージは、3年生が帰ってきているあいだ、額に入れて飾らせていただきました!また、3年生一人ひとりにもカラーコピーをして渡させていただきました。メッセージを読んだみんなは、すっごく喜んで、「元気そう!」「また会いたいなー」「愛ちゃんが前よく作ってくれたチャイ飲みたいよー」と口々に言っていました。冨井先生、素敵なメッセージをありがとうございました!!(会田)

 

 

 

 

 

ラストメッセージ

3年生が後輩たちへ贈る最後の礼拝のお話、「ラストメッセージ」。全員分のお話をここで紹介したいほど、一人一人が本当にしっかりと自分自身や仲間との日々に向き合い、思い返し、言葉を紡いでくれました。(今年はそれをまとめて冊子にし、送る会の日に、3年生へ担任からのプレゼントとしてお渡ししています。)以前、その最初の話し手としてW.Mさんのお話を通信に載せました。そして今回、めぐみ館10人の44回生最後の話し手として、ブロック長を務めてくれたY.Aさんのラストメッセージを紹介します。(会田)

 

3年 Y.A

 さて、ラストメッセージということで、みんなの前で思いっきり先輩面して偉そうにしゃべれる機会は人生でもう二度とないかもしれません。そんなわけで愛すべき44回生、そして後輩たち、そしてお世話になりまくった寮の先生へ私からメッセージを伝えたいと思います。

 敬和での3年間、そしてこれから生きていく上で必要なのは、やはり人と関わること。そしてその関わった人、関わってくれた人に心からの「ありがとう」と「ごめんなさい」を言うことだと私は思っています。人と関わるということはいいことばかりじゃありません。誰かと喧嘩したり殴り合ったり、嫌いあったり傷つけあったりするのは全て“関わる”ということから始まるものです。私のここでの3年間も、人と関わることによってトラブルや誤解続きでした。怒られたこともあったし、私が怒ったこともあったし、気まずくなったこともあったし、時には泣いたりしました。それによって自分が良い方向に導かれたこともありますが、嫌な思い出のまま自分の頭のどこかに置いてきたこともたくさんあります。

 やらないで後悔するよりやって後悔した方がマシだ―とか、失敗は成功のもとなんて言葉がありますが、そんなの嘘っぱちだと思ったこともたくさんありました。関わるということはとても恐ろしいことですね。しかし、みなさんもお分かりの通り、人と関わることにはいい事もたくさんあるし、どんなにめんどくさくても人と関わることをしなければ生きていくことは出来ないのです。毎日一緒に生活している仲間や家族、毎日の食事を作ってくれる人、話を聞いてくれる人など、たくさんの人たちと自分との関わりの中にみんな生きていると思います。

 言葉が生まれたのも、人が人として生まれてこれたのも、文明が生まれたのも、経済が発展したのも、なにもかも人との関わりがこの世界にあったからだと私は考えます。それくらい関わるというのは大事なことなんです。関わらなければ相手の考えることは何一つ分からないし、楽しいことも人と関わらなければ共有できないし、一緒に笑いあうこともできません。当たり前のようで、実はすごく大切なことなんです。私が今ここでこうして話ができるのも、全て皆との関わりがあったからです。本当にありがとう。家族や友達などの関わりが深い人に、ぜひありがとうと言ってみて下さい。毎日の関わりに感謝してください。そして自分が悪いことをしてしまったらごめんなさいを言ってください。これが私の一番言いたいことです。

 ここからは、少し私たちの未来の話も混ぜたいと思います。私は1995年10月23日に生まれ、今日2014年1月30日まで元気に生きてきました。この18年と数カ月の中でたくさんの人と関わることができ、特にこの3年間で本当に大切な仲間がいっぱいできました。そんな今18歳の私、そして44回生のみんなはあとどれくらい人と関わることができるのでしょう。ちょっと計算してみました。人の平均寿命は約80歳なので、私が80歳の今日、つまり今から62年後の今日私が死ぬとして、生きているあいだにどれくらい人と関わるチャンスがあるか考えてみようと思います。

 私は死ぬまでに15回うるう年を迎えます。つまりは15回オリンピックを観ることができ、残された日数は22645日です。これを時間にすると543480時間。しかしこの時間全てを人と関わる時間にするわけにはいかないので、睡眠7時間と風呂・トイレの時間、そして家族とも誰とも関わらないプライベートの時間3時間、合わせて一日10時間、人と関われない時間を作ると、私に残された人と関われる時間は317030時間のみとなります。これを分に直すと19021800分、秒に直すと1141308000秒です。でもこれも、今まさに一秒一秒と減っています。

 ちなみに先ほど私に残された日数が22645日と言いましたが、人と関われる時間を日数にすると、私はあと13210日しか人と関われません。年数にすると約36年、あと残された62年の中の半分とちょっとしか人と関われないんです。ちなみに自分だけの時間は、睡眠に費やす時間が158515時間、日数にすると6605日分、年数にすると18年分です。私が今まで生きてきた時間は、私の残りの人生の睡眠時間とほぼ同じになるということです。これは何だか長い気がしますね。また、風呂・トイレ・その他誰とも絶対関わるチャンスがない時間は67935時間、2831日、8年です。これから一人暮らしをしたとしたら、その時間がもっと増えるわけだから、人と関われる時間がどんどん減っていくんでしょうね。

 こんなことを考えていると、寝ているのなんてもったいなさすぎる!! と思ったりします。でも寝ないで生きることなんて不可能ですから、1日1日をムダにしないで、317030時間の中で、以下にたくさんの人と関われるか、チャレンジしたいと思います。そして、人数だけでなく、今までかかわってきた人とも残りの時間でどれだけ多く関わることができるかというのも楽しみです。今まで関わってきた人というのは、要するにここにいるみんな、敬和のみんなのことです。こんなに毎日関わり続けた人たちとの出会いがここだけのもので終わるのはもったいなさすぎるし、淋しすぎます。このめぐみ館の人々、特に44のみんなは、私にとって新鮮な人ばかりでした。こんな私に面と向かってものを言ってくれる人、そっちも泣いているけど私だって泣きたいわ!! と全てを投げ出したくなるほど私を困らせてくれた人、笑いすぎて息出来なくて死ぬかと思ったという気持ちを共有してくれる人、私が家族でなく友達でこんなに迷惑をかけてしまった人、もっといろいろありますが、そのどれもが中学までではいなかった人たちでした。3年間共に過ごすというのは本当にすごいことで、本当に深いかかわりと信頼ができるものなのだなとしみじみ思います。

 でもそんなこんなで、いよいよ3年間作ってきた44の輪の中から飛び立つ日がやってきてしまったんですね。明日で学校は終わり、寮合宿をして、2月28日を迎えたら、次こそ本当にお別れです。またすぐ会えるから淋しくなんかないって思いたいけど、やっぱり淋しいです。卒業して、寮を去っても、会うことはもちろんできます。でも、一緒に生活するなんてことはもう2度とないんです。そう思うと、44のみんな、45、46のみんな、そして先輩、先生たちとの関係はずっと大事にしなきゃいけないものだってことが分かります。

 44回生のみんな、私たちはこれからバラバラになりますが、残り62年、その中の317030時間、少しでも長くみんなと関わっていたいです。最後に45、46回生の皆様、こんな私を慕ってくれてありがとう。ガン見してくる子や、飛びついてくる子、よく分からない笑顔を向けてくる子、泣きながら部屋に来る子、たくさんの笑いをくれる子、みんなみんなありがとう。関わってくれてありがとう。私たちがいなくなった後のめぐみ館を大いに盛り上げちゃってください。先生方、いろいろありがとうございました。多くは語らずとも、私の愛は伝わっていると思うので、どうぞこれからもお元気で頑張ってください。素敵なだんなさんが現れることをお祈りしています。

 そして44回生。ありがとう×22465日分。伝えきれないありがとうを君たちに送ります。

 

 

 

 

 

3年生を送って

 44回生との出会いは、とても鮮明に覚えています。44回生は、とにかく入寮当初から良くミーティングを開いた学年でした。内容は、「自分達の仕事は自分達でしっかりと声を掛け合って、しっかりと連携し、覚えることはしっかり覚えよう!!」と言うニュアンスだったと思います。その勢いは、当時の3年生42回生が舌を巻くほどでした。白熱し過ぎて3年生から、建設的な学年に高めるには、3年かかるから、そんなに仕上げを急がなくていいから、学年で楽しいこと、寮がホッとする場所になる工夫を話し合えばいいのではないかな、そんなアドバイスをもらっていたように覚えています。そんな44回生、本当に仲間を大切にできる学年へと成長し、旅立っていきました。

 めぐみ館の担任として、入学を祝い迎えた3年前。去年は館の担任としてではなく、少し距離を持った間の立場。寂しい思いもありつつ、皆さんを見守り、サポートしていて、親離れ、子離れのような心境でした。そんな私が気付かされたことは、のぞみ寮と言う場所は、決して担任だけではなく、少し離れた所からの視点で、関われるのだということでした。この様々な存在に見守られながらののぞみ寮生はホントに幸せだな、と担任としてではない立場でより実感しました。44回生の担任としてそして離れた立場の者として幅の広い出会いをさせてもらい、私の大きなステップにもなりました。44回生の皆さん、ありがとう。(榎本)

 

 

3年生のみんな、おかえりなさい!(2月26日めぐみ館礼拝より)

 2月26日。3年生44回生が、寮修了礼拝・44回生を送る会のため、のぞみ寮に帰って来てくれました。自宅学習期間の間、どんな毎日を送っていたのでしょうか?とても気になります。夕食をとるために友愛館に向かって歩くめぐみ館3年生と顔を合わせ、「おー!おかえりー!久しぶりだね~」と声を掛けている時、「あ、私こんなにも嬉しいと思っている」と気付きました。自分でもびっくりするくらい、実はみんなとまた会えたことが嬉しくてしょうがないです。

 「先輩方が自宅学習期間に入って1・2年生だけの約1ヶ月間。そのいらっしゃらなかった時よりも、帰って来てくださった時の方が、3年生の先輩方の存在の大きさを実感してる。だんぜんに寮が明るくなって、元気になる。私もそんな先輩になっていきたい」。めぐみ1年生からもそんな心温まる声が聞こえます。

 少し、私の話をしますが、私は1年前、まだまだ学生を卒業したばかりでこの敬和に働き始めました。当時、「のぞみ寮での生活っていうのはね、一緒に生活する様々な個性を持った仲間を大切にして、愛を持ってお互いに接するために、いろんなルールや人間力を学ぶんだよ」と聞いていました。話を聞けば聞くほど、「すごく素敵で魅力的な学校だけど、、、こんなルールがあるのか。先輩や後輩と共同の部屋で過ごすのっていろいろあるよなぁ。生徒たちの気が休まる時ってあるんだろうか?正直そこで生活するのは大変そうだなー。」と思っていました。通学生は、どんなしがらみや嫌なことがあっても、自分の家に帰れば、家族に愚痴を言ったり、ごろごろ好きなテレビを見ながら笑ったりして、ある程度はリセット出来るかもしれないけれど、寮生はどうなんだろう。実際、今でも思います。

 ただ、じゃあ私は何がここでできるんだろう、何がしたいんだろう、と1年前の私は考えました。“じっくりと人間力をつけてほしい。先輩後輩や仲間の良さを感じてほしい。ルールの中で他者を、そして自分を大事にするエッセンスをみつけてほしい”。もちろん大事です。しかしそれに加えて、学校生活で抱く緊張感や、不安や、人間関係などをうまくリセット出来る「家庭」や「生活の場」をどのようにみんなに提供できるのか。嬉しい時や幸せな時はもちろん、迷った時、苦しい時、どうすればいいか分からなくなったときに、みんなにとって、「ここに帰ってくれば大丈夫だ」と安らげる物理的な居場所であると同時に、卒業して行ってからも一人ひとりの心の支えとなるような場所を、これから受け持たせてもらうめぐみ館のみんなと一緒に作っていきたい、そう思いました。これも、今でも思うことです。

 間違ったり、失敗したり、みんなの気持ちをくみ取りきれずたくさんの迷惑を私はこの1年間、かけてしまっていたことでしょう。それでも、みんなにとってめぐみ館を、3年間の高校生活を送る物理的な居場所にしたい、笑顔で安心できる精神的な居場所にしたい。館の担任として思います。そしてこれは、私がどうあがこうと、みんなの協力なくしては出来ないことです。

 ここにきて1年経った今、この時期に、みんなをみていると、新しい春の変化にむけて、様々な準備や行事一つ一つに向き合ってくれているのが分かります。3年生に心からの想いを伝え、最高の笑顔で送り出したいと三送会の準備に励む姿。また新1年生の47回生を気持ちよく迎えられるようにと、自分たちの代の関係や代の雰囲気を見直そうと話し合う姿。あなたたちなくして、のぞみ寮は、めぐみ館は成り立ちえないのだな、とあらためて実感させられます。

W、H、M、N、R、S、M、U、A、M。

 ここでの3年間振り返ってみてどうでしょう?礼拝のラストメッセージでも話してくれていたように、一言では表せないほど、いろいろな出来事があり、いろいろな感情があったと思います。その上で、みんなが敬和での3年間を振り返った時、ここで3年間を過ごした自分自身に大きく○(マル)を付けることができたなら。仲間との関わりの中で入学時よりもっともっと自分を好きになってくれたなら。これほど嬉しいことはないなと思います。

 めぐみ44回生を思うと、高校3年生ってこんなにも色々なことを見ていて考えていて、頼りがいがあって、正直で、鋭くて、面白くて、優しいのか、と思わされてばっかりだったなぁと、なんというか、ニヤ~っとしてしまう私がいます。本当に誇らしく、大好きな人たちです。みんなは私にとって初めての3年生で、はじめての卒業生です。それは、ある意味、これから私がめぐみ館をみていく中で、いろんな場面できっと、「3年生っていうのは…」と思い起こすんだろうなと感じています。

 今日で私たちの毎日が終わるわけではありません。みんなは大学生や専門学生などになり、2年生1年生は、3年生2年生になっていきます。そんな中で、ぜひ、周りの人に自分たちのことをたくさん伝えていってほしいと思います。いままでのこと、これからのこと、迷っていること、やろうとしていること。仲間とどんどん共有してください。今は、地球の裏側からでも、連絡を取り合えるいろいろなツールがあります。これからも、もっともっとつながりを深めていってほしい。

 いつか、ここにいる全員が敬和を卒業していって、それぞれの道に進んでいき、仕事や家庭を持つかもしれません。その一つ一つの生き方が、後輩たちの進む道の選択肢をきっと広めてくれると私は信じています。「あんな生き方があるんだ、このやりかたもアリなんだ」そんなふうに。みんなが生き生きと過ごす姿で、めぐみ館、敬和の可能性を広げていってくれたら嬉しいです。(会田)

 

 

 

 

卒業おめでとう!!! 3年間ありがとう!!

 

 卒寮式前日、めぐみ館後輩達から、44回生全員へ寄せ書きのプレゼント!!寄せ書きの片面には、44回生が43回生から代を引き継いだ時に自分たちで書いた一人ひとりの似顔絵がそのまま使用され、後輩たちが集まりあーでもないこーでもないと話し合いながら作った、それぞれ名前の「あいうえお作文」がおもしろおかしく書かれていました。受け取る側のめぐみでの日々がギュッとつまった、1・2・3年生全員のつながりが感じられる素敵な寄せ書き。それぞれ抱き合ったり写真を撮ったりと、3年生のみんなの高校生活の最後の時間を共に過ごしました。

 

 3年間ず~っと、めぐみ館の玄関を出入りする度にひっくり返し続けたネームプレート。館内にいる時は黒札、外出時は赤札にします。今回卒業のために3日間帰ってきてくれたときには、すでに3年生の部屋はない状態で、通年通りホールでの寝泊りでした。玄関のネームプレートも外していました。しかしすっかり習慣となっているため、帰ってきた3年生のほとんど全員が標示板の前で自分の名前を探して、手を伸ばしかけては「あっ、そっか、ないんだった」とスカッと手を戻す姿が続出(笑)。3年間毎日続けるということはこんなにも身にしみこむものなんだと関心しつつ、その姿の愛らしさに笑ってしまいました。
 そんな3年生の様子を小黒先生と見ていて、特別に期間限定で一番下の段に「ホール」を追加し、そこに3年生のネームプレートを再度並べてみることに。
 そして3日目の最終日、最後の3年生が寮を出発して行った後に標示板を見ると、全員の名前のプレートはしっかり「赤」に変わっていました。

 

 (写真左)(右)めぐみ44回生のS.Nさんが絵を2つ書いて館にプレゼントしてくれました!一つはクッションに、もう一つは額に入れて寮事務室に飾ってあります。本当に素敵です。これから後輩たちと共に大切に受け継いでいきます!ありがとう!(会田)

 

 

≪ めぐみ44回生のみんな、いってらっしゃい! ≫

≪ また、会える日を楽しみにしています! ≫