のぞみ寮通信

光風館

2013/10/04

光風館通信 第388号(9月29日)

< 問われている >


 みなさん、修養会お疲れ様でした。どんな修養会になったでしょうか?点呼や空いた時間にそれぞれ感想を聞かせてください。

 私は、3年生の修養会に同行し、東日本大震災の被災地(南三陸、七ヶ浜)へ行ってきました。2泊3日という限られた時間の中で、多くの事を知り、考え、感じてきました。

 開会礼拝で、佐藤健一郎先生が今回の修養会で被災地に来た理由を3つ話してくださいました。それは、①どんなに調べたり、読んだり、観ても、それはバーチャルでしかない。みんなには被災地で生を感じて欲しい。②“Do for others”はただの学年テーマではない。今を生きる私たちが忘れているもの(絆、連帯など)の本当の意味をみんなで考えたい。③これからみんながどう生きるか。その手がかりを得るためにここに来た。自分(みんなが生まれた年に阪神淡路大震災が起こり、敬和に入学する直前に東日本大震災が起きた)に与えられた使命を考えてほしい。

 佐藤先生の言葉通り、3年生は被災地で東日本大震災の生に触れたと思います。私も被災地で震災から2年6ヶ月が経った“被災地の今”を感じてきました。

 修養会1日目の講演で、日本キリスト教団仙台北教会の小西望先生がお話してくださった中に、「震災から2年半経つけれども、今は“震災後”ではない。今も震災のただ中にあるのだ」と話してくださったのが印象的でした。被災地に暮らす人にとって、時間が経ったからと言ってまだまだ震災を“過去の出来事”と割り切れるような状況ではないということです。1日目に南三陸でお話をしてくださったSさんは、「震災から1年経っても母親が見つからなかったが、1年を区切りに葬儀を行った。でも母が見つからないまま葬儀を行っても気持ちにケジメがつけられない」とおしゃっていました。今でも被災地では2,654人以上の行方不明者がいます。24,683人の犠牲になった方々がいます。そのことを思うと、まだまだ被災地に暮らす人は震災のただ中に置かれているのです。

 2日目はいくつかのグループに分かれての活動となりました。私は仮設住宅にお邪魔し、午前中は仮設住宅周辺の草抜きを行い、午後は仮設住宅の集会所で仮設住宅で生活している方々と交流の時をもちました。実は、その仮設住宅ができたばかりの時に同じ集会所に行ったことがあるのですが、当初はまだみなさんの表情が硬く、それほど震災の時の話をしてくださる人も多くはありませんでした。それが今回は、みなさんがよく笑い、震災当日の話をたくさんしてくださいました。時間の経過と共に、仮設住宅に暮らす人たちが同じく仮設住宅に暮らす人たちと横のつながり(コミュニティー)をつくり、不便な中にもそこが今の自分の居場所になっているのだなと感じました。また、震災から少し時間が経つ今だから話せること、今だから誰かに話を聞いてもらいたいのだなと感じました。被災地で今求められる支援活動は、瓦礫をどかしたり、ゴミを拾い集めることだけではなく、被災された方々の話を聞くことも求められているのだと感じました。

 今回2日目、3日目とお邪魔した七ヶ浜町は、2011年5月から敬和が被災支援労作でお世話になっているところです。長く関わることで、町が少しずつ復興していく姿を見ることができます。今回も、震災当初に、車や家の屋根、大量の瓦礫や泥水が溜まっていた畑一面に黄金色の稲が育っているのを見て、少しずつ町が復興していることを感じました。それと同時に、七ヶ浜町はこのように復興への歩みを進める一方、放射能の影響で今も全く手付かずのまま震災当初のままの状態であろう町のことを思いました。原発や放射能が私たちにもたらすものはあまりに大きく重たいものであることを改めて感じました。奇しくもこの日、新潟では泉田裕彦新潟県知事が東京電力柏崎刈羽原発6、7号機の再稼働申請を(条件付きで)承認したというニュースをテレビで目にしました。これからの日本を担う高校生のみんなに、被災地への支援活動はもちろん、原発や放射能についても考える機会や場を増やさねばと感じました。

 修養会が終わった日の深夜、犬の散歩に外に出ました。雲がひとつも無く、たくさんの星が見えていました。周りにあまり明りがない太夫浜ならではの星空だなぁと思いました。2011年3月11日、東日本大震災によって被災地では町の明かりが消え、火災が起きていた気仙沼方面の空だけぼんやり明るかったようです。きっと被災地の明かりの消えた夜空には星がキレイだったろうなと思います。でも被災された方々は、「星空がキレイ」と思う心の余裕はなかっただろうなぁとも思います。私たちが生活する中で「キレイ」「美味しい」「楽しい」と思えるのは、私たちの生活が平和で、安定しているからこそなのかもしれません。また、思いました。「こんなキレイな星一人で見るのは勿体ない!光風のみんなにも見せてあげたい!大切な人にも教えてあげたい!」それは私の周りに大切な人がたくさんいることに気付かされた瞬間でした。一方、東日本大震災が起きたあの日、自分にとって大切な人たちを一瞬にして失った方々が多くいたことも思わされます。

 私は、今回の3年生の修養会に参加し、「私たちは問われているな」と思いました。被災地へこれからどのように支援し続けていくのか?日常の中でどうように生きて行くのか?私たちが“当たり前”と感じている、周りにいる大切な人、日々の生活を大切にしているか?それらの問いをしっかりと心に留め、歩んで行こうと思います。(三浦)

 


    

<礼拝のお話し>


I.K(2年) 

 みなさん、こんばんは。14室のIです。今日は「選挙」についてお話したいと思います。知っての通り、今日から生徒会会長選挙が始まりました。そこで、みなさんにお願いがあります。それは選挙に真面目に取り組んでほしいということです。この選挙は、初めて選挙をする46回生にとっては、これから1年間生徒の顔となる人を選ぶ選挙で、これからの敬和生活を左右するかもしれません。

 45回生にとっては、自分たちの世代の代表を決める選挙です。ここで誰を選ぶかで45回生のこれからも大きく変わってくるでしょう。

 44回生にとっては、自分たちが築いてきた敬和の歴史をたくすための基盤となると思います。全員にとって決して無関係ではないこの選挙。スムーズに進行するためにも全員の協力が必要です。例えば、しっかりと投票をすること。選挙は、投票日に登校している生徒の3分の2以上が投票しない場合、選挙そのものがやり直しになってしまいます。他にも投票用紙をきれいに書いてほしいと思います。昨年は、誰を選ぶかの丸のところに四角や星マークを書いた人がいました。他にも自分で「俺」という枠を書き加えて投票した人や先生や友だちの名前を書いた人もいました。これらの票はすべて無効となってしまいます。決してふざけて投票しないようにお願いします。第45回生徒会会長がスムーズに、公平に決まりますようご協力をお願いします。

 

N.I(3年) 

 みなさん、こんばんは。1室のNです。昨日で東日本大震災から2年半が経ちましたが、みなさんは記憶の中でまだ“3・11”のことを鮮明に覚えていますか?今年の44回生の修養会は被災地に行きます。ということなので、今回は少し“3・11”の記憶をよみがえらせたいと思います。東日本大震災が起こった日、テレビでは津波の映像が流されていました。しかし、日本ではすぐに情報規制が始まり、人や家が流される映像は放送されなくなりました。しかし、海外では、被害を深刻に伝えるために、日本が情報規制を行った映像を放送していたそうです。

 今回の修養会は、正直あまり乗り気ではありませんでした。わざわざ修養会で労作なんてつまらないと思っていました。しかし、被災地はまだまだ復興していないことを知り、自分は無知過ぎると思いました。オリンピックが東京に決まって日本中が喜んでいる中、いたる所で苦しみ悲しんでいる人がいます。その事を覚えて、これからも生きていこうと思います。