のぞみ寮通信

光風館

2009/11/08

光風館通信 第241号(11月8日)

< 3年生の後ろ姿を見て、2年生が動き出す >

 
 光風館3年生の多くが、大学あるいは専門学校への受験を目前に控えています

(光風館では、すでに3名が進路を決めているし、今週末には2名が受験に出掛けたんだけどね)。私は、先週から入学検定料の振込みや願書の郵送で、銀行や郵便局に足を運ぶ日が続いており、いよいよ入試がピークを迎えたなと感じています。3年生が受験する大学や専門学校は、入学試験として小論文や面接(あるいはその両方)を課しているところが多いようです。光風館の3年生たちは、今まさにそれらの準備に追われているところです。体調を崩さないよう健康には十分気をつけて、万全の準備をして入試に臨んで欲しいと思います。

 
 しかし、考えてみると何だが不思議な気がしませんか。40回生、光風館3年生は、生まれた場所も違えば、それぞれが背負っているバックグランドも異なるのに(3年生に限った話ではないんだけどね)、縁あって40回生として敬和に入学し、光風館に入寮してきたのです。仲間となった者同士、3年間、生活を共にして、今また、こうして別の道を歩もうとしているのですから。何とも不思議な気がしてしまうのは私だけでしょうか・・・。

 
 さて、進路選択の最終段階に入った3年生の姿に、何か感じるものがあり、それによって突き動かされたのか、2年生数名が早くも動き出しました。もちろん、「敬和」卒業後の進路選択に向けての動きです。実は、AくんとOくんは(2年生)、最近、手話の勉強を始めたんです。ある晩、ネット上に公開されている手話のテキストを食い入るように見ていた有村くんは、それを覗き込んだ私にこう言いました。「僕、将来、福祉の分野へ進みたいんです。だから、手話を覚えておこうかなって思って・・・。これから検定試験も受ける予定なんです」と。「ナヌ?!」と驚くのと同時に、何だかとても嬉しい気持ちになりました。単に早いからいい、ということではありません。でも、自分の興味・関心ある事柄を見極め、自身の適性・能力を勘案し、早いうちに進路の方向性を見定められることは、とても大事であり、素晴らしいことです(進路選択の過程では、AくんやOくんのように具体的な行動を伴っているというのが重要で、それによって自分の進路選択に対する動機付けが徐々に強固なものとなるんだよ)。

 
 一方、OくんとKくんは(2年生)、今週末に1泊2日の旅程で、東京へ大学見学に行きました。二人には、どうも憧れの大学があるようです。まだ感想は聞いていませんが、二人は、大学の雰囲気漂うキャンパスを見て、またキャンパス内を行き交う大人びた大学生を見て、大きな刺激を受けたに違いありません。二人にはまだ、将来何になりたいのか、あるいはどんな分野を学びたいのか、その部分が欠けています。でも、2年生の今の段階では、大学への「憧れ」だけでも「よし!!」としたいと思います(Oくん、Kくん、大学への進学は「目的」ではなく、「手段」だということを忘れずにね)。

 
 2年生の多くは、まだ自分の進路を漠然と考えているかもしれません。でも、一年なんてアッという間です。興味のある分野の書籍を読む、関心のある分野の資格取得を目指す、憧れの大学を見学しに行く等々、具体的な行動を伴った進路選択を始めていきましょう。望む、望まないは別として、一年後には、確実に自分の「敬和」卒業後の進路を決めなければならないのですから。

(岩原)

 

 

 

< 礼拝のお話し >

M.S.(3年)
 皆さん、こんばんは。今日は、私が今頑張っていることについて話したいと思います。今、私が頑張っていることは、時間を大切にすることです。私は小学生の頃からゲームが大好きな子でした。それは中学生になっても続き、しまいには高校生、つまり敬和やのぞみ寮に入ってからも続いていました。このゲームに費やした何百、何千時間を、勉強や交友関係、先輩と話したりすることなどに使っていたら、今の私の寮生活は、もっと違ったものになっていたと思います。これまで自分が過ごしてきた寮生活に後悔はない、といったら嘘になるかもしれません。でも、いくら過去のことを悔やんでも、時間を取り戻すことはできません。そもそも、自分の時間を自分が好きなことに使った結果なので、どうしようもないことなのかもしれません。考えるだけ無駄かもしれません。昔のことを振り返って悔やむくらいなら、それに使う時間を、何にどのように使うか考えた方がマシだと思います。私が今こうして話している時間も大切だと思います。皆さんも昔の自分の過ちを思い出してブルーになるよりは、本当に大切なことを考え、それに振り向けたらどうでしょうか。(10月6日)

 

 

H.T.(3年)
 これまでの生活を振り返ってみました。フェスティヴァルの本部や実行委員、敬和キャンプや北海道への酪農実習などたくさんのことを思い出しました。しかし、私にとって、最も強烈に印象に残っているのは、日々のバスケの自主練でした。朝から晩までやっていたのですから当然かもしれません。そういえば、「最も記憶に残る出来事というのは、日々の生活でやっている当たり前のことなんだ」と辻元先生が言っていたのを思い出しました。
 最初に自主練を始めたのはいつのことだったのか、その記憶は曖昧ですし、なぜそれを始めることになったのか、それも分かりません。どんなに練習をしたって、バスケ部に所属しているわけでもないし、そもそもそんなに激しいスポーツに耐えられる体ではないので、自主練なんてする意味はありません。そんなことをするくらいならば、勉強をした方がよかったのかしれません。でも、僕は朝ごはんを食べるとすぐに、何かに取り憑かれたように体育館へ行きバスケをし、放課後も夕食後も自主練を続けました。そして、寮に戻ると、死んだように眠るのが常でした。バスケの自主練が増えれば増えるほど、テストで取る点数は反比例するかのように下がり、授業中は寝てしまうこともありましたが、今はとても充実した日々を遅れているので、悔いはありません。たとえ、どんな形であっても、やりたいことができるようになったこと、それは僕の人生において、とても意味あることのように思います。私はそれを敬和で見つけることができました。皆さんも、日々の習慣を大切にしてみてください。ひょっとしたら、一生の思い出になるようなそんな出来事に発展するかもしれません。(10月7日)

 
S.S.(3年)
 私が敬和に入学してから2年半、その中で知ったことの一つを紹介したいと思います。突然ですが、皆さんにとって、「優しい人」とは何ですか。悲しい時、一緒にいて支えてくれる人ですか。それとも他人を助けたりしてくれる人ですか。皆さんがごく一般的に思い浮かべる「優しさ」、それも一つの「優しさ」です。でも、私はもう一つの「優しさ」の形をハッキリと知ることができました。その「優しさ」とは、普通に考えればなかなか受け入れにくいものです。言うなれば、「厳しさ」と同じようなものです。皆さんは、今までに、怒られたり叱られたりした経験があると思います。そのときは、何でこんなに厳しくするの?何でこんなに意地悪するの?と思ったはずです。でも逆に、そのお陰で、自分自身が大きく成長できるきっかけを得たこともあるはずです。人を成長させるために、あえて厳しく接する、これも「優しさ」の一つの形であると私は思います。もちろん、ただ単に厳しければいいというわけではありません。厳しいことを言った後に、他の人にケアを頼んだり、あるいはそっと見守ることも必要です。「人には厳しくて嫌なヤツ・・・」と思われることが多い人がいます。でも、その人のお陰でその人は成長できるのです。今日私が話したもう一つの「優しさ」の形を、光風館の皆が理解し、それを敬和生活の中でも生かしていってくれたら幸いです。
 3年生は、休みの日を入れても、寮にいられるのはあと100日ほどになりました。登校日は約60日です。僅かな期間ではありますが、3年生は後輩たちに何かを残せるようにしましょう。1・2年生の皆さん、敬和生活はあっという間に過ぎていきます。どうぞ、一日いちにちを大切に過ごしてください。(10月8日)

 

 

K.M.(3年)
 今日は、将来の夢についてお話したいと思います。僕は、今回、地元のある企業からから内定通知を頂くことができました。言うなれば進学ではなく、就職という道を選んだわけですが、僕は最初自分の選んだ進路に対して抵抗感がありました。それは、大学に合格してもっといろいろなことを学びたかった、という思いよりも自分が一社会人としてどう世の中を生きていけばよいのか、という不安の方が強かったからです。結果が出てしまった今、そういった迷いはほとんどなくなりましたが、全く無くなったというわけではありません。しかし、どの選択をすればいいのかとさまざまな場面で迷う度に、僕は「本当に大事なことは何を選んだかではなく、その選んだことに対してどれだけ頑張れるか」、それが一番大切なことなんだと、自分を言い聞かせるのです。
 僕は、一つの叶えたい夢があって、リゾートホテルの採用試験を受けました。しかし、ホテルマンになるということが夢ではありません。時間の都合もありますので、この場では言いませんが、今まで18年間学んできたことを糧に、ゆっくりとその夢を叶えていきたいと思います。そして、これから進路選択をしていく皆さんには、ぜひ広く遠くの視野をもって、自分の進んでいく道を決めていって欲しいです。(10月9日)