毎日の礼拝

校長のお話

2013/09/03

「空中ブランコ」(ローマ書2章1~5節)

夏休みに奥田英朗という作家の作品を読みました。

文庫本になった3冊を一気に読みました。

それぞれの物語の主人公は違うのですが、どの話にも登場する重要な人物がいます。伊良部一郎という精神科のお医者さんです。

そういう意味で3冊の本は伊良部一郎シリーズということができます。

話の一つに「空中ブランコ」があります。

サーカスで人気があるのが、ライオンやトラなどが出演する猛獣ショーで、一つは「空中ブランコ」だそうです。

この話の主人公は 山下公平という空中ブランコ乗りです。

この話で知ったのですが、空中ブランコにはそれぞれ役割がしっかり決まっています。役割にはブランコから飛び出したり、回転したりしながら向こう側のブランコに飛び移ったり、受けとめてもらったりするフライヤーと、フライヤーを受けとめるキャッチャーがいます。

空中ブランコで何より大切なのは相手との呼吸、信頼関係だそうです。

主人公の山下公平は新日本サーカスで永年№1のフライヤーとして活躍していました。ところが最近になって、キャッチャーとの呼吸が合わなくなります。

演技中にうまく捕まえてもらえず、何度も落下してしまいます。

山下はその原因がキャッチャーの内田が意地悪しているからだと考えます。

山下はすべて内田が悪いと思い、普通の会話を交わすこともしなくなります。

さらに他の人間が加わった演技でも、うまくいかなくなります。

それを内田が他の人間を丸めこんで、自分をダメにしようとしているからだと思い込みます。

山下は落下するたびに周囲を怒鳴りつけます。

そうしたことが重なったある日、「お前の受けとめ方が悪い。俺をバカにしているのか」とキャッチャーの内田を殴ってしまいます。

その後で、さすがにまずいと思い、周囲の疲れているのではないか、一度お医者さんに診てもらったらとの勧めに従って、伊良部総合病院神経科に診察を受けにやってきたわけです。



おそるおそる診察室に入った山下の目の前にいるお医者さんは、自分より少し年上のよく太った先生でした。

それが伊良部一郎でした。

戸惑っている山下に、伊良部は座るなり、注射を打ちましょう、といいます。

「これはビタミン注射だから大丈夫大丈夫」とトーンの高い声で、実になれなれしく話しかけます。

山下は、この医者大丈夫?、と思うのですが、あれよあれよという間に伊良部のペースにはまっていきます。

物語によって方法は違うのですが、伊良部は相手を自分のペースにいつの間にもっていきます。

伊良部は態度や言葉がすべて子どもじみているのですが、相手を受け入れること、安心感を与えることにおいて天才的です。

そして、いつの間にか人気者になっていきます。

空中ブランコの場合も、山下が空中ブランコ乗りだと知ると、自分もサーカスを観たい、そしてぜひ空中ブランコに乗りたい、ということで、相手が望んでもいないのに、出張診療を始めます。

そして、山下がいないところで、他のサーカス団員と仲良くなって、実際に空中ブランコの練習を始めるわけです。



山下はある日一つの決断をします。

それはフライヤーの自分をキャッチャーの内田が意地悪をして、わざと落としている場面をビデオに取って、それを内田に突きつけて徹底的にやっつけてやろうと考えました。

自信満々で映像を見た山下はびっくりするものを見ることになります。

それは颯爽とした姿勢でブランコをつかんでスイングしているはずの自分が、まるで腰をひょいと曲げたカンガルーのような不恰好で、まさにへっぴり腰でブランコにぶら下がっている姿でした。

山下はそれまでのうまくいかなかったすべての原因が自分にあることを悟ります。

今まで周囲の人たちが、それとなく気を使いながら、注意してくれてきた言葉や、気遣いにようやく気がつきました。

自分がこんな情けないことになったのは、すべて周りのせいだとしてきたことに、とても恥ずかしくなりました。

大事なのはここからです。

それまでの山下なら恥ずかしいことを恥ずかしいとして、素直に謝ったりできなかったはずです。

しかし、彼は恥ずかしさをまったく隠さないで、ありのまま、素直に生きている伊良部に出会って、自分の内側とどのように向き合えばいいのか、少しずつ知るようになっていたのです。

今日の聖書の言葉で言えば、悔い改めることから、やり直すことができる、本当の成長が始まる、ことがわかったのです。

ですから、謝るなら早い方がいいと、内田を探していいました。

『いつぞやは殴ったりしてすいませんでした。自分がああいう状態になってるなんて、夢にも思ってなくて、いやがらせをされてるんだと完全に誤解してました。すぐにはうまくいかないかもしれないけれど。明日から練習に付き合って下さい。お願いします』。

自分の内側にある思いを言葉にした時、山下の心は一気に軽くなったのです。

言葉の力というものを思い知ります。

そしてどうしてもっと早く、対話しなかったのだろうと、思うわけです。



人間は本質的に自分中心です。

自分中心に物事を考え、うまくいかないことがあると、誰かのせいにしたくなります。確かにそういうこともあるでしょう。

けれど人間関係という言葉があるように、それはあくまで関係の中で起こることであって、相手が一方的が悪い、非はすべて相手にあるということはほとんどないのです。すべてを自分以外の存在のせいにすることで、一番苦しくなるのは自分自身です。

私たちは自分を縛ってしまうしんどさから解放する手段を、すでに神様から与えられているのです。

それは「空中ブランコ」が示しているように、出会いと言葉です。

さらに「空中ブランコ」からわかるのは、それぞれが今抱えている解決できそうもないしんどさや悩みは、自分をしっかり知るための、そして大きく成長するための神様の恵みなのだということです。

そう言えるのは、今日の聖書にある、すべての人を裁くというのは、すべての人を救われる、恵みが与えられるということが前提にあるからです。

敬和学園は出会いの学校です。

言葉を大事にする学校です。私たちは恵みの中に生かされているのです。

そのことを心に刻みながら、今日から始まる新しい1週間、そして新しい月9月を共に歩んでいきましょう。