のぞみ寮通信

みぎわ館

2013/05/20

みぎわ館 第164号(5月20日)

< 第一定期テストだっ! > 

 

 寮祭・GWが終わって、ホッとする間もなくテスト1週間前に突入しました。連休明けってなんだかちょっとダラダラムードが流れてしまうのですが、今回、その空気を感じる事無く、みんなガッツリ勉強モードに切り替えていたように感じます。すごいです。

 消灯後、みぎわホールに集まっての勉強や、自室で深夜12時までの勉強は当たり前。それに加えて、空き時間に友愛館へ行き、大きな机一杯に勉強道具を広げて一心不乱にテキストと向き合っていたり、いつもは日中クッキングに夢中になる人、パソコンを楽しむ人、おしゃべりに花を咲かせる人でいっぱいのみぎわホールが大きな勉強部屋と化していたり、2人集まれば教え合って、勉強で盛り上がる(!)姿が見られます。本当によく勉強するなぁと感心します。

 友達が勉強するから私もやろうとか、ちょっと休憩…と漫画を読み始めても、仲間が「休憩終わり!」と声を掛けてくれるから、「そうだな」と気持ちを切り替えて再び取り組むことが出来るようになるのだそうです。分からない!とくじけそうになったら、得意な人がマンツーマンで教えてくれるから、諦める事無く続けることが出来るのだそうです。そんな寮内で起こる、みぎわっ子にとっては当たり前の出来事一つ一つが、試験勉強に向き合える環境作りにも一役も二役も買ってくれているのです。寮ってやっぱり素敵です。(森口)

 

 

 

 

< ☆☆夢☆☆ >

 

 先日、男子寮のお話に将来の夢について話をしてくれた生徒がいました。その中に、「夢は大人に近づくにつれて小さくなっていく。」そんな話をしてくれました。確かに・・・当たり前のことかもしれません。大人になるにつれて、現実が見えてくる。自分の能力の限界も見えてくる。寂しい話ですが、いつまでも物語を語っているわけにはいきません。

 ちなみに、女子寮の先生で、自分の夢を語ってくれた先生がいます。その先生の夢、とっても現実的でした。「私は、アラブの石油王と結婚して、玉の輿に乗るんだ。」こんなことを真面目に語ってくれた食べることが大好きなあの先生。ヤバいね・・・。

 なんで、こんな話をするのか?ふと思い出したんです。約一年前、ある女子生徒が「私にはやりたい夢があるんだ。だから学校をやめてその夢に突っ走る・・・。」最近、そのことで彼女をつっつきます。はにかんだ笑顔で、照れてます。でも、そんな笑顔にだまされません。彼女のその時の夢、なんだかわかりますか?なんと、舞妓さん・・・。舞妓さんになりたいから、学校やめる。そんなことを言う彼女に会いに、家まで行ったのを思い出しました。

 なぜ舞妓さん?当時の理由はこうです。「中学校の修学旅行で京都に行ったときに見かけて以来あこがれ続けていた。なりたいという想いをずっと引きずってきた。」で、学校やめてまで、その想いのままに行動しようとしたわけです。そんなに強い思いなのか?当然、周りの大人は引き止めます。それでも、彼女の思いは揺るぎません。でも、今ここにいるという事は、当時のその思いを押し殺したんでしょう。

 じゃ、その夢をあきらめたのか?いや、そうじゃないはずです。与えられた、自分の責任をきっちり果たして、自分の夢を追いかけよう!!つまり、敬和学園をきちんと卒業したうえで、舞妓さんを目指す。そう決意したからこそ、彼女はここでの生活を頑張っているんだ。まさに彼女の成長がここに有り!とうれしく思い改めて聞きました。

 「進路どうしたいの?」かえってきた答えは、もちろん「京都に行って修行」と思いきや、「留学したい」「へ?舞妓さんは・・・」。もしかしたら、彼女は大人の階段を一歩あがって、舞妓さんではないという気付きを与えられたのかもしれません。もしあの時、敬和を去っていたならば…。考えただけでも恐ろしい。

 という事で、自分のいろんな夢を語ることはその人の成長にもつながると思いますが、今は与えられたやるべき事柄をここでしっかりやり通すことが大切なんだという事です。ここでの生活を全うしていく中で、自分の歩むべき道を探していくことが、自分探しなんだと改めて感じさせられました。(澤野)

 

 

 

 

< 礼拝のお話 >


S.A(2年生)

 みなさんにとって、自分らしさって何ですか?自分はどんな人だと思いますか?私は、ある事に気が付くまで、自分らしさという意味がよく分かりませんでした。中学生の時の私は、一言で言うと他人の目に敏感になりすぎて、自分の殻にこもった人でした。幼稚園や小学校の頃は積極的で負けず嫌いの子どもだったらしいのですが、小5~6年あたりを境に、自分の素をさらけ出すのが怖くなって、他人の目ばかりが気になるようになってしまいました。中学校では、仲の良い人とはしゃべったり、はしゃいだりするものの、クラスとなればいつでも周りの目が気になって、他の人に合わせることが多かったように感じます。違う考え方を持っていたとしても、否定されたり、裏で何か言われることを恐れて無理して同意することが多々ありました。そんな自分が嫌になって、高校では周りを気にして自分を抑え込むのはもうやめよう、ありのままの自分で心から笑って過ごしたいと思いつつ、敬和に入学しました。しかし、そう簡単に私は変われませんでした。入学して最初こそありのままの自分でいこうと決めたものの、それによって人ともめたりして、結果やっぱり人に何を言われるかが気になって仕方がなくなって、人と素で接することに臆病になってしまう時期もありました。そんなこんなで1年生も終わろうとしていたある日、私の心に響いた礼拝のお話がありました。昨年度卒業された43回生S.Yさんのラストメッセージです。Yさんはお話の最後にこう話されました。「自分を好きになって、肯定してあげてください。自分を大切にしてあげてください。」と。私はこのメッセージを聞いて、自然と涙があふれてきました。

 それまで私はいつも他人の目を気にしてばかりでした。周りからの物差しと言うか、「みんなが○○するから」「周りがこう言うから」と、他の人からどう見られているか、どう評価されているのかばかりに目が向いていました。でも、Yさんのお話を聞いた時、やっと気づきました。私は自分を認められずに過ごしていました。そうやって自分の価値を決めつけて抑え込んでいたのは、他の誰でもない自分でした。他人の目ばかりが気になっていた私は、でも本当は誰かに大切な存在だよと言われたくて、肯定されたくて仕方がなかったのだと思います。しかし、その想いは例え言葉でなくても、私に伝えられていたのかもしれません。例えばお部屋のメンバーたち、クラスメイト、部活の仲間たちそしてみぎわの仲間たちみんなから。私が勝手にそれをシャットアウトしていたのかもしれないと、今では思います。そして同時に、自分の素・自分らしさが良く分かっていない私がいることにも気が付きました。

 それ以来、私の中で自分らしさに対する考え方が変わりました。今は自分らしさを出さない事がもったいないと思えるようにもなっています。自分の価値を決めるのは自分。だったら限りのある毎日を、自分なりに精いっぱい楽しみたいと思います。私が私自身を好きになり、そして周りの人も笑顔で幸せに出来る人になりたいなぁと思えます。私の在り様によって、笑ってくれたり、少しでも気持ちが軽く、明るくなってくれたらそれほど幸せな事ってありません。もちろん、今でもよく分からない自分がたくさんいます。しかし、敬和での残された2年間、私が私らしく生活していくために、試行錯誤しながら自分らしさを見出していきたい、いろんな私と出会っていきたいと思います。