毎日の礼拝

校長のお話

2012/10/16

「津軽百年食堂」(マタイによる福音書5章5節)

森沢昭夫という作家の作品に「津軽百年食堂」があります。

昨年映画になりました。

主演はオリエンタルラジオの中田敦彦と藤森信吾です。

津軽百年食堂とのタイトルからもわかりますが、物語の舞台は青森県の津軽地方の中心の町、弘前です。

なかなか面白い映画ですが、それほど話題にもならず、観た人はほとんどいないと思います。

私が観たのもずいぶん後になってからです。

というのはこの映画が上映されたのが、昨年の4月だからです。

3月11日に起こった東日本大震災から1ヵ月も経っていませんでした。

大震災によって多くの犠牲者を出して、不明者も大勢見つからない、被災者も各地にあふれている、電気やガスといったライフラインの復旧の目途が立たない、原発事故の深刻さが増していく、そういう中で、被災地の人はもちろん日本中の多くの人たちが、映画を観ようという気にはならなかったのは当然です。

ですから、出来の良い映画だったとしても、それほど話題になるはずはありません。オリラジの二人の演技もそこそこよくて、ふつうなら大いに評価されるはずでした。そういう意味で気の毒な映画でもあります。

こうして直前に起こった大震災のために、話題にもならなかった「津軽百年食堂」ですが、かえってそのことで、意味を持つ映画になったかも知れません。

話の中心は弘前市にある100年の歴史を持つ大森食堂です。

大森さんがやってるから「大森食堂」という名前の店になりました。

大森食堂の町の食べ物屋さんそのものです。

メニューは丼物やラーメンなどを出していますが、その中で一番の売り物は津軽蕎麦です。

物語は明治と現代の二つが並行して進んで行きます。

一つは明治42年に初代大森食堂の賢治(中田敦彦)が自分の店を開くまでです。

もう一つは現代で、大森賢治のひ孫に当たる4代目陽一(藤森慎吾)が店を継ぐことになる様子を描いています。

明治と現代の二つの話に共通するのは、登場人物は心温かく、嫌みがないことです。ですから本を読み終わった時、映画を見終わった時、何か心がほっとします。

津軽百年食堂のテーマが何か考えてみました。

キーワードは「受け継ぐ、引き継ぐ」です。

人には、その人だけが与えられ、そして持っている「何かを受け継ぎ、何かを引き受ける」ものがあるということです。

大森屋の4代目に当たる陽一が「自分が店を継いでもいい」とある場面で父親に言いました。

陽一は父親が喜んで賛成してくれると思っていたのですが、そうではありませんでした。

父親からは店を継ぐ必要はないと断られたのです。

それは店を継ぐという陽一がどこか中途半端で、そんな気持ちでは、店をうまくやって行けるはずがないと考えたからでしょう。

そして、もう一つは、店の名物である津軽蕎麦を作るのが大変面倒であったからです。そんな苦労を息子にわざわざさせたくないという思いもあったようです。

津軽蕎麦がどのようにして作られるかが描かれた箇所があります。

読んでいるだけで、手間暇がかかることがわかります。

「津軽蕎麦は東京の蕎麦とは作り方がまるで違う。

先ず蕎麦粉に熱湯を混ぜて蕎麦がきを作る、それをこぶし大の玉にして井戸水に浸けたまま一晩から二晩寝かせる。

次に呉汁と呼ばれる大豆を絞った豆乳のような汁と大豆の粉を、寝かせておいた蕎麦玉に混ぜながらよく練り、それを薄く延ばして切って、蕎麦の麺にする。

さらにこれをさまして一食ずつ分けて、さらに一晩から二晩寝かせ、いざ食べる時にさっとお湯に通して、これをだし汁に入れて食べる」。

さらに手間暇がかかるのはだし汁です。

普通使われるイワシを干した「煮干し」では津軽蕎麦に合うだし汁ができません。

イワシの頭と内臓をきれいに取ったものをきれいに水洗いし、それを串に刺して炭火でじっくり焼いてから風干しにしてようやくできる「焼き干し」を使わなければ、おいしい津軽蕎麦にはならないとのことです。
それを毎日休みなく続ける覚悟がなければ、つまり、曾じいさんの時代からの作り方を引き受ける気持ちがなければ、店を受け継ぐ資格はないと父親は陽一に言いたかったのです。

やがて陽一は、人には、その人だけが与えられ、そして持っている「何かを受け継ぎ、何かを引き受ける」ものがあるということ、自分にとってそれが津軽蕎麦だと気がつきます。

 

私はこの映画を通して、人はそれぞれ別の引き受けるもの、受け継ぐものを、持たされていることに気づかされました。

まず「津軽百年食堂」が東日本大震災の被災地の地域が物語の舞台になっていることです。

そして大震災の起こる前に映画が作られ、そして震災後に上映されたことです。

津軽百年食堂には、東日本大震災の被災者と地域の痛みを、引き受け、受け継ぐ役割が与えられたということです。

「その時」を体験し経験した人には、その人だけが引き受け、受け継がなければならないことが生じるのです。

東日本大震災の直接の被害をたまたま受けなかった、被災者にならなかった、としても2011年3月11日をそれぞれの場所で体験することになった私たちです。

その私たちには被災した人たちの悲しみや痛み、深く傷ついた被災地を忘れてはならないという役割、使命があるのです。

同じ時代を生きる者として、共に生きる姿勢を持たなければ、もし東日本大震災とは関係なく生きるなら、それは本当の意味で自分の人生を生きている、その時代を生きている、とは言えないのです。

もし無関係に生きるなら、本当の意味で生きる喜びを味わることもなく、幸福な人生を送れないということです。

気づきたいのは、私たちが今こうして生きていられるのも、それなりの毎日が送ることができているのも、時代の痛みや悲しみを引き受け、受け継いでくれている人たちがいるからです。

その人たちの存在によって、私たちは今という時を生きることができているのです。

イエス様は大勢の人たちを前に次のように言われました。
「柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ」。

イエス様は自分が生きる場所、時代が、自分に幸せと豊かさをもたらしてくれるものにするためには、痛みや悲しみを抱えながら生きている人たちに、しっかり心を寄せる人になり、寄り添う姿勢を持つことだ、言われているのです。
私はイエス様のこの呼びかけに、あらためて素直に応えられる自分になりたいと思うのです。