のぞみ寮通信

みぎわ館

2012/07/23

みぎわ館 第135号(7月23日)

< それぞれの変化 >

 あと一週間で夏休みを迎えようとしています。44人という大所帯でスタートしたみぎわ館。「一年生、どんな子たちが来てくれるのかなぁ。」とドキドキワクワクしながら待っていた2、3年生の姿が懐かしいです。また、不安と緊張の中、みぎわ館に飛び込んできてくれた1年生の姿も懐かしいです。
 あっという間の3ヶ月半。たくさんの変化と成長を目の当たりにさせてもらいました。一年生からは、張りつめていた気持ちがほぐれて流れた涙や柔らかい笑顔。失敗やおっちょこちょいなところを見せても大丈夫、むしろ隠さず見せてしまった方がいいんだということを体得していってくれたと思います。夕食の時に流れる放送「○○さん。夕食一緒に行きましょう。」の声が、“館で残っている一年生、残り一人だよー。行こうよー。”の合図だと知ったときは、驚きました!自主的に声を掛け合って、気づき合っています。ぶつかること・話し合うことを通して、横のつながりの大切さを感じてくれているようです。
 2年生は、自分たちのことに深く向き合うミーティングを重ねました。一人一人が自分・仲間と向き合い、考え、言葉にする努力を重ねていました。生みの苦しみを味わいながら、絞り出された心の言葉のエネルギーは、すごい!その“心の言葉”は嬉しかったこと・悲しかったこと・切なかったこと・寂しかったこと・辛かったこと・腹が立ったことと様々です。本音のやりとりは、心が痛くなったり苦しくなったりすることが多いけれど、自分のため・皆のために発せられた“心の言葉”は必ず相手に届くということを教えられました。なかなか届かなくて苦しくても、諦めずにチャレンジしたら、届いた!自分が変わったら、周りの反応も変わった!そんな喜びの声も聴かせてもらいました。後期もどんな風に変化していくのか楽しみです。
 6月の部屋替えで、卒業までの時を共に過ごす3年生部屋をあっという間に決めてしまった3年生。自分たちで決めた部屋になって、机に向かう姿をよく見るようになった3年生が増えました。受験のために、自分自身のこと、これまでの寮生活を振り返り、どんな成長があったか・何が自分を変えたかを一生懸命言葉にしている姿もありました。それぞれが進路に向き合う中で、どんな言葉を聴かせてもらえるか楽しみにしています。(冨井)

 

 

 

 

< 礼拝のお話 >

 *N.R(2年生)
 私の楽しみな日課の一つに、畑に通うことがあります。今日は、畑で起こったすごく嬉しかった出来事についてお話しします。
 それは、この前の祝日に畑に行った時に起こった出来事です。いつものように、半袖半ズボンにビーチサンダルで畑に行こうとしたら、道の向こうから畑をしている4人のおじさんに「おい、姉ちゃん、そんな格好で行ったら虫にさされるぞ。」と言われました。正直、また寮に戻るのが面倒くさかったのですが、着替えてまた畑にもどると、今度はまた同じおじさんたちが、「いいねー、一生懸命だね。姉ちゃん。」と再びやってきて、「ちょっとこっち来な。」と手招きをされました。少し警戒しつつ、おじさんたちの方に行くと、おじさんたちの畑で作っているスイカの割れたものを食べさせてくれました。私たちのクラス畑でも、今スイカを作っているのですが、スイカを育てるのは本当に難しくて大変なことを知っていたので、おじさんたちの厚意がすごく嬉しかったです。
 しかも、それだけではなく、スイカの育て方のコツを教えて下さったり、「来年もスイカを作るんだったらいろいろと教えるよ。」とまで言ってくださったりしたのです。どうして、見ず知らずの私にこんなに良くしてくれたのか不思議です。もしかしたら、ただの気まぐれだったのかもしれません。
 しかし、このやりとりを通して、コミュニケーションをとるってこういうことなのか!とも感じました。日頃から挨拶をすること、お礼を言うことなど大事だと言われていても、実際にそういう場面に立たないと分からないものです。きっと、私がおじさんたちに「着替えてきた方がいいよ。」とアドバイスされた時、何も言わずに通り過ぎたりお礼を言わなければ、親しくなって、畑に行く度に挨拶をしたり関わったりすることはなかったのだと思います。それは、すごくもったいないですし、これから先にある色んな可能性をつぶしているのだと思うと、大げさですが、何だか切ないです。小さな関わりだからこそ、大切にしたいものです。

 

 

 

*N.M(2年生)
 皆さんは、ウソをついたことがありますか?私は、子どもの時に、親に怒られるのが嫌でウソをついたことがあります。
 ウソが発覚した時、母は私に「ウソをついたことには怒るけれど、正直に言ってくれたら、そんなに怒らなかったよ。」と言いました。当時は、その言葉の意味が理解できずに、「どっちにしろ怒られるんじゃん。」とか、「とか言って、正直に言っても怒るんでしょ。」と思っていましたが、最近になって、ようやく分かってきました。
 「ウソ」と辞書で調べてみたところ、「真実でないこと」「偽り」などとでてきました。「ウソ」といっても「やさしいウソ」など、たまにはウソが必要なこともあると思います。そういうウソは、ダメだと思いませんが、私は、自分の欲求を満たすために相手をだまそうとするウソがいやです。
 イソップ童話の、羊飼いの少年がウソをつく話しでも、一度目二度目は信じた住民も、三度目は、本当にオオカミが来たのにも関わらず信じませんでした。それと一緒で、「ウソ」を何度もつくと、小さな「ウソ」が大きな「ウソ」になり、誰もその人のことを信じられなくなると思います。それに、人をだますことは、自分の心もだますことだと思うのです。
 それは、嫌な気持ちも一緒で、小さな嫌なことがだんだん大きな嫌なことになって、その人のことが嫌になってしまうと思うのです。
 では、もしウソが積もって誰からも信じてもらえなくなったり、嫌な人になってしまった場合、どうすればいいのでしょうか。
 それは、その逆をすればいいのだと思います。最初は信じてもらえなくても、起こった出来事に対して、少しずつ自分の心を偽りのない言葉で行動で表現して、信じてもらえるまで頑張ったり、相手が喜ぶような小さないいことをいっぱい表現したりする。焦ることなく、少しずつ着実にやっていけばいいと思います。
 でも、その言葉や行動に対する受け取り方や思うことは、人それぞれだと思います。「小さな嫌だ。」も「小さな嬉しい。」も「ありがとう。」も、思ったこと、感じたことを言葉で言っていけばいいと思います。そうすれば、小さい嫌は小さいうちに消え、小さい嬉しいや幸せは積もって大きくなると思います。
 小さいウソも小さいうちに正直になれれば、大きいウソになりません。みんなで、小さい嫌も嬉しいも幸せも、いっぱいいっぱい伝えていける素敵なみぎわ館にしていきましょう。