のぞみ寮通信

光風館

2009/07/12

光風館通信 第231号

< 前期の3カ月間を振り返って >
 2009年度が始まってから約3カ月が過ぎ、前期の終わりを迎えようとしています。光風館の皆にとって、この前期はどんな3カ月だったのでしょうか。私にとっては、この3カ月間はあっという間でした。私自身、心身が穏やかで、充実した日々を過ごせたからではないか、そんな風に考えています。それはひとえに、光風館の皆が、この3カ月間、落ち着いて寮生活をし、個人差は当然あったけれども、それぞれが成長してくれたからではないかと思っています。
 もちろん、この3カ月間、何事もなく平穏無事に過ぎていったわけではありません。小さな衝突や問題はいくつも起きました(でもね、僕は、それはごく自然のことだと思うんだ。だって、生まれや育ちが違い、考え方や価値観も異なる若者が、一つ屋根の下、40人も集まって寝食を共にしているんだもの。衝突や問題が全く起きないのはあまりにも変だし、ある意味、問題だと思うんだよね)。でも、そうした衝突や問題を自分たちの力で一つひとつ解決していけた、前期はそんな3カ月だったのではないでしょうか。
 光風館が大事にしているのは「多様性」です。いろんな考え方、価値観があっていいのです。いろんなタイプ、個性の人間がいていいのです。それが自然であり、素敵なことなのです。この大前提を見失ってしまうと、寮内で起きる衝突や問題はなかなか解決されません。「違い」を認め、それを尊重することができて、はじめてそこに歩み寄りの余地が、そして「調和」が生まれるのです。
 光風館には、昨年度あたりから、この「多様性」を認める雰囲気が定着してきたように感じています。集団生活を送る上で生じた数々の衝突や問題を、自分たちの力で一つひとつ解決できたのは、そういう素地、下地があったからこそなんだ、ということをぜひしっかりと覚えておいてください。そして、今後もこの「多様性」というものを、光風館の皆で大事にしていきましょう。
 前期を終えるにあたって、光風館の皆を褒めておきたいのは、この前期の3カ月間、光風館生の「遅刻」、「欠席」、「早退」がとても少なかったことです(「欠食」もほとんどなかったね)。「遅刻」、「欠席」、「早退」が少ないというのは、光風館生の心身の「健康」を示しています。「心」、または「身体」に何らかの「病」があると、「学校に行くぞ!」というエネルギーが湧いてこないものだからです。そういった意味において、光風館生が、この3カ月間、心身ともに「健康」に過ごせたことを、大変喜ばしく思います。これからも「心」の部分については、「病」が出ないような、仮に「病」が出てしまっても、それを癒していけるような、そんな「雰囲気」や「力」を光風館でもち続けていきましょう。「身体」の部分については、やはり「病」が出ないように、お互いに声を掛け合いながら体調管理をしっかりしていきましょう。
 さあ、これから夏休みに入ります。長期休暇に入るにあたって、光風館の皆に、3点お願いしておきます。まず一つは、ゆっくりと心と身体を休めてきてください、ということです。8月末から始まる後期の「敬和生活」を充実させるためには、やはり大きなエネルギーが必要です。その大きなエネルギーは、夏休み中にしっかりと休息することによって得られるのです(ママに甘えてもいいんだよ~!!)。
 二つ目は、夏休み中、いろんなことに挑戦したり、何かに一生懸命に取り組んだりしてください、ということです。ただ漫然と長い夏休みを過ごすには、あまりにももったいなさすぎます。旅に出たり、読書をしたりするのもいいかもしれません。部活動に力を注ぐのもいいでしょう。何でもいいので、「今年の夏休み、自分はこれをやった!!」と胸を張って言えるだけの過ごし方をして欲しいと思います。
 最後は、夏休み明けの話になりますが、光風館生は、誰一人として帰寮に遅れることなく光風館へと戻ってきて欲しい、ということです。寮は、「緩やかではありますが、慢性的なストレス下に置かれる場所」です。ですから、寮に戻るのが嫌になったり、しんどく思ったりすることがあるかもしれません。でも、それは光風館にたどり着くまでの話です(だって、戻ってきてさえしまえば、あとは愉快な仲間との楽しくてエキサイティングな生活が始まるだけなんだもの)。だから、帰寮を予定している日は、気合いを入れて「よっしゃあ、行ってくるぜ!!」と自宅の玄関を思いっきりよく出て、あとは余計なことは考えずに、まっすぐ光風館へと向かって欲しいと思います。
私自身も夏の長期休暇を満喫しようと思います(家族と旅に出たり、息子たちとプール遊びしたりしようと思うんだ)。夏休み明け、皆が元気な顔をして光風館へと戻ってくることを楽しみにしています(夏休み中、くれぐれも大きな病気や怪我をしないように気をつけるんだよ、OK?!)。
(岩原)

 

 

< 礼拝のお話し >

Y.A.(3年)
10室のYです。今日は、「悩むこと」について話そうと思います。おそらく、この中で「悩み」がない、という人はいないと思います。私は今、悩んでいることが沢山あります。それはとても辛く、時に全てを投げ出したくなる時があります。しかし、ヒトが成長する時は、悩む「時」だと思います。それは、悩んでいる時、「何故そうなったのか…」、「これからどうすればいいのか…」と真剣に考えるからであり、それが解決された時に、ヒトは一回り成長できるからです。ヒトは失敗を絶対します。「何故そのような失敗をするか…」、やはり思考し、悩むことでヒトは成長するのだと思います。全てを、最初から成功に導ける人なんていないからです。私は、悩むことや失敗することが、正直言うと、恐いです。しかし、悩みや失敗が多いほど、ヒトは成長できるのだと、私は信じています。皆さんも、いろんなことをたくさん経験し、その中で、悩み、失敗してみてください。そして、それを糧に大きく成長してください。僕たちに、それができるはずです。僕たちは、まだまだ、若いのですから。(6月3日)

 

 

M.S.(3年)
 みなさん、こんばんは。14室のMです。今日は、フェスティヴァルの一部門である「演劇」のことについて話したいと思います。演劇には、舞台に立って演じる役者と、照明や音響などに携わる裏方がいます。私は今、そのうちの裏方をしています。私がやることは、劇が始まる時や舞台が暗転した時に、さまざまな道具を運び入れたり、移動させたりすることです。もしかしたら、照明も担当することになるかもしれません。「フェスティヴァルなんてやる気ないし…、あいつがいるから俺も○○部門に入ろう」なんて感じて軽く部門を決めた人もいると思います。実は、私もその一人です。しかし、裏方という立場で、役者の人たちを見ているうちに、「自分も、やっぱり役者の方になればよかった…」と少しだけ後悔するようになりました。それは演劇の練習を重ねるごとに強くなっていきました。でも今は、私が選んだ役割ですので、最後まできちんとやり通そうと思います。僕は3年生ですので、今年で最後ですが、1・2年生の皆さんは、あと1回、あるいは2回フェスティヴァルがあります。これはフェスティヴァル以外のことでも言えますが、何か物事をする時、適当に選んで後でそのことを後悔するよりも、まずは真剣に選び、それに一生懸命取り組む方がいいと思います。(6月5日)

 

 

H.T.(3年)
 みなさん、こんばんは。今日は、私が敬和に来て変わったことについてお話しようと思います。くどいようですが、僕は昔、宮城県の進学校にいました。そこは結果が全ての世界で、早い話が、テストの点数が取れればよい、というものでした。点を稼ぐためには、間違いは許されません。より早くより正確に答えを導かなければならないのです。高校に入る為の勉強で、僕の脳みそには、「間違ったらダメだ。失敗は許されない」という回路がいつの間にかでき上がっていました。その考えはどんどんエスカレートして、日常生活まで「失敗してはいけない。怒られてはいけない」、ついには「人に頼ってばかりではその人に迷惑がかかる。自分の力だけで、物事に取り組まなければ…」という思いに駆られるようになってしまいました。
 敬和に来て今現在も、その回路は変わっていません。何しろ19年間もかけて出来上がった人格なので、それを3年やそこらで変えるのは難しいものがあります。しかし、「今の自分は客観的に見てどうなのか…?」ということに気付くことができるようになりました。今までの自分は時間をかけて何とかするにしても、今、「友だちにこんなことをしてしまった。こうしておけばよかった。こんなことをしなければよかった」ということは、早く気づけた分、修正も容易にできるように思います。なぜ、それに気付けたのか、それは僕にもよく分りません。しかし、僕は変わろうとしました。行動を起こしました。聖書にある通り、求めれば与えられるのかもしれません。例え、それが目に見えなくても、昨日の僕と今日の僕が違うように、今日のあなたと明日のあなたも違うのです。心配しなくても、物事は気付けばどうにかなるものです。今、僕はこんなことを思いながら日々生活しています。(6月6日)