のぞみ寮通信

光風館

2009/07/05

光風館通信 第230号

< 「ボランティアマン」1号、2号、3号、全員集合!! >
 あれは先週の水曜日のことでした。いつものように、私は10時半の点呼で各部屋を回っていました。4階の4室の前まで来た時、部屋の中に3人の顔が見えました。2年生のKoくんとNaくん、そして1年生のKaくんの3人でした。4室の住人は、KoくんとKaくんです(4室は数少ない2人部屋の一つなんだよね)。私は、この部屋の住人でないNaくんに「ほれ、Naくん、点呼なんだから、自分の部屋に戻りなさい」と言いながら、その部屋に足を踏み入れました。
車座になっていた3人のそれぞれの手には携帯ゲーム機がありました(卒業していった39回生、Iくんが見たら「おまえら、またゲームかよ。ハイ、没収~!!」って言っていたと思うよ)。3人は、ややバツの悪そうな、そんな顔をしながら私の顔を見上げていました。その時です。私はこの3人に共通する何かを感じました。3人とも「ゲームが大好き」という以外のことです。私は一瞬考え、そして気づきました。3人の共通項は「ボランティアが大好き!!」ということでした。
前々回の光風通信だったでしょうか。「ボランティアマン、現る」というタイトルでコラムを書きました。仰也先生が「ボランティアマン」と名付けたKaくん(1年生)が、食当(食事当番)でもないのに、未使用の食器を集めてきてくれたり、濯ぎを終えた台拭きを畳んでくれたりしていることを紹介し、「そういうことができるのは、とても素晴らしいことだね」と締め括りました。でも、よく考えてみたら、光風館には「ボランティアマン」があと二人いたんです。
「元祖」ボランティアマン、あるいはボランティアマン「1号」と呼んでもいいかもしれませんが、その人はNaくん(2年生)です。彼は、1年生の時から、人の嫌がる仕事を本当に気持ちよく、それも一生懸命やってくれています(現在進行形なんだよ)。大掃除の時は、分別ごみのチェックをしてくれ、ゴミステーションへのゴミ出しも、自ら申し出てやってくれます。水質検査も、朝の忙しい時間だというのに毎朝欠かさずやってくれています。そうなんです。彼こそが「元祖」ボランティアマン、ボランティアマン「1号」なのです。
もう一人は、Koくん(2年生)です。ボランティアマン「2号」と呼ぶことにします。彼も、人の嫌がる仕事を進んでやってくれます。テスト期間に入ると、私は皆にお夜食を出しますが、皆さんは、最後の後片付けを誰がしてくれているか知っていますか?使用した食器やお箸はジャンケンで負けた人がやっているようですが、夜食が入っていた鍋を洗ったり、テーブルを拭いたりしてくれるなど、最後の最後の後片付けをしてくれているのは、Koくんなんです。2009年度が始まる際、乱雑になっていた2階の勉強部屋を彼がひとりで綺麗にしてくれたことも記憶に新しいところです。
「人の為に、事を為す(僕の好きな言葉“Do for Others”だよ)」、本当に素晴らしいことです。ボランティアマン1号~3号に共通しているのは、そうしたボランティアをしている時の3人の顔の表情が、イキイキとしていて喜びに満ちていることです。これはもうホンモノです。ヒトは、「何か人の為に役立っている」と感じられた時に、「やりがい」、そして「生きがい」を感じる生き物です。3人のあの表情は、その域に達していることの証しだと思います。光風館の中から、さらに多くの「ボランティアマン」が出現してくれることを、私は強く願っています。(岩原)

 

 

< ところ変われば… >
前回からの続きです。デンマークという国は、皆さんにとって、どんな国でしょうか。「国名は聞いたことはあるけど、よく知らないし、馴染みがないなあ」なんて考える人が多いのではないでしょうか。でも、実はそんなことないのです。皆さんは、特に幼少期にこの国の出身である童話作家に大変お世話になっていたはずなんです。気付いた人いますか?そう、あの数々の名作を書いたアンデルセンです。『裸の王様』、『みにくいアヒルの子』、『マッチ売りの少女』、『人魚姫』などはあまりにも有名な童話ですから、皆も読んだことがあると思います。アンデルセンは70歳でこの世を去りました。葬式には、デンマークの皇太子、各国の大使、お年寄りから子供までが参列し、それは国葬並みの扱いだったそうです(それだけ、世界中の皆から愛されていたということだね)。アンデルセンについては、とても興味深い逸話が沢山あるので、これもいつか機会があったら紹介したいと思います。
さて、ドイツから乗り込んだ列車で(途中、その列車が船に収められ海を渡ったことは前回の光風館通信で書いたよね)、私はデンマークの首都、コペンハーゲンに着きました。コペンハーゲンには見どころが沢山あります。私は、ヨーロッパで最古の遊園地と言われる「チボリ公園」や「アンデルセン博物館」に行きました(アンデルセンは、「チボリ公園」によく足を運び、童話の構想を練っていたんだって)。そして、やはりアンデルセンに関係するのですが、「人魚姫」の像も見に行きました。
私が勝手に名付けたのですが、ヨーロッパには、「三大がっかり像」があります。ドイツのブレーメンにある「ブレーメンの音楽隊」像(僕はブレーメンに4年間住んでいたんだよ)、ベルギーのブリュッセルにある「小便小僧」像(あまり知られていないんだけど、近くには「小便少女」像もあるんだよ)、そして、デンマークのコペンハーゲンにある「人魚姫」像です。3つの像に共通しているのは、ひっそりとした場所に建っていて目立たないこと、それにどれも小さいことです。「人魚姫」の像も、コペンハーゲン港の近くを流れる運河の岸辺にひっそりと建っています。高さは1メートルちょっとしかありません。アンデルセンの童話に出てくるキャラクターですから、私はメルヘンチックな雰囲気を期待して行ったのですが、「人魚姫」像の背後には、運河を隔てて港湾地区(工業地帯みたいな建物群)が見えてしまい、何だか興ざめしたことを覚えています。
「三大がっかり像」は、それぞれの街の観光名所になっています。世界中から毎年多くの人々が訪れる場所です。でも、その割には、像が建っている周りは、観光地化されておらず、像自体もシンプルでコンパクトなのです。私が「がっかり」と形容してしまうのは、そんな理由に拠るのかもしれません。そして、そうした印象を持ち得てしまうのは、きわめて日本人的な感覚や発想に起因するものなのかもしれません。だって、日本だったら、確実に、著名な像の周辺には、お土産屋さんが立ち並んでいるでしょうし、その像の横には、説明が記された豪華で華美な石碑、あるいは看板があると思うからです。う~ん、やっぱり「ところ変われば」ですね。次回は、スウェーデンかノルウェーのどちらかについて書いてみたいと思います。(岩原)

 

 

< 礼拝のお話し >

Y.Y.(3年)
8室のYです。今日は、中学時代の3人の友達について紹介したいと思います。中学時代にはあまり思わなかったのですが、今思えば、その3人は本当にスゴイ奴ばかりでした。一人は、中学時代に体力測定で握力が70キロを超えていました。当時の彼は、身長が165㎝、体重は73kgで、50メートル走を7秒弱で走っていました。部活は無所属、バイトが日課でした。
もう一人は、私の幼なじみでボクシングやっていた人です。彼はブラジリアン柔術もやっていて、私はよく彼から技をかけられました。その彼は、途中からサッカー部に入部しました。ポジションはオフェンスでしたが、ある試合で、キーパーが不在だったので、彼が代わりに務めることになりました。相手側の強烈なシュートを片手で止めたことから、彼がその後、正キーパーになりました。彼も運動神経が抜群でした。
最後の一人は、ごく普通の子なのですが、釣りが好きで、よく海に行っては釣りをしていました。一年ぐらい前、私は弟と連れだって海へ釣りに出かけました。彼のことを思い出していると、遠くから、ライフジャケットを着た、漁師のような人が手を振っているのが見えました。それは彼でした。彼の手にはクーラーボックスがあり、その中には大きなクロダイが入っていました。朝の5時から夕方の4時までねばっていたそうです。彼は、釣りの全国大会に出場するほどの腕前になっていました。
今日紹介した3人は、私の中学時代の友人でした。その内の一人とは仲たがいをしてしまい、一人は全く関わりが無くなってしまい、もう一人は、時たま連絡を取り合うだけになっています。今はそんな状態ですが、私は、彼らと関わり合い、多くのことを学びました。一生の友人でいる、ということは難しいのかもしれません。学校が違うようになれば、話すこともなくなってしまうからです。でも、彼らと過ごした多くの時間は決して無駄ではなく、その時間は確かに存在しました。こうして、ヒトはまた別の人と出会い、そして同じように時間を過ごしていくのだと思います。私は、最近そんなことを思いました。
(5月28日)