のぞみ寮通信

のぞみ通信

2011/09/06

のぞみ通信 No.173(9月3日)

「夏休み雑感」          寮長 信田 智
 

 東日本大震災の傷跡も癒えぬ間に、7月末には新潟・福島を大洪水が襲い、新たに多くの被害が出てしまった。

東日本大震災の被災者の方々、7月の洪水による被災者の方々のことを思うと胸が痛みます。敬和学園では夏休み中も、校長始め多くの教師・生徒有志が東日本震災復興支援労作に行かれた。私自身は皆さんの労苦を思いつつ、校内で行われていた、いくつかの工事の監督をし、自らのなすべき勤めを果たさせていただいた。
休みの時などに、朝食(ブレックファースト)と昼食(ランチ)とを一緒に摂ることを略して、ブランチと言うそうである。我が家は今年の夏休み、ブランチにしてみた。今までは、お腹のすき具合に関わらず、朝・昼・晩、時間が来たらきちっと食事をすることを心がけてきたが、この歳になると、どうも食べ過ぎになってしまう事が多い。(夕食後は何も食べないように心がけては来たが・・・)
 
 夏休み中も日常の生活習慣は守る様にし、朝5時~5時半には起き、朝のお勤めと健康のために、1時間ほど森の中を歩くことを続けてきた。その後、軽くストレッチをしたり、花に水をやったり、草取りなどをしていい汗を流し、ゆったりとした時を過ごし、9時ごろから食事の準備にかかり、ブランチとなる。夕食は6時半~7時頃となる。食事の時間を気にしながら仕事をするのではなく、仕事に集中できる。そして、お腹がすいたところで食事となるから食事が美味しい。
何よりも、3食食事を作り、片付けをし、その他の家事をこなさなければならない妻にとっては、食事の回数が2回となり、準備、片付けの時間が少なくなり、時間的にも精神的にもゆとりが持てたようで喜んでいる。
 今なお避難所生活を強いられ、目に見えない放射線の被害と戦い、精神的にも肉体的にも苦しい思いをされている方達のことを思うと、申し訳ない思いになるが、この穏やかな生活ができる事が如何に大切なことであるかと、改めて思わされる。そして、被災地が一日でも早く復旧と復興がなされ、被災者の方々の生活に平安が訪れるようにと祈らずにはおられない。
 
近年、寮を持つ多くの学校で、その寮教育が成り立たなくなり、閉鎖に追い込まれていっている中で、のぞみ寮は、教育寮として44年間存在し続けている。ここで毎日生活している生徒達には、あまりピンと来ていないだろうが、敬和学園のぞみ寮の存在は、この時代に対する、神の恵みの生きた証しなのである。  
この夏休み中にも卒業生が何人か尋ねてきた。不自由さ不便さの中でどれだけ大切なことを学んできたか、そして寮の食事が如何に美味しいものであったか、のぞみ寮を離れて社会に出て生活をしてみると、身に染みて感じるというのです。 
今は当たり前のように思っている事が、実は当たり前ではなく、どれだけ暖かく守られ、いろいろな人たちに支えられていた事か、そして敬和学園の教育、寮教育が社会の常識を超えた素晴らしいものであるかが、身に染みて分かる時が来ます。
 
 
 
 

寮生リレー通信  (第 90 回)
 

<大望館>
 

「広島碑巡りの旅を終えて」   
 K.Y.(3年生:宮城県仙台市)
 僕は今年の夏に広島に行ってきました、僕が行った広島はとっても綺麗な所で、本当にここに原爆が落され、14万人もの命が失われたとは思えませんでした。
 実際に被爆したコウチマサコさんに当時のお話しを聞きました、憧れだった学校に入学しても勉強はほとんどさせてもらえず、兵隊の服を縫わされたり、鉄砲の弾を作らされたり、爆弾が落ちてきた時に燃え移ったら困るという事で、建物疎開として家を壊す作業をさせられていたらしいです、僕と変わらない年代の人がそんな生活を送っていたなんて、全然知りませんでした。
 原爆は、1945年、8月6日の8時15分に落されました、原爆は爆風で何もかも吹き飛ばし、熱線で全てを焼き、放射能は人体を内側から破壊しました。その威力は、コウチさんを家の下敷きにし、友人や後輩に先輩、近所に住んでいた方、そして家族さえも亡きものとし、広島を滅ぼしました。生きる気力を失ったコウチさんは、自殺をしようと川まで向かいましたが、大勢の死体の山で足の踏み場も無く、自殺を諦めたそうです。
 コウチさんが言った言葉の中でとても印象に残ったものがあります、それは「もし生まれ変わるなら平和な時代に生まれ、あなた達の様にしっかりと勉強をしたかった。」というものです、僕は「出来る事なら代わってあげたい」と強く思い、また、亡くなった方の分も精一杯生きなければと思いました。
 「平和」とはなんなのでしょうか、僕はこの広島碑巡りの旅で、一つの答えを聞きました。「平和」とは「かけがえのない一人一人に尊厳をもち、大切にすること」この言葉を聞いた時、僕はとっさにイエス・キリストが言った、最も重要な掟の一つである「隣人を自分の様に愛しなさい」という言葉を思い出しました。
 苦しむ人達に平和を与えるために、十字架に架かり死んだイエス様、今度は未来の世代である僕たちが平和を作らなければならないと、この旅で強く思いました。
 
 
 

<みぎわ館>
 

「楽しかった海外教室」
T.E.(2年生:神奈川県鎌倉市)
 この夏、海外教室に参加しアメリカに3週間行ってきました。キングオブ人見知りの私ですが、「大丈夫!問題ない!」と言い聞かせ乗り込んでいきました。しかし、私のホストファミリーもシャイでした…。そして表情が読み取れず、放置されている感に苛まれ、「もう嫌!」と思わず泣いてしまったら、「ホームシックなの?」と聞かれました。全くホームシックではなかったのですが、思わず「うん。」と答えたら、その日から毎晩寝る前にハグしてくれるようになりました。何だか幸せでした。
 ファミリーの中でもお兄ちゃんが特にシャイで、1週間くらい部屋から出てきません!でも、部屋から出てくる度にお兄ちゃんのお腹をつつくなど、スキンシップを図ってみました。微笑んでくれました。萌えました、嬉しかったです!
 時間が経つにつれ、ファミリーとだんだん仲良くなって、最後には私の誕生日が近かったので、パーティーも開いてくれました。お姉ちゃんがミッキーのケーキを焼いてくれました。「サプライズ!!!」と満面の笑みで言われたけど、前からお母さんに聞いていたので驚けません(笑)。でも嬉しかったです。
 お別れの日には何度もハグしてくれました。別れたくないほど家族が大好きになっていました。涙が止まりませんでした。
 今年の夏はポカポカ温かい思い出がたくさんたくさん出来ました。今すぐアメリカの家族の元に帰りたいです!
 
 
 
 

<光風館>
 

「被災支援労作を通して学んだこと」
K.K.(1年生:福島県会津若松市)
僕は、8月7日から11日までの第七回被災支援労作に参加しました。そこで僕が最も強く感じたことは「自然の大きさ」です。
僕は以前、教会のキャンプで今回労作をさせてもらった宮城県の七ヶ浜を訪れたことがあるので、津波の被害を受けていない時の七ヶ浜を知っています。震災前の砂浜はとてもきれいで、たくさんの人で賑わっていました。しかし、被害を受けた砂浜には仙台港から流れてきたたくさんのコンテナやゴミなどしかなく、人はほとんどいませんでした。「自然の前では人間はこんなに無力なのか」と思わざるを得ない状態でした。
最近の日本、そして世界の課題として環境問題に関することがたくさん取り上げられています。人類は今までこの世にある自然をないがしろにしてきました。原発についても同じことが言えると思います。この出来事から僕たちは学ぶべきではないでしょうか。そして、現在の生活を見直して、今ある全ての自然に感謝し、一日一日を大切に生きていくことが必要だと思います。
 
 
 
 

<めぐみ館>
 

「得させていただいたもの」
A.W.(1年生:大阪府東大阪市)
 私は今回の被災地支援労作活動を通して、今までテレビや新聞の中だけのことだった事が、身近で実際に行って、今でも苦しんでいる人がいるという事を実感できました。それに、私は、たくさんの新しく得た事がありました。私は3日間の労作をさせていただいた中で、3種類の事を学びました。
 一つ目は、一人暮らしのおばあちゃんがヘドロなどの後処理をすることの大変さ。一人でいることの寂しさ、悲しさ。
 二つ目、仮設住宅の集会所に行かせて頂いた時の事です。おばあちゃんたちの話を聞いていた時、一人の方が言いました。流されたもの、失ったものはたくさんある。だけど、ボランティアの人たちからもらった物もたくさんある。そうおっしゃった人。そして周りでのぞいてらっしゃった方々を見て、現地の人のたくましさを垣間見た気がします。
 三つ目は、津波の恐ろしさです。煉瓦の撤去作業をしていると、パソコンのキーボードや子どものおもちゃであったと思われるミニカー等。家が流された事がわかる品物が、多くありました。そして、一瞬で家が無くなる事、家が崩れるという事実を突き付けられた気がしました。
 車に乗っていると、一切、手のついていない場所がまだまだありました。本当に私に出来る事は、少ないのだと改めて思いました。
 できる事は、あまりないですが、何度も継続して、少しでも被災地の人のための力になりたいです。
 
 
 
 

<スタッフから一言>
 

 44回生を迎えて5か月が過ぎようとしています。フェスティヴァルがあり、夏休みがあり、わずかな期間ではありましたが色んなことがあったように思えてなりません。一年の折り返しがこれから始まります。いろんなことがあると思いますが、そのひと時を大事にまた、未だ不自由な生活を余儀なくされている方々がいるのだということを忘れずに、子どもたちと歩んでいきたいと思います。

大望館担任 澤野 恩