労作日記

被災支援活動

2011/08/18

第3回 被災者支援労作(6月16日~19日)

敬和学園は今年度、東日本大震災被災者のことを常に意識しながらすべてのことに取り組みたいとの願いを持っています。そこで具体的な活動の一つとして、被災地支援労作を5月から始めました。 
 

 聖書ルカによる福音書10章25節以下に「善いサマリア人」のたとえ話が書かれています。最後の部分に律法の専門家とイエス・キリストのやりとりが次のように記されています。「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」。律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこでイエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい」。この言葉に忠実であるところに敬和学園の人間教育はあると考えています。
 
 

第3回 6月16日~19日 宮城県七ヶ浜町 
 

雲仙クラス O.K.
 私が今回被災者支援労作に参加した理由は、テレビやインターネットで東日本大震災の被害の状況を知り、次々と入ってくる悲しいニュースに自分が何かできることはないか、そう思っていたことがきっかけでした。そして実際に行ってみて、初めて感じるものがあるのではないかと参加したのです。
 2日目に私は津波で流された写真の洗浄をしました。作業としてはたんたんとブラシで写真の表面をこすり、汚れを落とすだけのものでしたが、とても考えさせられました。写真を洗っていると海水の中のバクテリアが表面を腐らせて、写っていた方の顔が何もなくなってしまうということがあるとのことで、もしその人が取りに来た時、写真に残した思い出が何もなかったらどうしようと思って、写真を洗うのをためらってしまう時がありました。洗いながら、この家族が今も一緒にいて笑顔で生活できているのかなぁと思ってしまうこともありました。写真の洗浄の途中に、今までに洗った写真やアルバムなどを展示しているビニールハウスに連れて行ってもらって中を見させていただきましたが、そこにはプリクラや年賀状などもあり、自衛隊の人はひとつでも多くのものを届けたいという思いで集めたのではないかと考えました。その中に、「愛する我が子へ」と書かれたアルバムがあり、思わず涙が出てしまいました。子供の成長を書いたお母さんの気持ちがたくさんつまったアルバムが、少しでも早く家族のもとに届いて欲しいと心から思いました。そして毎日少しずつ写真を取りに来る方がいらっしゃって、ありがとうと言って帰られるというのを他のボランティアの方から聞いて、少しでも自分が役に立てたのかなとほっとしました。
 3日目は側溝の汚泥を取り除く作業でした。実際に現場に行くと被害の状況がまじまじと伝わります。そこには流された食器やかわら、ガラスなどがたくさんありました。周辺は津波が来る前は住宅地だっただろう所が土台しか残っていない光景が広がっている一方で、そこよりも高い位置にある家は何も無かったように建っていて、不思議な光景でした。
 今回参加してみて、テレビで見た時ではあまり現実味がなかった津波の状況が本当にこの日本で起きたんだと改めて実感させられました。そして少しでも役に立ちたいと思う人たちが、平日でも集まってボランティアに来ているという事実に嬉しくなりました。
 「被災された人たちの心に寄りそうことが出来る」と思うことができたので、7月の被災者支援労作も参加したいと思います。
 
 

富士クラス K.T.
 フェスティバルの終わった後、週末のみんなの顔はひどかった。疲れて、眠そうで「精も魂も尽き果てる」とはこれだと思った。しかしそれとは全く違う「生気のない顔」というものに今回出会うことになった。被災した方たちは一所懸命に復興に向けてがんばっている。だけどその全ての人が立ち直れて、元気になっていることはないんだなと三ヶ月たった今回のボランティアでも感じた。見たこともない目だった。その人に会うまで自分はわかっていなかった。
 地震が起き、ニュースのたびに増える被害者の数を見ながら、何故彼らは死ななければいけなかったのかを悩んだ。失われた側ではなく、残された側を見るのがキリスト教だと友達は言った。それでも私には納得することができなかった。津波が目の前に迫ったら何を考えるだろう。神様がどうとか何にも納得できなかった。被災者支援労作二日目の午前中、二件目の引越しを頼んだのは、この震災の残された側の人だった。何があったかなんてつまらない推測だし、無礼だけれど、多分家族や何もかも失ったその人は生きる気力も失っているようだった。そういう人が確かにいるという事が心を重くした。あの人はこれから立ち直るのかな。私たちの活動がそういう人に立ち直るきっかけを与えたりできるのかな。人の顔を見ない側溝掃除はある意味楽だ。成果に自分たちで喜び、達成感を得られる。しかしそれが本当の意味で打ちのめされた人々の助けになるのかを考えると、よくわからなくなった。きっと役には立つだろう。感謝もされるかもしれない。それでも本当にあの人が立ち直るのに必要なのが何なのか、取り残された人は救われるのか、それが知りたい。
 
 

大雪クラス K.C.
 今回の被災者支援労作を通して感じたこと、それは人と人とのつながりの大切さです。
 私は人とかかわりを持つのが好きではなく、むしろニガテでした。だからこういう泊りがけの労作は本当にいやでした。被災者支援労作には前々から参加してみたかったので、泊りがけということはガマンして参加しました。実際男子の中には同学年の人でも一言二言しか話したことのない人ばかりで少し不安でした。
 被災地に着き、周りをみると、テレビでよく見ていた光景が広がっていました。テレビで見ていた時ですら言葉を失ってしまったのに、自分の目で見た時のショックは想像以上でした。側溝の泥のかき出しをしている時も、土台しか残っていない家や、ぐしゃぐしゃになった車が数えきれないほどあり、バスの中でおもわず泣きそうになりました。
 作業中、他のボランティアの団体の方たちと協力して汚泥をかき出していると、話したこともなかった男子と自然と話せていたり、初めて会ったボランティアの人と話せていることに気が付きました。どうやって話したらいいだろう、なんて考える事もなく、普通に話せていたのは、人見知りの私にとって、とても驚きでした。一度話せてしまえば、あとは何も気にすることはなく、一日目も二日目もみんなと協力して作業することが出来ました。
 作業はなかなかキツくて汗だくになりながらやっていたのに、なぜか手を休めることが出来ませんでした。自分が出来ることはこのくらいしかないから、もっとがんばって働かないといけないと思い、ひたすら泥を運びました。でも作業が終わってから、ボランティアセンターの人たちに、「ありがとう」と言われただけで、体が軽くなった気がしました。
 今回の大地震はとても悲しいことだったと思います。でもこの地震がなかったら、こんなに人とつながることもなかったと思うと、少しだけ良かったと思ってしまいました。不謹慎だとは思いますが、この被災者支援労作があって良かったと思いました。次の機会にもできれば参加したいと思いました。