自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2024/04/22
【聖書:マタイによる福音書 7章 12節】
「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言である。」
学校では先週から、担任の先生との個別相談が行われています。
以前、私はある担任の先生に、次のような質問をしました。
「先生のクラスで、最近、担任として、何か、嬉しいと感じたことはありますか。」
先生は少し考えてから、「個別相談をやって、とてもよかったと思いました。」そう答えてくれました。
当時、その先生は2年生の担任でした。
理由を尋ねると、「2年生はクラス分けをしたばかりで、生徒一人ひとりのことが、よくわからなかった。
そのため、見かけで判断しがちだった。しかし、話を聞いてみると全然、違っている場合がたくさんあった。
普段、特定の人としか付き合わない生徒が、『今日は、今まで話をしたことのない人と話しができてよかった』と、素直に言っていた。
それを聞いて、本当はこの生徒もいろいろな人と友達になりたいと思っていることを知ることができた。
他にも生徒の色々な面を知ることができてよかった。」
そのように言っていました。
新しいクラスが楽しいと思っている人も多いと思います。
しかし、苦労している人もいると思います。
個別相談は担任の先生に、ぜひ、自分が思っていることを素直に話してみてください。
毎年、この時期、私が感じるのは2年生、3年生の変化の大きさです。
3月から、1か月しかたっていないのに、こんなに成長したのか、と思わされます。
その成長の早さは驚異的です。
なぜでしょうか。
新入生が来て、自分たちが先輩になったからだと思います。
新入生の存在が、2,3年生を変えたのです。
新入生を迎えることは学校にとって大きな喜びです。
そのことを2,3年生の変化からも感じることができます。
さて今日の聖書です。
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」
「自分が人にして欲しいと思うことを、何でもあなたも人にしてあげなさい。」という意味です。
聖書の中でも重要な教えとされ、古くから Golden Rule(黄金律)とよばれてきました。
私は、このことが人と友達になるために、大切だと思います。
自分が人に声をかけて欲しいと思ったら、待っているだけではなく、自分から誰か、近くの人に声をかけてみてください。
一人で困っている人がいれば、ぜひ声をかけ、手を差し伸べてください。
ところで、この言葉と似た言葉が、中国の古典である「論語」という本にあります。
論語は、江戸時代、寺小屋で多くの日本人が学び、暗記しました。
その教えは、今も日本人の道徳観の骨格をなすものです。
紹介します。「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」
ここで、施すとは、行うという意味です。
「自分がしたくないこと、されたくないことを、人にさせてはいけないし、人にしてはいけない」という意味です。
今日の聖書の言葉と似ています。
しかし、同じではありません。
どこがちがうのでしょうか。
聖書の言葉は、自分が人にして欲しいことをあなたも勇気を出して、人に行いなさい、と積極的に行動することを勧めます。
それに対して、論語の言葉は、自分が人にして欲しくないことは、あなたも人にしてはいけない、と行動を禁じています。
両者は、行動の方向性が全く逆です。
一方は積極的な行動を、もう一方は行動を差し控えることを命じます。
この違いはどこから生まれるのでしょうか。
そこには、キリスト教的な人間観と東洋的な人間観がそれぞれ表れているように思います。
聖書は、愛を持って、自分から積極的に人に働きかけることを教えます。
それに対し、論語は、相手を思いやり、自分が人にされたくないようなこと、相手を傷つけるようなことを決して行ってはいけない、と厳しく戒めます。
どちらか一方が正しいのではありません。
私は、両方とも大切な教えだと思います。
両者はコインの表と裏の関係に譬(たと)えられます。
求める方向性は違っていますが、その元となる精神が共通しているからです。
キリスト教ではその精神を「愛」(アガペー)とよび、論語では「仁」(思いやり)とよびます。
敬和生にはこの両方を身に着けて欲しいと願います。
つまり、キリスト教的な、相手のために一歩踏み出す勇気と、昔から日本人、そしてアジアの人たちが大事にしてきた、相手の気持ちを思いやり、行動を差し控えるモラルです。
「自分が人にしてもらいたいと思うことは、何でもあなたがたも人にしなさい。」
そして「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ。」
この二つ言葉を実行すれば、必ず友達になれます。
東洋と西洋、将来、皆さんが海外のどんな国に行っても友達に恵まれ、国際人として幸福に生活できるに違いありません。
その恵みを覚え、今日の1日、共に歩む者でありたいと願います。
今朝の敬和