自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2024/04/15
【聖書:マルコによる福音書 1章 17節】
「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」
先週の金曜日のウェルカムデーでは、新入生と在校生との対面式が行われました。
1年生が披露してくれた校歌は、声も出ていて、よく練習のしたことが伝わってきました。
2,3年生のハレルヤ合唱は、さすがだなあ、と思わされました。
1年生を、あたたかく迎える歓迎の大合唱が、力強くこのチャペルに響き渡りました。
1年生も先輩たちの歌声に驚いたのではないでしょうか。
敬和で1年、2年と過ごすことで、これだけレベルの高い合唱ができるようになることに、私自身、毎年、驚かされます。
部活動紹介も、それぞれ個性が出ていて楽しいものとなりました。
部員の皆さんは、生き生きと自分の部を紹介してくれました。
司会の生徒会の皆さんも会を盛り上げてくれました。
敬和は生徒主体の自由な校風だと、あらためて思いました。
1年生も、ぜひ、どこかの部活動に入部してみてください。
敬和生活が一段と楽しくなると思います。
さて、いよいよ、今日から、全学年、通常の授業が始まります。
何事も最初が大事です。
この一週間、それぞれ授業に前向きに取り組んでください。
特に3年生にとって3年前期は、進路決定において重要になります。
悔いのないようにしっかり学習に向かって欲しいと思います。
さて、今日の聖書です。
聖書は新約聖書と旧約聖書の2部に分かれています。
1年生も、オリキャンで與那城先生から習ったと思います。
新約聖書にはイエス・キリストの生涯とその教えが書かれています。
今日は、イエスさまが、最初に行った行為、最初にイエスさまは何をしたのかを学びたいと思います。
イエスは一人、ガリラヤ湖という湖のほとりを歩いています。
すると2人の若い漁師が湖で網を打って、魚をとっていました。
イエスは2人に声をかけます。
「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」
そして、2人はすぐに網を捨ててイエスに従った、という話です。
網は魚をとるための網です。漁師にとって最も大切なものです。
それを捨ててイエスに従った、というのです。
そして、「人間をとる漁師」とは何を意味するのでしょうか。聞きなれない言葉です。
ここで視点を変えて、漁師にとられる魚の立場になって考えてみましょう。
魚たちは湖のなかで楽しく、泳いで暮らしています。
そこでは、家族や友達と仲良く過ごしています。
ところが、ある魚が網にかかって捕らえられてしまいます。
その魚は家族や友達に別れなければなりません。
そして最後は、人間に食べられてしまうのです。
魚にしてみれば、実にありがたくない話です。
家族や仲間たちと、一緒に泳いでいる方が楽しいに決まっています。
人間だって同じです。
誰でも何気ない日常のなかに、それぞれ、ささやかな幸せを感じて生きています。
このような幸せから引き離されることは、とても辛(つら)いことです。
「人間をとる漁師」という言葉には、人間をその家族や仲間から引き離す者、という意味があるように思います。
では、一見、残酷にも聞こえる、そのような言葉を、なぜ、イエスは言ったのでしょうか。
イエスはここで、若者に、家族や仲間と過ごす以上の幸せや喜びを伝えたかったのではないか、と思います。
つまり、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と、イエスが2人の漁師に言うとき、イエスは、彼らがまだ見たことのない、未知の世界、新しい生き方へと招いているのです。
それは、彼らが生まれ育った村で、一生、漁師をしながら、家族や仲間たちと過ごすよりも、はるかに広い世界、大きな喜びや出会いにあふれた世界です。
イエスは彼らに、勇気を出して、今までの生活と決別して、自分についてきなさい、と呼びかけます。
2人はこの呼びかけに従います。
イエスが最初に行った行為は、このように若者を、新しい生き方への招くことだったのです。
新しい命(いのち)に生きるために、人は、それまでの生き方に別れを告げなければなりません。
2人の若者は大切な網を捨てました。
家族やそれまで漁師仲間とも別れ、新しい生き方に、自分を賭けて、イエスのあとに従いました。
私たちも、それぞれ不安や痛みを抱えながらも、勇気を出して、新しい一歩を踏み出さなければならない時があります。
それは若者に限ったことではありません。
新しい出発をしなければならない時は、年齢に関係なく、誰にも訪れます。
神様はそのような旅立ちを必ず祝福してくださいます。
新年度が始まりました。
新入生は、それぞれ中学校の仲間と別れ、寮生は家族とも別れ、敬和に入学しました。
2年生は、去年1年間、様々な経験を共にして、やっと親しくなりかけたクラスの仲間と離れ、新しいクラスで、新しい友達、新しい担任との学校生活をスタートさせました。
3年生はそれぞれ最高学年として、学校の中で責任ある立場を担うことになります。
全学年それぞれが、今、共にこの敬和学園で新しい生き方へと招かれています。
互いに支え合って、ぜひ、この新しい出発の時を乗り越えてください。
皆さん、一人ひとりの歩みが祝福されることを願います。