毎日の礼拝

毎日のお話

2024/04/10

與那城 初穂(聖書科)

【聖書:ルカによる福音書 19章 1-10節】

 

 『葬送のフリーレン』という作品をご存じでしょうか。わたしは漫画ではなく、アニメで観たのですが、人気の高い作品で、心に響く言葉が毎回出てきます。この作品の主人公、フリーレンは、人間ではなく、1000年以上生きることができる魔法使いです。そのため、時間の感覚が人間とは違い、人間の感情もよくわかりません。彼女には、かつて一緒に魔王を倒した仲間たちがいましたが、50年後に再会した人間の仲間たちは、すっかり年老いていました。その中の一人、リーダーであった勇者ヒンメルが亡くなると、フリーレンは彼のことを何も知ろうとしなかったことを後悔し、彼のことを、人間を知ろうと新たな旅に出ます。この時、仲間から頼まれて一緒に連れていったのが、フェルンという戦災孤児の女の子でした。彼女の16歳か17歳の誕生日を祝う場面があります。フリーレンは、「ごめん。わたしはフェルンのこと、何もわからない。だから、どんなものが好きなのかわからなくて」と言って悩んで選んだプレゼントを渡します。中には髪飾りが入っていました。フェルンは、「ありがとうございます。とても嬉しいです。」とお礼を言うのですが、フリーレンは本当に彼女が喜んでいるのかよくわかりません。その様子に、フェルンはこう言葉を続けます。「フリーレン様はどうしようもないほどに鈍い方なので、はっきりと伝えます。あなたがわたしを知ろうとしてくれたことが、たまらなく嬉しいのです。」悠久の時を生きるフリーレンが、限られた時間を生きる人間が刻む時を大事にしようとしてくれたことが何よりも嬉しい、とフェルンは伝えたかったのだろうだと思います。フリーレンも、わからなくても、相手を思って悩んだことがフェルンを喜ばせ、お互いの関係を深めたことに気づいたのでした。

 さて、先ほど、ザアカイの物語を読んでいただきました。ザアカイは町の嫌われ者です。彼が、支配者であるローマ帝国へ支払う税金を取り立てる徴税人たちのボスだったからです。かなりえげつない取り立てをさせていたようですので、お金持ちではありましたが、村八分の状態に置かれていました。ところがある日、初めて会ったイエスに声をかけられます。なぜイエスがザアカイの名前を知っていたのか、これは勝手な想像ですが、木に登ったザアカイに気づいた人たちが、彼の名前を口にしたからかもしれません。「見ろよ、木の上にあのザアカイがいるぜ。」という具合です。その様子を見聞きしたイエスは、ザアカイという人物が嫌われ者だということに気づいたのでしょう。そんな人にかかわったら、面倒です。けれどもイエスは、あえて名前を呼び、家に泊まるとまで言い出しました。町の人たちに、なぜザアカイなんかの家に泊まるのか、と変な注目を浴びるのもおかまいなしです。イエスは、誰も関わろうとしないザアカイを知ろうとしたのです。それがザアカイにとって、人生を変えてしまうような出会いとなりました。ザアカイの心の奥底にあった、本当は町の人たちに認めてもらいたい、役に立ちたい、という思いが湧きあがりました。イエスの知ろうとした行動が、ザアカイの本来の姿を引き出しました。

 人と出会い、関係ができていく時には、わたしはわたしを知ってほしい、という思いでいっぱいになることがあります。そのような時には、かっこいい自分、かわいい自分、できる自分、無害な自分、時にはあれこれ触れてほしくない自分などを表現しようとしないでしょうか。幻滅されたくないし、たいしたことないと思われたくないし、周りとうまくやっていきたいからです。ごく自然なことですが、わたしはあなたを知りたい、となったらどうでしょうか。摩擦は起こりやすいし、全部を知ることができるわけでもありません。そもそも自分のこともよくわからないのですから。しかし、その気持ちは相手に伝わりますし、一面だけを見て、相手を判断することしにくくなります。そして相手が応えてくれると、今度はこれまで気づかなかった自分自身のことを発見することにもつながっていくはずです。