自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2024/03/12
【聖句:テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章 16節~18節】
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたに望んでおられることです。」
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のぞみ寮修了礼拝での祝福の余韻が残る中、めぐみ館では引き続き「めぐみ館修了式」が2年生の進行で行われました。前夜のにぎやかな時とは違い、3年生との最後の夜をしんみりと名残惜しく過ごしました。最後のメッセージを語ってくれる3年生一人ひとりの言葉が、1,2年生のそして私の心を温かく包み込んでくれました。共に過ごした分かち合える仲間だからこそ味わえる恵みの時間であるとあらためて思います。敬和を思い祈ってくださる皆様。そして、3年間お支えいただいたご家族の皆様に感謝申し上げます。
3年生一人ひとりと担任が、敬和生活の3年間を漢字「一文字」に表しました。毎年、卒業する3年生に考えてもらうのですが、3年間を振り返り1人ひとりの思いがこもった「一文字」です。選ばれた「一文字」を入れて、最後のメッセージを贈ります。
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コロナの時代を共に過ごした仲間です。めぐみ、みぎわで出会った仲間が、今一緒に過ごして1年です。一人ひとりが敬和につながった背景は異なります。けれど私たちは出会いました。やっていけるかと悩んだ日もあったけど、素敵な時間となったのは、ここで出会った人と人との関わりを大事にし、存分に味わったからこそ。今まで出会ったことのない人たちばかりで、心の扉は開けないつもりだったけど、そうは出来なかった。心を揺さぶられる連続だった。ぶつかること傷つく事をおそれ、今まで避け続けて、目を背けてきたけれども、自分自身の課題として受け止め、どうにかしたいと向き合う覚悟をもった時に、過ごす世界感が変わっていくことを一人ひとりが実感していると私は確信しています。
どれだけ多くの優しさに励まされ続けたことでしょう。ありのままの自分でいいのだと自信をもてるようになり、変わることの不安が、チャレンジする意欲となった。誰かのためにと自分の持てる力を発揮し続けたのはあなたたち一人ひとりです。上手くいかないことも多く、大変だったけれど、大きく変わるチャンスであることを実感できた3年間でしたね。出来事一つひとつが大きな波でした。
飲み込まれそうになる辛い日々を乗り越えられたのは、どんな時も裏切らず、待っていてくれた信じられる仲間の存在があったことを、卒業の節目の時にようやく気付くことができたのは、神様の大きな恵みなのだと私は思います。
先輩に、後輩に恵まれて、満たされ続けた。喜び、幸せ、充実感でみたされた3年間。
チャレンジすることが怖くなった時、背中を押して、励まし、支えてくれたのは、ここで出会ったみんなの存在でしたね。励まし、支えられていることを素直な気持ちで受け入れることが出来た。分かち合える仲間がいる安心感。私が、私でいいのだということ。安心した仲間と過ごせる寮生活で、ぐっすりと寝ること、朝、昼、晩 3食の食事をしっかり食べることで、心と体は強く、たくましく、そして心に余裕と柔らかになったことを一人ひとりが実感しているはずです。
一歩、一歩、歩み続けた3年間を糧として、生きる力、考える力を育み続けきました。敬和での一つひとつの出来事を今後どう活かし羽ばたいていくのか、楽しみに過ごしています。すべての事がつながって私たちは今ここにいます。大丈夫!大丈夫!
これからはじまる新しい場所での出会いの中で、慌てることなく、流されることなく、自分の歩幅で歩んでいくことができると私は確信しています。焦ることはありません。人のことは変えられない。自分のことは変えられる。誰かを攻めたり、傷つけたりすることからは、幸せはみつけられません。誰かのために、自分のもつ愛を、伝え続けてほしい、誠実に歩み続けてほしいと願い続けいます。
「敬和は良かった」と縛られることなく、食事は、味わい、しっかりと食べて、順調でない人生を不器用に歩んでほしい、敬和の歩みを糧として、目の前のことにあるその先の恵みを信じつつながる人生を歩んでほしい。みなさんの幸せを心から祈っています。出会えたこと感謝します。ありがとう。
今日からあたらしい旅が始まります。いってらっしゃい。卒業おめでとう!!(小菅)
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「3年生敬和生活最後の夕食」
*お赤飯
*さつま汁
*鶏の唐揚げ・菜の花和え
*茶碗蒸し
*デザート
※3年生と食卓を囲む最後の夜。会話を楽しむ、にぎやかな声が友愛館に広がっていました。