お知らせ

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2024/03/01

今週の校長の話(2024.3.1) 「新たな旅立ち 54回卒業礼拝より」

【聖書:ヨハネの黙示録 3章 20節】

「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」

 

54回生の皆さま、そして保護者の皆さま、本日はご卒業、おめでとうございます。

54回生は中学2年の3月から高校2年の3月までの3年間、新型コロナ感染症の影響で、さまざまな制限が加えられた学校生活を送ってこられました。

当初、新型コロナの正体が分からないため、感染を防ぐために、今、思えば過剰なほど三密を避けることが呼びかけられました。

皆さんは多くのことに耐え、ときには、あきらめることを求められながら、この月日を乗り越えてきました。

 

しかし、新型コロナがもたらしたものは悪いことばかりではありません。コロナ禍だからこそ、私たちは日常の大切さに気づかされました。

例年ならば、当たり前のこととして行われていたことが、皆の協力によって実施できたとき、学園全体が達成感と喜びにつつまれました。

54回生の歩んだ道はコロナという災いに見舞われながらも、一人ひとりがそれと闘い、少しでも充実した学校生活にしようとする願いにあふれたものでした。

54回生がつくりあげたフェスティバル(学園祭)は素晴らしいものでした。4年ぶりに完全な形で行われ、自分自身はコロナのために経験できなかったことを、手探りで一から始めなければなりませんでした。

しかし、それはコロナ後を生きる皆さんにとって、新時代を拓く貴重な体験となったはずです。

 

3年次の修養会では宮城県の気仙沼市と南三陸町を訪れました。

どちらも、津波で壊滅的な被害を受け、大勢の方が亡くなった場所です。

私も同行させていただきましたが、震災遺構として、当時の状態がそのまま保存されている建物や場所に行くと、津波のすさまじさが伝わってきました。

語り部の方のお話からは、当時、そこに居合わせた人たちの心の動きまでが伝わってくるようでした。

それぞれが、命の大切さを胸に刻む修養会となりました。

そして今年の元旦、能登半島地震が発生し、新潟も大きな揺れに見舞われました。

あの同じ瞬間に能登の方々が経験されたことが明らかになるにつれ、その悲惨な状況に胸が痛みます。

 

54回生の主題聖句は、「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」です。

皆さんは、この聖句に導かれて3年間をすごしました。

今回の能登半島地震の被災された方やご家族を亡くされた方々の悲しみを思うとき、この聖句が私のなかで新たな意味を帯びて迫ってきます。

 

私たちが苦しいとき、キリストは戸口に立っていてくださる、そして戸をたたき、私たちが戸を開けるのを待っていてくださる、というのです。

私は三年前の入学礼拝のとき皆さんに、「敬和で自分探しをしてください、あきらめることなく、求め続けてください」と言いました。

しかし、今、自分探しとは、キリストが戸口に立って、戸をたたいてくださるその音に、耳を澄ますことのように思えます。

それは、神様の気配とその愛を感じながら、静かに自分と向き合うことです。

 

私たち人間の力でできることには限りがあります。

世界的パンデミックや地震などの災害に見舞われ、自然の前に、人間がどんなに小さな存在であるかを痛感します。

そして、卒業を迎え、それぞれが新たな世界に旅立とうとする今、私たちは何を大切に生きて行くべきか、あらためて考えさせられます。

 

敬和の労作では、植物の成長を身近に経験します。

一粒の種から植物は成長し、花を咲かせ、やがて実を結びます。

それは一瞬に起きることではなく、長い時間をかけて行われる自然界の営みです。

イエスは「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。」(ヨハネによる福音書12章24節)と言われました。

人生の実りも同じです。私たちの思いを超えた形でそれはもたらされます。

 

私が今まで出会った人たちで、今もなつかしく思い出される人たちがいます。

その際、その人がどのような仕事をしたか、何を成し遂げたかはあまり問題ではありません。

その人が行ったことよりも、どのような人だったか、どのように生きたかが記憶に残り、なつかしく思い出される人たちです。

その人たちは、そばにいなくても、今も私の生き方に影響を与えてくれています。

その人の生き方とその存在が私を支え、私の人生に豊かな実りをもたらしてくれているのです。

 

たしかに、人生において何を成し遂げるかは重要です。

私たちはそれを常に求められてきました。

しかし、それ以上に大切なことがあります。

それは、人がどのように生きるか、ということです。

与えられた環境のなかで、精いっぱい、自分の人生を生きているか、

そして、自分にかかわってくれた人に愛をもって接し、本人も気づかないうちに、豊かな実りをもたらすような生き方が送れているか、ということです。

 

 

先日、ヤマザキマリさんの「扉の向こう側」という本を読みました。

この本のタイトルが気になったからです。

「扉の向こう側」。今日の聖書と重なります。

ヤマザキマリさんは「テルマエ・ロマエ」など、数多くの作品を書かれた漫画家です。

日本やイタリア、ポルトガルなど、各地で暮らしながら創作活動を続けて来ました。

この本には、人生の折々に出会った、忘れられない人たちのことが、あたたかい文章と、いとおしさに満ちた絵で書きとめられています。

彼らは、等身大の、ありのままの自分を精いっぱい生きている、普通の生活者です。

 

ヤマザキさんは北海道で幼少期を過ごし、17歳で単身イタリアに渡ります。

移住した異国の地では数々の巡り合いを経験し、それらの偶然の出会いが、ヤマザキさんを漫画家へと育てて行きます。

私には、その本に描かれた、忘れられない人たちこそが、ヤマザキさんの人生を形作り、豊かな実りをもたらしてくれているように思いました。

ヤマザキさんは言います。

 

「完全な偶然の中で知り合う他人というのもまた、見知らぬ土地への旅と同じく、自分の人生観や生き方を変えるかもしれない要素を持った、未知の壮大な世界そのものだということを、自分の人生を振り返ると痛感させられるのである。」

 

偶然の中で知り合う他人こそが、自分の人生を変えてくれるかもしれない、壮大な未知の世界だ、というのです。

 

卒業を迎え、皆さんは今、人生の新たな扉の前に立っています。

扉の向こう側には、まだ見ぬ、新たな世界が広がっています。

そこには、さまざまな出会いが待っていることでしょう。

それらは、皆さんの生き方を変えるかもしれない、壮大な未知の世界です。

恐れることなく、扉を開いてください。

そして、力強く命の道へと踏み出してください。

扉の向こう側では神様が、戸をたたいて、あなたが扉を開けるのを待っていてくださいます。

 

新たな自分探しの旅を始める54回生の皆さん一人ひとりの旅を神様が導き、豊かに祝福してくださることを心より祈念いたします。

本日は、ご卒業おめでとうございます。

 

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