お知らせ

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2024/01/09

今週の校長の話(2024.1.9) 始業礼拝「自分の言葉をもつ」

【聖書:マルコによる福音書 2章 22節】

「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるものだ。」

 

 

今日から新学期が始まります。新しい年をこうして全校で迎えることができることを嬉しく思います。

ご家族とゆっくり休むことができたでしょうか。

 

元旦には能登半島で大きな地震があり、新潟も震度5の大きな揺れを経験しました。

津波警報が発令され、松浜や太夫浜でも多くの方が避難されました。

西区では今も断水が続き、避難所におられる方がいます。

石川県や上越方面の寮生については、すぐに寮の先生が安否確認をしてくださり、全員、無事であることが確認されました。

今も能登半島では、3万人以上の方が避難所で厳しい生活を送り、死者・安否不明者は500名以上とのことです。

被災地の方のことを思うと胸が痛みます。

学校として、できることは何か、今はまだわかりませんが、それが示されるように、祈りながら見守りたいと思います。

 

さて、皆さんはお正月をどのようにすごされましたか、

コロナが収束し、久しぶりに初詣に行った人も多いと思います。

年末からお正月にかけて日本人と宗教との関係がよくあらわれます。

多くの日本人は年末にはクリスマスを祝い、クリスマスプレゼントを贈ったり、夕食にはチキンを食べたりします。

そして、お正月には初詣に行き、神様に一年の無事を祈ります。

クリスマスと初詣、多くの日本人は違和感なく両方を祝います。

それだけではありません。

結婚式はキリスト教で挙げてお葬式は仏教、七五三には神社にお参りします。

日本人はさまざまな宗教を目的に応じて使い分けます。

よく考えれば不思議です。

 

これを、「いいかげん」と言う人がいるかもしれません。

しかし、ここには日本人の宗教に対する寛容な態度が表れていて、決して悪い面ばかりではないと思います。

日本は昔から色々な国の文化を受け入れ、その影響を受けながら国を作ってきたからです。

 

今も3つの宗教が、日本人の精神を形作っていると言われます。

仏教・神道・儒教です。

神道とは古くから日本にある宗教で、神社の神様を祀(まつ)るものです。

儒教とは中国で生まれ、先祖を祀り、両親や目上の人を敬うことを教えます。

江戸時代、徳川家康は儒教の教えによって国を治めようとしました。

今も日本の道徳規範の多くは、この儒教の影響を受けていると言われます。

「仏教・神道・儒教」これら3つの宗教が日本人の精神の基軸をなすものです。

 

残念ながら、そこにキリスト教は入っていません。

キリスト教は、多くの日本人にとって、まだ外国のファッションや文化と同じようなものにすぎないからです。

キリスト教が日本人の心に届き、日本人の精神を形成する基軸となるためには、もっと時間が必要なのです。

 

例えば仏教です。

インドで生まれた仏教が、朝鮮を経由して日本に渡来したのは聖徳太子の時代です。

紀元600年ころです。

当初、仏教は貴族など一部の人たちの宗教で、民衆のものではありませんでした。

仏教が民衆のものになったのは鎌倉時代です。

親鸞や日蓮、道元などの活躍により、仏教の教えは初めて民衆の心に届いたのです。

紀元1200年頃のことです。

それは、仏教が日本に渡来してから600年後のことです。

つまり仏教が日本人の宗教になるのに600年が必要だったのです。

 

それではキリスト教はどうでしょうか。

明治時代に、キリスト教が認められてからまだ150年です。

キリスト教が日本人の精神の基軸となるには、まだ時間が必要なのです。

 

敬和はキリスト教学校ですが、日本の歴史のなかでキリスト教学校の使命とは何でしょうか。

明治以来、日本の学校は、国や社会の役に立つ人間の育成を目的としてきました。

立身出世のための学校教育です。

それに対して、キリスト教学校では人格の形成を目指します。

人格教育は、聖書に記されたイエス・キリストの教えによって実現されると考えます。

個人を大切にすること、人権や多様性を尊重することは、キリスト教の教えから導かれたものです。

これらは仏教・神道・儒教にもとづく従来の日本の教育からは、なかなか出てきませんでした。

キリスト教学校の使命とは、このようなキリスト教に基づく人間観を日本の社会に提供することだと思います。

それによって日本社会が少しずつ良い方向に変えられればよいと思います。

わたし達は今、その途上にあるのです。

 

さて、今年も正月恒例の箱根駅伝が行われました。

2日間かけて東京と箱根を10人の選手がたすきをつなぎます。

今年は青山学院大学が優勝しました。

駒沢大が優勝するという、大方の予想を裏切る結果でした。

青山学院が優勝を決めた時、私はテレビを観ていたのですが、そのときの解説者、瀬古利彦さんが次のように言われました。

瀬古さんは日本陸上界の第一人者です。

 

「青山学院は箱根駅伝を変えた。

それまで、駅伝ファンは中高年の男性が中心だったが、年齢、性別を問わず幅広い層にファンを広げた。」

そして2番目に次のように言いました。

「選手たちが自分の言葉をもつようになった。」

これを聞いた時、すごいことだ、と思いました。

たしかに駅伝の選手は、監督の言うことを聞いて黙々と走り、自分のことはあまり語らない、そのようなストイックなイメージがありました。

しかし、青学はそれを変えた。

選手たちが、自分の言葉をもつようになった、というのです。

青学の選手がそうだ、というのではなく、他の大学の選手たちがその影響を受けて変わったというのです。

 

言うまでもなく青山学院はキリスト教学校です。

日本を代表するミッションスクールの一つです。

学生・生徒が自分の言葉をもつこと、それはキリスト教学校の目的ではないでしょうか。

私も、敬和生一人ひとりが、自分の言葉をもつ人になって欲しいと願っています。

それこそが人格教育の目的だと思うからです。

 

青学の学生たちは日本の駅伝を変えました。

それと同じように、キリスト教学校には日本の社会を変えて行くという使命が与えられているのです。

敬和で学ぶ皆さんにも、そのような役割が与えられていることをおぼえてください。

 

今日の聖書です。「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるものだ。」

新しいぶどう酒とはキリスト教の人間観、世界観のことです。

それを入れる新しい皮袋とは、キリスト教学校です。

2024年、この敬和で学ぶ恵みに感謝して、共に歩むものでありたいと願います。

 

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今朝の敬和