自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2023/12/04
【聖書:マルコによる福音書 2章 11~12節】
「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。
キリスト教会では昨日の日曜日からアドヴェントにはいりました。
イエス・キリストの誕生を、心を静め、祈りをもって待ち望む期間です。
今日、アドヴェント・クランツのろうそくも1本、灯(とも)されました。
4本のろうそくには、それぞれに「希望」「平和」「喜び」「愛」という意味が込められています。
1週ごとにろうそくが灯され、クリスマスにはすべてのろうそくに火が灯されます。
さて、皆さんは、自分が生まれて初めて立ち上がった時のことをおぼえているでしょうか。
おそらく、おぼえていないと思います。
しかし、生まれた時は誰も立てませんから、いつか皆さんにもそのような時があったはずです。
様々な動物のなかでも直立歩行できるのは人間だけです。
人間の子どもが、立ち上がるというのは大変なことです。
だから親にとって、子どもが初めて立ち上がるのは嬉しいことです。
皆さんの親もきっと喜んだと思います。
親が喜ぶから、子どもも得意になって、ニコニコしながら立ち続ける。
そして、よちよち歩いてみる。それを親は嬉しそうに見守っている。
そんな光景が目に浮かびます。
皆さんにも、そのようにかわいらしい時があったことでしょう。
ぜひ、今度、親にそのときのことを聞いてみてください。
以前、読んだお話を紹介します。
ある大学の先生(大田堯)が、子育ての習慣を調査するために、岐阜県の山間地の村を訪れます。
今から70年以上前のことです。
その村では「子育て」のことを、「ひとなす」(=人となす)と言うそうです。
あるとき、村のおばあさんから話しを聞いていると、隣の部屋から、はいはいをしながら赤ちゃんが入ってきました。
するとおばあさんの表情は、笑顔でくずれ、次のように言ったそうです。
「この子、その気になったら立ちますよ。」
これだけの話なのですが、おばあさんの「この子、その気になったら立ちますよ。」という言葉について、先生は次のように言っています。
『いくらまわりの環境が整っても、また体が大きく育っても、その子が、その気にならなければ立たない。そういう子育ての知恵がこの村の人のなかにはあるんだ。』
一般に子どもは、一歳半から2歳くらいの頃、初めて自分の足で立ち上がります。
しかし、どんなに体ができあがり、環境が整っても、自分が立とうという気にならなければ、その子どもは立ち上がらない、
そういう子育ての知恵がこの村の人たちにはある、と先生は言います。
幼い子どもでも、自分から立ち上がろう、という気になって、初めて立ち上がれる、というのです。
皆さんは今、思春期と呼ばれる時期を生きています。
それは精神的に自立するために、悪戦苦闘しなければならない年代です。
自立という字は「自ら立つ、」と書きます。
親から自立し、自分自身の生き方を探さなければならない年代です。
高校生はその大切な段階にあります。
色々なことを経験し、時には失敗もしながら、青年から一人前の大人へと成長するための準備をしている時期と言えます。
人によって、立ち上がる時期は違うでしょう。
早い時期に自分の生き方を決める人もいれば、時間をかけて見つける人もいます。
しかし、いずれにしても自分自身が「その気」になることが必要です。
それは、赤ちゃんが自分の足で立つのと変わりません。
どんなに周りの人の支えがあり、また本人の能力、体力が備わっていても、自分自身がその気にならなければ、立ち上がれません。
そして勇気を出して、「立ち上がろう」という気になる時、その人は立ち上がることができる。
そのような瞬間が必ず訪れる。このようなメッセージが、先ほど紹介した子育ての話からは伝わってきます。
今日の聖書です。
病気のために長いこと床にふして、起き上がれない人がいました。
イエスはその人に言います。
「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」
すると、その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した、というお話です。
この人は、イエスに出会い、「起き上がりなさい」という言葉をかけられます。
もし彼が、自分は病気で長年起き上がれないのに、この人は何を言っているのだ、そう思って聞き流していたら、寝たままだったでしょう。
しかし彼はイエスの言葉を信じ、起き上がろう、と思いました。
そして、勇気を出して立ち上がろうとしたのです。
そのとき、彼の身体に奇跡が起きます。
立ち上がった彼の身体は、神の栄光に輝いていたことでしょう。
人々はこの出来事に驚き、神を賛美します。
今日は定期テストの3日目です。
テストは自分の力で問題を解かなければなりません。
誰も代わりに解いてくれません。
自ら立ち上がらなければならない時です。
イエスの「立ち上がりなさい」という言葉は私たち一人ひとりにかけられている言葉でもあります。
私たちも勇気をもって、その呼びかけにこたえる者でありたいと願います。
今朝の敬和