お知らせ

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2023/09/04

今週の校長の話(2023.9.4)「教会キャンプ」

【聖書:マタイによる福音書 5章 43~45節】

 あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害(はくがい)する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。

 

 

敬和生は、毎朝の礼拝や聖書の授業で聖書の言葉に触れています。

しかし、多くの人は、入学後、初めて聖書を開いたのではないでしょうか。

今日は、私が初めてキリスト教と出会い、聖書の言葉に触れた時のことをお話します。

 

今の皆さんより少し若い、中学2年の夏休みのことでした。

仲の良かった友だちが、「5泊6日のキャンプがあるので参加しないか」、と誘ってくれました。

彼は、たまたま教会の隣に住んでいました。

家族ぐるみで牧師家族と親しくしていて教会のキャンプに誘われたのです。

5泊6日も家を離れ、バンガローに宿泊するというそのキャンプは、参加費も安く、楽しそうだったのですぐ参加することを決めました。

もう1人の友人も加わり3人で参加することになりました。

 

私たちは、5泊もキャンプできることに、わくわくしました。

私は栃木県で育ちましたが、キャンプは日光の中禅寺湖のほとりにあるキャンプ場で行われました。

参加者は約30名、高校生と大学生が中心で、他に教会の牧師先生とその家族、中学生は私たち3人だけでした。

しかも3人ともキリスト教とは、それまで全く関係がないところで生活して来た者でした。

ところが2日目から雨が降り始め、期間中ずっと降ったり、止んだりの天気が続きました。

そのため、屋外で予定されていたレクリエーションやハイキングはすべて中止になり、大きなテントの中で、お祈りや聖書の話しを聞くプログラムに変更になりました。

私たち3人は、休み時間には、湖のほとりで、湖に向かって石を投げて、湖面を石が3段飛びするのを競ってすごしました。

 

6日間、ほとんどキャンプ場の近くですごしたのですが、一度だけみんなで遠くに行きました。

一人、洗礼を受ける高校生がいて、そのために湖の奥の、人がほとんど行かないところに小雨のなか、1時間かけて歩いていったのです。

白い服をきた高校生が一人、牧師先生から、湖に沈められるのを、皆で讃美歌を歌いながら見ていました。

 

私たち3人は、それぞれに来たことを後悔しました。

間違って、場違いのところに来てしまったと思ったからです。

もっと楽しいキャンプを想像して参加したのに、雨は降るし、朝から晩まで聖書とお祈りばかり聞かされるし、精神的にかなり参って来たからです。

そのうちの一人はひどく文句を言い始めました。

無理もないことです。私も彼に話しを合わせていました。

 

そんな中、一つだけ、私たち3人が気づいたことがあります。

それは参加している高校生、大学生たちが、自分たち中学生を、低く見ていない、ということです。

バカにしていないし、変に子ども扱いもしない。

そのことが態度や言葉遣いからはっきり感じられたのです。

ていねいに敬語で話しかけてくれる高校生もいました。

このような高校生に会ったことは、それまでありませんでした。

他の人たちと、どこか違っているように思えました。

このことに3人が一緒に気づいたのです。

「あの人たちのそういうところはすごいと思う、」と私たちの意見が一致しました。

これが私のキリスト教との最初の出会いです。

 

さて、今日の聖書です。「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」

これは、キャンプで聞いた聖書の言葉のなかでもっとも印象的だったものです。

当時「迫害」という言葉の意味はよく分かりませんでしたが、いじめるとか暴力をふるうことだと想像しました。

「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」

このような言葉を、私はそれまで聞いたことがありませんでした。

そもそも、できるわけがないと思いました。

しかし、このような言葉を大切にして、生きようとしている人たちが現実にいることが驚きでした。

 

人は神様のまえでは平等であり、互いに愛し合い、尊敬しなけれならない、それがキリスト教の人間観です。

何も分からず参加していた中学生に対しても、リスペクトをもって接してくれた高校生や大学生たち。

彼らを支えていたのが、このような人間観だったことに私が気づくのは、ずっと後になってことです。

 

5泊6日、雨が降り続いたキャンプ。

そこには信仰を求める高校生・大学生もいたし、参加したことを後悔している私のような中学生もいました。

キャンプ最終日、皮肉なことに天気は晴れ渡りました。

帰りの、中禅寺湖を渡る船の甲板で、私はさわやかな風に吹かれながら、何か豊かなものに心が満たされるのを感じました。

このキャンプが、後に私をキリスト教に導く経験になるとはそのとき、全く考えていませんでした。

さて、今日の一日、私たちも御言葉に支えられ、それぞれがキリストの恵みのうちに歩む者でありたいと願います。

 

20230904morning

今朝の敬和