お知らせ

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2023/07/03

今週の校長の話(2023.7.3)「信じること、頑張ること」

【聖書:マルコによる福音書 10章 52節】

そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人はすぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

 

誰でも、生活していれば頑張らなければならない時があります。

先日のフェスティバルの準備にあたっても、ここは絶対に手を抜けない、頑張りどころだ、と思える場面を経験した人がいたはずです。

部活動や勉強も同じです。

どうしてもここは乗り越えなければ先に進むことができない、そのような経験です。

それらは皆さんにとって小さな試練と言えます。

 

昔から、若者が大人になるためには様々な試練を経験しなければならないと考えられてきました。

試練の内容は人それぞれ違います。時代や環境によっても違うでしょう。

しかし、それは誰にでも訪れます。

それを、どのようにして乗り越えて行くか、一人で乗り越えて行くか、それとも仲間と共に乗り越えて行くのか、それも人によってそれぞれです。

 

皆さんの年齢を思春期といいますが、思春期の試練を簡単に乗り越えて行く人もいます。

実際、気が付いたら乗り越えていた、という人もいるのです。

例えば、深い谷の上にかけられた吊り橋を渡らなければならないとします。

谷底を見て足がすくんで動けなくなってしまう人もいれば、谷底に気づかず、上の方の景色を楽しみながら、簡単に渡り終えてしまう人もいます。

どちらが良いかは分かりません。

しかし、思春期の試練を経験しないで大人になった人は、中年になってから大きな危機に見舞われることがあるとも言われます。

おそらく誰でも、人生のどこかで、それぞれに与えられた試練と向き合うことが求められているのかもしれません。

そのときは、勇気をもって向き合わなければならない。

そこが人生の頑張りどころだからです。

 

先週、雑談の中である先生が次のように言いました。

「コロナの3年間で、大人も子どもも日本中、頑張らなくなったように思う。」

コロナの期間、日本中の学校では「体調が少しでも悪かったら、無理をしないで休んでください、休んでも欠席になりません、」と言われ続けました。

コロナ以前ならば、ちょっとくらい体調が悪くても頑張って学校に行くことが当たり前でした。

アフターコロナを迎え、私たちも気持ちの切り替えをそろそろしなければいけないのかもしれません。

少しくらい苦しくても頑張って乗り越えて行く姿勢を取り戻さなければなりません。

 

そんな中、先日、聞いた教育実習生、Iさんの礼拝のお話しは印象的でした。

Iさんは敬和学園大学の4年生です。

Iさんは次のようにお話しされました。

 

「いろんな人がこのチャペルには集まっていると思いますが、一つだけ伝えたいことがあります。

頑張ることはかっこ悪いことでも恥ずかしいことでもありません。

何かに向かって必死に頑張れる人はとってもかっこいいと私は思います。

将来の夢じゃなくても、テストに向けての勉強だったり、行事に向けての準備だったり、学校のルールを守って日々を一生懸命頑張って生きている人も、私はかっこいいと思います。

今はもう何も頑張りたくない!と思っている人もいるかもしれません。

そんな人は、いつも受けている授業を普段よりちょっとだけ頑張ってみるとか、何かを少しだけ頑張ってみませんか?」

 

まっすぐで力強い言葉です。

Iさんは高校の頃から積極的な生徒でしたが、敬和学園大学に進学してさらに成長したと感じました。

今週、水曜日からは定期テストが始まります。

しっかり勉強に取り組んで欲しいと思います。

特に3年生にとっては調査書の評定が確定する重要なテストです。

まさにここが頑張りどころです。

 

今日の聖書です。

目の見えないバルティマイという人を、イエスが見えるようにしてあげるというお話です。

物乞いをしていた彼はイエスだと聞いて、「私を憐れんでください」と言って大声で叫び始めます。

イエスは彼を呼び寄せ、尋ねます。

「何をして欲しいのか。」

彼は答えます。「先生、目が見えるようになりたいのです。」

そこでイエスは言います。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

目が見えるようになったバルティマイはイエスに従った、という話です。

 

目が見えない状況、これは想像するだけでも辛い経験です。

もし、これがバルティマイに与えられた試練だったとすればあまりに厳しい試練です。

自分の力、自分の頑張りだけではどうにもならないレベルです。

しかも、このような厳しい試練に遭う可能性は私たち誰にでもあります。

 

聖書は、どのような試練も人間が自分の力だけで乗り越えられるものではない、と考えます。

神様の愛が私たちを支えてくださり、その力によって乗り越えられると考えるのです。

バルティマイは必死でイエスに助けと憐れみを求めました。

その願いにイエスは応え、彼を救います。そして彼に告げました。

「あなたの信仰があなたを救った。」

 

あなたの信仰。これはどういう意味でしょうか。

それは神様の愛、イエス様の愛を信じるということです。

信じて自分のすべてをその愛にゆだねることです。

そのとき、奇跡は起きる。聖書はそのように私たちに告げます。

 

さて、今日は頑張ることの大切さをお話しました。

しかし、私たちの頑張りだけで、ものごとが成し遂げられるわけではありません。

神様が、私たちの頑張りを背後から支え、完成へと導いてくださっているのです。

そして、神様は、その人が乗り越えることのできない試練は決してお与えになりません。

その人が乗り越えることのできる試練をお与えになるのです。

その恵みに感謝して、この週も共に歩む者でありたいと願います。

 

0703eye

今朝の敬和