自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2023/05/29
【聖書:コリントの信徒への手紙一 12章 25~26節】
それで、体に分裂が起こらず、各部分が配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。
キリスト教会では昨日、ペンテコステ礼拝が行われました。
ペンテコステ? 初めて聞いた人も多いと思います。
キリスト教の3大行事の一つです。3大行事とはクリスマス、イースターそしてペンテコステです。
日本ではクリスマスが圧倒的に有名です。
ペンテコステとは、キリストの復活から50日後、弟子や信徒たちの上に聖霊が降ってきた出来事のことです。
ペンテコステは、ギリシア語で50日目という意味です。
聖霊とは、聖なる霊と書きますが、神様の息吹、命の息吹を意味します。
クリスマスがイエス・キリストの誕生を祝う日とすれば、ペンテコステは教会の誕生を祝う日とされています。
教会の誕生日がペンテコステなのです。
ではなぜ、ペンテコステが教会の誕生日とよばれるのでしょうか。
それは、イエスが十字架で亡くなり、悲しみと絶望に打ちのめされ、目的を失っていたイエスの弟子たちが、この出来事によって変えられたからです。
彼らは、世界中にキリストの教えを伝える伝道者へと変えられて行ったのです。
かつて、イエスは弟子たちに次のように告げました。
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの上で、また、地の果てに至るまで、私の証人となる」(使徒言行録1章8節)。
その言葉が実現し、彼らの上に聖霊が降った出来事がペンテコステだったのです。
ペンテコステの出来事をとおして、弟子たちはイエスから大きな使命を託されたとも言えます。
イエスからバトンを渡されたのです。
弟子たちはイエスが、その生涯をとおして示してくださった神の愛、自分たちを愛してくださったその愛を、今度は自分たちが人々に伝えよう、そのために彼らは立ち上がったのです。
それが、キリスト教会、誕生の瞬間でした。
その時、彼らはそれぞれの違いを超えて一つになることができたのです。
今日の聖書は、使徒パウロがコリントという町にある教会の人に宛てて書いた手紙の一部です。
当時、コリントの教会には分裂と対立がありました。
教会には様々な能力(賜物)をもつ人がいて、一つにまとまることができなかったのです。
パウロは次のように言います。
それぞれに与えられた能力は、自分の力で獲得したというより、すべて神様からいただいたものだ。
ペンテコステの出来事は一度限りのことではなく、そのとき降った聖霊は今も、それぞれの人に働き、様々な能力を与えてくださっている。
コリントの教会の人はバラバラに見えても、皆、同じ目的のために集められている。
だから、対立するのではなく、神の愛を伝えるという共通の目的のために力を合わせようではないか。
さらにパウロは、体とそれぞれの部分についての有名な譬えをあげます。
「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。足が、『私は手でないから、体の一部でない』と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。神は、ご自分の望みのままに、一つ一つの部分を置かれたのです。
だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。」(コリントの信徒への手紙1 12章14節以下)
説得力のある言葉です。
私はこの譬えからフェスティバルの連合活動をイメージしました。
各連合にも様々な人がいます。
運動が得意な人と苦手な人、歌が上手な人と得意でない人、勉強が好きな人と勉強が嫌いな人、絵が得意な人と苦手な人、人前に出て話すのが好きな人とそれよりも裏方が働く方が好きな人、リーダーシップを取れる人とリーダーを支えることが上手な人、本当に様々です。
しかし、すべての人が連合になくてはならない存在です。
一人一人が、一つの目的のために集められている一部分なのです。
その目的とは、みんなが心から楽しいと思えるフェスティバルをつくり上げることです。
「新時代、Blooming Revolution」 を実現することです。
全連合が協力して、今まで見たこともない大きな花を咲かせることです。
パウロは手紙を次のように続けます。
「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。」
そして「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」
弱い立場の人が大切にされること、そして苦しみと喜びを共に分かち合うこと、これこそがフェスティバルの精神であり、敬和教育が求めるものです。
先週、敬和学園大学の宗教部長の先生とお話しする機会がありました。
そのとき先生は、高校から入学した学生について次のように話されました。
敬和学園高校から来た学生は、決して、人を外に追いやることをしない。
どんなに変わっている人や弱い立場の人がいても、その人を必ず輪の中に留めてくれる。
他の先生も、「そういうところが敬和高校の生徒は違う、とても安心できる。」
このように話してくださいました。
私は大変、嬉しく思いました。
さすがは敬和の卒業生だ、と思いました。
さて、フェスティバルまで2週間を切りました。
いよいよ来週には本番です。
各連合、練習と準備に励み、すばらしいフェスティバルをつくり上げてください。
今朝の敬和