お知らせ

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2023/04/17

今週の校長の話(2023.4.17)「6か国転校生 ナージャの発見」

【聖書:コリントの信徒への手紙二 12章 9節】

すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。」だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

 

 

先日、「6か国転校生 ナージャの発見」(集英社)という本を読みました。内容を紹介したいと思います。

作者のキリーロバ・ナージャさんはロシアがまだソ連だった1980年代、レニングラードに生まれました。

彼女の父親は数学者、母親は物理学者。両親の仕事の都合でロシア、日本、イギリス、フランス、アメリカ、カナダの学校を転々とします。

国が変われば、その国の「ふつう」が変わるといいます。

 

例えば、筆記用具です。

先ず、イギリスの学校に転校してビックリしたのは、みんな鉛筆を使って文字を書いていることでした。

ロシアの学校では、文字を書くときは必ずぺンを使います。

ペンは一度書いたら終わりだから、書く前に何をどう書くかをよく考えます。

しかし、文章を書きやすいのは鉛筆の方です。

ロシアとフランスではペンを使い、鉛筆を使っているのは日本、イギリス、アメリカ、カナダです。

 

教室の座席も国によってさまざまです。

日本の小学校では基本、一人席ですが、ロシアは男女ペアでひとつの長めの机に座ります。

ロシアと日本では、みんなが前を向いて座ります。

 

イギリスでは、5,6人がひとつのテーブルに座ります。

算数の問題など、テーブルのメンバーで答えを出します。

みんなでチェックして、ひとつの答えを選び、テーブルごとに先生に発表します。

 

フランスでは机が円を作るように並んでいて、授業が始まると先生が円の中に入って、必要になったら子どものところへ行く形式です。

この座り方だと子どもが常にメインで、先生の投げかけた問いに、みんな激しく議論します。

まるで小さな国連のようだといいます。

 

アメリカでは、円を作るように机が並んでいて、その円の中にソファがいくつかあって、まるでリビングのようです。

個人作業をするときは、机に向かい、先生の話を聞くときはソファに座って聞く。

目的に応じて座り方を変える方式です。

先生は偉い人というより、親戚のような感覚になるといいます。

 

体育の授業の整列の仕方もさまざまです。

ロシアでは背が高い順番に一列に並びます。

ナージャさんは背が一番高いので列の先頭でした。

背が高い人はみんなの見本です。その人を目指してみんな頑張るそうです。

 

ところが、日本に転校したとき、いきなり列の一番後ろになりました。

背の低い順に並ぶからです。

最初、ちょっと不満でした。

「でも、あなたが前に来るとみんなが見えないでしょ?後ろの人が上達しづらいでしょう?」と先生が説明してくれました。

日本では、思いやりが大事にされているんだ、と納得しました。

 

日本の体育の授業では、チーム戦のスポーツが多い印象でした。

そこでは勝つためにいかにチームで力を合わせるかがポイントになります。

誰が一番ということよりも、チームで勝つことの方が大事だった。

All for One, One for All の精神を感じる体育だったといいます。

 

アメリカでは、決まった体操着もなく、みんなおのおの動きやすい服装に着替えていました。

整列するという概念などありません。先生の周りに児童があぐらをかいて座ります。

体育は、身体を動かすことを楽しむことが目的で、勝負をする場ではありませんでした。

 

フランスも同じです。

整列どころか学校に体育館もありません。そのスポーツに合わせた施設にみんなで行くそうです。

身体を動かすことが目的で、勝敗を決めるスポーツは少なかった。

「勝負」を教える日本やロシアの体育、それに対して身体を動かす楽しさを教えるアメリカやフランス。

国によってさまざまです。

 

テストについてです。

日本の中学校に転校したとき、登校初日に数学の抜き打ちテストがありました。

数学には自信があったので一生懸命問題を解きました。

ところが0点でした。

先生に抗議したら、予想外の答えが返ってきました。

「君の答えは合っているが、数字の書き方が間違っている。」

ナージャさんは数字を角ばったり、丸めに書きます。それが自分の個性だと思っていました。

日本の生徒は、パソコンのフォントと同じような数字を書いていました。

0点には納得いきませんでしたが、日本では、何事もカタチが大事なことを知りました。

 

フランスでは80パーセント以上の評価をとるのは難しいといいます。

5段階で言えば、どんなによくできても、5はつきません。

あるとき先生に理由を聞いてみました。先生は次のように答えました。

「満点はパーフェクトを意味するけど、パーフェクトとは、よっぽどのことがないかぎり起きない状態だ。そう簡単に出合えるものではない。人生で何度かしか起きないことだ」。

ナージャさんは先生の説明に納得しました。そして、いつか先生が感動するほどの解答を出してみたいと思いました。

 

最後にナージャさんは次のように書いています。

国が変わるとその国の「ふつう」が変わる。

子どもの頃は「ふつう」でいたいから、周りに合わせていた。

「ふつう」じゃないことを恥ずかしいと思った。

でも、コロコロ変わる「ふつう」になかなか追いつけない。

あるとき気づいた。

絶対的な「ふつう」はないということに。

そうすると、周りとは違っている自分の「ふつう」こそが、自分の個性ではないか、と思うようになった。

自分の個性の原料がそこにある、と思った。

 

ナージャさんの歩みは、さまざまな「ふつう」と出会いながら、他の誰とも違う自分の個性を発見する、自分探しの旅だったと言えます。

 

その後、ナージャさんは、日本の大学に進学し、大手広告代理店に就職しました。

2015年には、世界コピーライターランキング1位に選ばれるなど国際的に活躍されています。

 

今日の聖書です。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」

人は自分の弱点をマイナスに考えます。

しかし、パウロは言います。

「そうではない、その人の弱点にこそ神様の力は現れる。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。

だから、弱点を恥ずかしく思うのではなく、むしろその弱さを誇ろうではないか。」

 

これは、コロコロ変わるその国の「ふつう」に合わせようとして、悩み続けたナージャさんの姿に重なります。

個性が一番表れるのは、その人の弱さにおいてです。

ナージャさんは後に語っています。

「自分の一番弱い、すぐに壊れてしまいそうなことをさらけ出す。それが個性を出すということではないか。」(朝日新聞「天声人語」2023.1.9)

 

私たちも、自分の弱点を、かけがえのない個性として受け入れることのできる者でありたいと願います。

そして、お互いが安心して個性を出すことのできる学園でありたいと願います。

 

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今朝の敬和