毎日の礼拝

毎日のお話

2022/12/13

ハグマン アンダース(英語科)

ヘブライ人への手紙 13章 16節

 

皆さん、おはようございます。

 

今日は私が今までにもらった、最高のプレゼントについてお話ししたいと思います。

 

クリスマスが迫ってきているので、皆さんにこれをお話しするのにとても良い時期だと思います。

 

初めに、アメリカではクリスマスの祝い方がかなり違うということを、お話ししなければなりません。

 

皆さんのほとんどがおそらく子どもの時にプレゼントをもらって、ケーキを食べるという日本とは違って、

 

アメリカでは、私たちは親たち、兄弟姉妹、親戚の人たち、そして友達たちからさえ、数多くのプレゼントをもらいます。

 

そしてたぶん、もし私たちがお行儀よくしていればサンタさんからも。

 

私の家族の伝統は、教会でのキャンドルサービスの直後のクリスマスイブに、ツリーの下にある大きなプレゼントを開けることでした。

 

3時間半のドライブで、おじいちゃん、おばあちゃんの家に行って、大祝賀会をやるその前に、私たちはかつてクリスマスの朝に、クリスマスの靴下の中にあるプレゼントを開けたものです

 

そしてもちろん、開けるとどんどんプレゼントが出てくるのです。

 

私の両親は、私の兄弟(姉妹)全員をハッピーにするために最善を尽くしてくれました。そして、みんなに同じ量のプレゼントをくれたのです。

 

しかし、私が8歳のある年、私のプレゼントが他の兄弟(姉妹)よりずっと少なかったのです。

私は服とその他の役立つものをもらいましたが、おもちゃは入っていませんでした。

 

私はがっかりしましたが、文句は言いませんでした。

 

その年、私はあまりいい子ではなかったのを知っていたからです。

 

私はよく姉たちとけんかをして、おつかいをなまけて、母に口答えもしました。

 

さらに、宿題をするようにとか、歯を磨くように言われた時に文句を言ったりもしました。

 

たぶん、おもちゃをもらう資格がないと思ったのでしょう。

 

文句は言いませんでしたが、私の失望は悟られてしまいました。

 

しかしその時私はそのことを知りませんでした。

 

プレゼントをすべて開けた時、全てがはっきりしました。

 

新しくもらったセーターを着て協会に行きました。

 

教会でのサービスの後、家に帰ってテレビでクリスマススペシャルを見て寝ました。

 

でも起きていた人がいたのです。

 

私が寝ている間に、父が姉たちから私がおもちゃを全くもらってないということを聞いて、プレゼントを買いに外出したのです。

 

実際、私の兄弟(姉妹)たちはクリスマスを最高のものにするためにみんなで協力しあいました。

それがどれほど大変だったかを理解するために。

 

私が子どもだった1970年には、小さな町のお店はどこもクリスマスイブには開いていませんでした。

 

そして、私の町は最寄りの大都市までおよそ2時間もかかったのです。

 

さらに、良いプレゼントを在庫として持っているお店を探すのは、とても難しいことでした。

 

どうにかして父は、プレゼントを一つ見つけてくれました。

 

それはクリスマスまでずっとテレビのCMで流れていた、アクションフィギュアでした。

 

「カンフーグリップとGIジョー」というものでした。

 

次の朝、みんなと一緒に靴下を開けようと階下に降りてみると、家族の誰もリビングにいませんでした。

 

靴下は全部そこにありましたが、みんなの声が両親の部屋から聞こえました。

 

一番上の姉が、私に来るように呼んでいました。

 

私がその部屋に入った時、姉や兄たちはみんなベッドの周りにいました。父と母はまだパジャマを着てベッドにいましたが、彼らの間に包装されたプレゼントの箱がいくつかありました。

 

それらは全て私へのプレゼントでした。

 

みんなは行き違いがあったと言い、申し訳なさそうにしていました。

 

みんなで靴下を開けるためにリビングに行く前に、私にそのプレゼントを開けるように言いました。

 

私は感動してみんなに賛成しました。

 

その箱に入っていたのは全て小さなおもちゃでしたが、姉たちが父に頼んで夜遅くに買い物に行ってもらった時のものでした。

 

みんなは自分たちのお小遣いを使ったのです。

 

私の双子の姉と、弟さえもお金を出し合って私にお菓子を買ってくれました。

 

兄弟(姉妹)たちみんなは、私がプレゼントをもらえずにすねているかと、とても心配していたのです。

 

実際そうだったと認めなければなりません。

 

たぶん私は、それは当然の報いだったと思っていたのでしょう。

 

正直言って、私はいい子ではなかったですし、兄弟(姉妹)たちとくだらないことでしょっちゅうけんかもしていました。

 

最後の箱は父と母からのものでした。

 

それが全部の中で一番大きいものでした。

 

それは私が「カンフーグリップとGIジョー」をもらった時でした。

 

私は彼を何度もテレビで見ました。

 

私はそのおもちゃを欲しいとは全く思っていませんでしたが、そのプレゼントは今でも全てのプレゼントの中で一番のお気に入りなのです。

 

私は大人になってもずっとそれを取っていました。

 

そしてそのおもちゃで遊ぶのはとても楽しいことなのです。

 

しかし彼の一番の魅力は彼が表しているものなのです。

 

彼が表しているのは、私の家族全員が私は彼らにとって良い兄弟ではなく、良い息子でもなかったのに、私に対して愛情をもってくれていたということです。

 

私たちはみんなよくけんかをしたのです。

 

特に姉たちとは。

 

しかしそのクリスマスに、みんなはその行き違いをただすために一致協力して、私にかつてないほどの最高の思い出を与えてくれたのです。

特に父が。

 

父がそんなに夜遅くクリスマスイブの晩に、わんぱく息子(おそらくプレゼントをもらう資格のない)にクリスマスプレゼントを買うために、遠く離れた町に買い物に出るのがどんなに大変だったか想像がつきません。それでも父は行ってくれたのです。

 

父とその他の家族の私に対する愛情が、そのクリスマスを最高のものにさせたのです。

 

彼らの愛情で、そのプレゼントが今までにもらった最高のものとなったのです。

 

皆さんのクリスマスも愛情に満ちたものでありますように。

 

まだクリスマスまで12日あるのは分かっていますが、メリークリスマス。

 

お祈りしましょう。