のぞみ寮通信

のぞみ通信

2009/06/21

父との出会い

幼くして父に死に別れた私は、父親に叱られた記憶も、愛された記憶も無く、一緒に遊んだ記憶も無い。あるのはただ(当時死の病と言われていた結核で入院し、お見舞いにもいけない)病気の父の記憶と、病院のベッドに横たわって永遠の眠りに付いた父の姿、そして父の葬儀の様子、そして、写真で見る父の姿だけである。
それゆえ、父親の愛がどの様なものか、どの様にして子供を愛したらよいのか、その手本となる記憶が全く無く、子供を育てることにおいて全く手繰り状態であった。それと、人間として、父親として未熟であった私は、自分が置かれていた環境もあいまって、妻にも長男にも可哀想なほどゆうずうのきかない関わり方をしてしまった。
週一度の公の休みに、家族で公園に行き遊んでいても、気持ちの上では、世間の人たちが働いているのに自分だけゆっくり休んでいる事ができず、公とプライバシーの切り替えができないで、家族に辛い思いをさせてしまったこともある。それもひとつの要因になったのか、妻は病気を引き負ってしまった。
お父さん!と呼びかけ、父と人生を語る、あるいは叱られたり、励まされたりする父を知らなかった私に、お父さん!と呼びかけ、自分の弱さも悲しみも、在りのままの自分をさらけ出し、語りかける事のできる父が与えられたのは、高校1年生の頃でした。
中学3年の2月、2歳上の兄の死を経験し、人生とは何か、何のために生きるのか。そんなことを考えるようになり、教会に行けば教えてくれるかもしれないと思い、教会に通いだした。
そこでイエス・キリストと出会い、父なる神様!と呼びかけ、親しく交わる事のできる父を与えられた。この父は、私たちの弱さも悲しみも、力も喜びも、私たちの経験全てを、私が自分で自分を理解する以上に深く理解し、折に合う助けと力を与えてくださるお方であった。
素晴らしい、良き父を与えられた事を深く感謝している。
寮長 信田 智(2009・6・21)