自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2022/08/29
校長 小田中 肇
【聖書:コリントの信徒への手紙一 3章6~7節】
「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」
夏休みが終わり、新学期が始まりました。
皆さん気づいたでしょうか。チャペルの鐘が鳴りました。礼拝の開始を知らせる鐘です。
4年前に故障してから鳴りませんでした。多くの方の献金によって8月に改修工事が行われました。
チャペルの鐘は敬和の大切なシンボルです。4年ぶりに聞く懐かしい響きでした。
さて、今年も暑い夏でした。
それに加えて、村上方面では大雨による水害に襲われ、連日、その被害状況が全国ニュースで報道されました。
この大雨の怖いのはピンポイントで短時間に大量の雨が降ること、そしてそれがどこに降るのか予想がつかないことです。
日本の気候はこの10年、20年で大きく変化してしまいました。
この猛暑と局所的大雨、その原因は明らかになっています。
地球の温暖化です。
温暖化により、北極の気温が上昇したため、北極と赤道付近との温度差が小さくなりました。
そのため、本来、まっすぐ西から東に吹いている偏西風が蛇行するようになったといいます。
それが原因でこのような異常気象が生まれるのです。
日本だけではありません。涼しいはずのヨーロッパも今年は、連日40度から50度の気温でした。これも偏西風の蛇行が原因です。
世界の様々なところで、干ばつや山火事も起きています。その規模は私たち日本人の想像をはるかに超えるものです。
地球温暖化の問題について、私たちはもっと真剣に考えなければならないとこの夏、あらためて思いました。
日本人は、この問題について意識が低いと言われています。
私たちは、今、何が問題かを学び、そのために行動することが求められています。
さて、8月と言えば、77年前、日本が大きな戦争に敗れた月です。そのために平和に関する行事が日本中で行われました。
広島、長崎の原爆で犠牲になった方を慰霊するための平和記念式典が、それぞれ8月6日、9日に行われました。
広島には、今年は敬和生が現地に行っていることを思いながら、私はテレビを見ていました。
ウクライナの戦争があり、核の脅威が現実のものとなっている状況での式典でしたから、例年より何か、力が入っている印象を受けました。
式典のなかの挨拶で、ある方が次のようなお話しをされました。
「核兵器の存在が戦争の抑止力になっている、だから核兵器を無くすことは現実的ではない、」という人が今もいるが、それは間違いだ。
「大量の核兵器を所有することで、いつ、それが実際に用いられるか分からない状況に世界中がおかれている。これは人類の存亡にかかわる危険な状態だ。
だから核兵器を無くすことこそが、平和を実現するための、もっとも現実的な方法だ。」
このように述べられました。今の世界の状況を考えると説得力のある言葉だと思いました。
8月12日の朝、新潟日報を開いてみると、「ヒロシマ碑めぐり」に参加した敬和生のことが大きく、写真入りで紹介されていました。
「原爆の記憶 五感で感じ」という見出しです。何人かの敬和生の言葉が紹介されていました。
私はこの記事に大変、励まされ、敬和の教育に希望を感じました。
コロナのために2年間は広島に訪問できなかったため、3年ぶりになる広島訪問には、広島に足を運べないまま卒業した5人が、在校生と共に参加したことも紹介されていました。
卒業後も敬和の教育を大切にして参加した人が5名もいたことを知って、「これはすごいことだ、敬和生らしい話だ、」とあらためて思いました。
この新聞記事は教務室前に掲示してあります。
この他に、もう一つ嬉しいことがありました。
ある卒業生が二人の子供を連れて家族で学校まで、会いに来てくれたことです。
夫婦はとも敬和の卒業生です。夫のNさんは25回卒業で、私が3年間担任をもちました。
お連れ合いは、私が当時、顧問をしていた剣道部の部員で、26回卒業のTさんです。
卒業後、二人は結婚し、今、アメリカのニュージャジーに住み、夫のNさんはニューヨークで食品の輸入関係の仕事をしているそうです。
子どもは二人です。
久しぶりに日本に里帰りして、Tさんの実家のある上越市から、わざわざ敬和まで来てくれました。
二人とも見違えるほど立派になっていました。
洗練され、すてきなご家族でした。
二人が卒業したとき、まだチャペルはありませんでしたが、チャペルにある卒業生の名前が刻まれたプレートを懐かしそうに見ていました。
教師をしていて、卒業生が幸せに暮らしていることを知ることほど嬉しいことはありません。
私も楽しい時間を一緒にすごすことができました。
「教育とは未来を生きることだ、」という言葉があります。
それを聞いた時、何のことかよく分かりませんでした。しかし、最近、少し分かる気がします。
二人が敬和生として在籍していた当時、私はこのような時が訪れるとは思っていませんでした。
あの当時の未来が今、現実になっている、
そして、あの当時、自分たちはそれぞれの今を生きるとともに、それだけではなく、何十年後かの未来を共に生きていたのだ。
楽しそうなご家族を眺めながら、私はそのように感じました。
さて、今日の聖書です。
「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」
これはパウロという人が植物の例えを用いて神様の働きについて述べた言葉です。
自分が植物を植え、アポロという人が水を注いだ。
しかし、その植物を成長させてくださったのは、自分でもアポロンでもない、
神様だ、というのです。
人間の成長も同じです。親や教師は水をやったり、様々な世話をします。
しかし、本当に成長させてくださっているのは神様です。
誰も神様を目に見ることはできません。しかし、その働きを私たちは毎日、心の目で見て、感じているはずです。
その働きに気づくこと、そこに希望が生まれます。
今、私たちが生きるこの世界には様々な問題があります。数え上げればきりがありません。
明日、何があるか分からない毎日を生きています。
しかし、私たち一人ひとりの人生とこの世界の歴史を導いてくださっているのは神様ご自身です。
その恵みに感謝して、どんな時にも希望を失うことなく、その光のうちを歩む者でありたいと願います。