月刊敬和新聞

2022年1月号より「りんごの木を植える」

校長 小田中 肇

 先日、敬和の一月入試が行われました。その日は朝から大雪でした。私は七時半ころに出勤したのですが入試労作の生徒が、一生懸命、受験生のためにチャペル前の雪除けをしていました。他にも駐車場係、受付や誘導の人も準備を始めていました。受験生のために何かをしようと思って集まった人たちで、全員がボランティアです。
 おそらく彼らは、自分が受験した時、入試労作をしてくれた先輩に親切にしてもらい、励ましてもらったのだと思います。今度は、自分が受験生のために働こう、そう思って参加してくれたのです。今回の受験生の中からも必ず、一年後、二年後、入試労作をしよう、そう思う人が出て来るはずです。こうして敬和の良い伝統は、先輩から後輩へと受け継がれて行くのだと思いました。

未来と希望のために
 敬和の入試は、まず礼拝から始まります。敬和学園がどんな時にも礼拝を守り続けることの意味について、ある言葉を紹介してお話ししました。

 「たとえ明日、世界が滅びるとも、
 わたしは今日、リンゴの木を植える。」

 これは、500年ほど前、ドイツで宗教改革を行ったマルチン・ルターの言葉として伝えられているものです。明日、世界が滅びるならば、普通は絶望するか、やけになって好き放題するかのいずれかです。ところが、今日、私はリンゴの木を植える、と言うのです。
 おそらくリンゴの若木です。では、なぜ、植えるのでしょうか。未来のためです。「もう未来はない」と言うのに、どうして、今日、植えるのでしょうか。それは神様を信じるからです。神様の愛を信じるからです。
 敬和の礼拝も同じです。どんなときにも、今日、私たちは礼拝をささげます。それは、敬和生一人ひとりの未来と希望のため、そして、私たちが神様の愛を信じるからです。これが敬和学園の教育であり、敬和学園の信仰です。

リンゴの木を植える
 原崎百子さんという方の遺稿集「わが涙よ わが歌となれ」(新教出版社)の中の文章を紹介したいと思います。原崎さんは、悪性のガンのために夫と四人の子どもを残して43歳で亡くなった方です。亡くなる一か月半ほど前に、夫から病名を告知されました。
 彼女はノートを用意して自分の気持ちを書き残しました。そのノートに次のような文章が書かれていました。
「それでもやはり私はリンゴの木を植える。昨日、『明日やろう』と決めたこと、息子の二郎と忠雄の勉強の相手をすることを、やっぱりやりましょう。」
 ガンを告知される前の日に決めたこと、つまり、子どもたちが学校から帰ってきたら勉強の相手をすること、そのことをやっぱりやりましょう、と決心したというのです。それは原崎さんにとって、リンゴの木を植える、ということでした。愛する人たちを残して一人逝くことは、悲しく不安であったに違いありません。
 にもかかわらず、学校から帰ってきた子どもたちの勉強の相手をしよう、と決めます。それは、子どもたちの未来を信じ、この世にある限り、最後まで自分がやるべきことを続けようという決心でした。告知後、20日目のノートには次のような短い詩が記されていました。 

 主よ、感謝いたします。
 あなたの一日は千年にもまさり、
 この20日間は
 私の半生に匹敵いたします。
 主よ、
 あなたに全く信頼させてください。 

 家族と過ごした20日間が、原崎さんにとって、どんなに愛おしく、大切な時間であったかが想像されます。

神様の愛
 このような未来への信頼と希望はどこから来るのでしょうか。それは、この世界を超えた存在である神様の愛を信じることによって与えられます。
 「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分ります。」(ヘブライ人への手紙11章3節)
 私たちの目に見えているこの世界はいつか滅びます。しかし、神様の言葉は永遠に立つ。そのことを信じて歩むとき、大きな希望が与えられます。
 今、世界は大きな不安の中にあります。新型コロナ(オミクロン)、自然災害、無差別殺人など数え上げればきりがありません。誰もが世界の終わりを感じ、絶望に陥りそうになります。しかし、そのような中にあっても、希望をもって神様の光の中を歩む私たちでありたいと願います。そして未来を生きる若者たちのために、今、自分たちにできることを、それがたとえ小さなことであっても、行い続ける者でありたいと願います。