お知らせ

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2022/05/09

今週の校長の話(2022.5.9)「憲法記念日」

校長 小田中 肇

 

【聖書:ガラテヤの信徒への手紙 3章28節】

「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の物もなく、男も女もありません。あなたがたはキリスト・イエスにおいて一つだからです。」

 

連休が終わり、学校生活が再び始まります。今年の連休は3年ぶりで国による行動制限がありませんでしたから、多くの観光地が賑わいました。

皆さんも家族や友達と連休を楽しんだことと思います。

私は2年半ぶりで、東京に暮らす息子家族が新潟に遊びに来てくれました。

久しぶりに会って3人の孫たちの成長に驚かされました。

おかげで楽しい数日間を過ごすことができました。

 

さて連休ですが、それぞれ何の祝日か知っていますか。

5月5日が「子どもの日」は分かると思います。

4月29日は「昭和の日」ですが、私が子供の頃は「天皇誕生日」でした。

5月4日はなぜか「みどりの日」と呼ばれます。昭和天皇を偲(しの)び、自然に親しむための祝日だそうですが、これは飛び石連休を避け、ゴールデンウィークを作るために設けられたものです。ありがたいことです。

では、5月3日は何の日でしょう。

憲法記念日です。日本国憲法が定められ、公布されたのが1946年(昭和21年)の11月3日でした。その半年後の1947年5月3日に施行されました。施行とは公布された法律を有効にすることです。

 

5月3日の新聞には憲法に関する様々な記事が掲載されていました。その中で大正デモクラシーの立役者になった吉野作造さんの言葉が紹介されていました。(5月3日 新潟日報「日報抄」)

吉野さんは、国はおにぎりに似ていると語ります。何を芯にして一つになるか、そこが大切だ、と。

おにぎりの中心には梅とかサケとかいろいろな具があります。それでは国は何を中心にして一つになるのか、というのです。

民族でしょうか?吉野さんは「世界のどこを探しても純血な民族などいない。日本人も同じだ」と言います。

つまり日本人も、長い歴史のなかで様々な民族の血が混じって生まれたものです。最初から純粋な日本人など存在しません。

では、言語でしょうか。「スイスは国に3つも4つも違うことばがあるのに、それでも一つの国だ」と言います。

では、国家神道はどうでしょうか。「国家神道ができたのは明治になってからだ。」と言います。

たしかに日本には他にも仏教や儒教などさまざまな宗教が昔からありました。日本は一つの宗教を中心にして作られた国ではありません。

では、コメの文化はどうでしょうか。「カレーを食べるから日本とインドを一つの国にしようとしても無理だね。」と言います。

つまり、食文化が国を作るわけではないと言うのです。

民族、言語、宗教、文化、いずれも違う。では、ほかに何があるのか。

吉野さんは言います。「この国でともに生活しようとする意志だな。」

「人びとのその意志と願いを文章にまとめたのが憲法なんだ。」

 

憲法とは、人びとがこの国でどのように生活したいか、その思いと願いを文章にまとめたものだというのです。

そして憲法によってこの国は一つになる。

国をおむすびにたとえるなら、その中心にあるのは憲法だ、と言うのです。

 

私たちの日本国憲法は平和憲法とも呼ばれ、戦争放棄を基本理念としています。

ウクライナの軍事侵攻を受け、平和の尊さを今ほど感じることはありません。

その一方で、平和を守るためには、憲法を変えて日本も強力な軍事力をもたなければならない、と主張する人々が急激に増えてきているのも事実です。

今、憲法をめぐって様々な意見が闘わされています。

これは私たちの将来に関わる大きな問題です。成人年齢も今年から18歳になりました。

皆さんには、このような問題にも関心を持ち続け、今、世界で起きている現実と過去の歴史に学び、自分の考えをもって欲しいと思います。

 

ところで先ほど国をまとめるのは憲法だ、という吉野さんのお話しを紹介しました。

私たちの社会は今、さまざまな場面で多様性ということが求められます。

多様性とは多様な文化、考え方、生活様式、価値観を互いに認め合うことです。

世界の多くの国において、多様な民族、多様な文化を受け入れるなかで、国としての統一性をいかに維持するかが大きな課題となっています。

 

敬和の教育も多様性を大事にしています。

敬和にはさまざまな背景を持った人がいて、お互いの考え方を認め合うことを大切にしているからです。

しかし、それと同じくらい大切なものがあります。

それは多様性を支えるもの、それを中心で一つにまとめ上げる理念です。

多様性だけでは総花的で、ばらばらに分断してしまう恐れがあるからです。

 

多様性を守るためには、それを支える中心、たとえば扇(おおぎ)の要(かなめ)のようなものが必要です。

要がしっかりしていなければ、扇の一枚一枚は風に吹かれて飛んでしまいます。

国をまとめるために憲法があるように、その中心をしっかり支えるものが必要です。

 

このことについて今日の聖書から学びたいと思います。

「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分もなく、男も女もありません。あなたがたは、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」

これは、パウロという人の書いた手紙の一節です。

パウロはキリスト教がユダヤ教という一民族宗教の枠を超えて、世界宗教へと発展する上で、決定的に重要な働きをした人です。

 

国籍や社会的身分の壁、男女の違いも超えて、キリスト・イエスにおいてあなた方は一つだ、とパウロは言います。

そしてお互いの違いを認めつつ、互いに愛し合うことを勧めます。

私たちもこの言葉に耳を傾けたいと思います。

多様性、つまり一人ひとりの違いを大切にしながらそれを中心で支えるもの、それは神様の愛である、とここで述べられているからです。

 

敬和の教育においてその要(かなめ)となるもの、それは言うまでもなくキリスト教です。キリストの愛ともいえます。

敬和の教育において多様性を大事にするために、私たちも毎日の礼拝を守り、聖書の語るメッセージに日々、耳を傾ける者でありたいと願います。

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