お知らせ

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2022/04/25

今週の校長の話(2022.4.25)「神の庭で」

 校長 小田中 肇

 

【聖書:詩編65篇5節】

『いかに幸いなことでしょう。

あなたに選ばれ、近づけられ、あなたの庭に宿る人は。

恵みのあふれるあなたの家、聖なる神殿によってわたしたちが満ち足りますように。』

 

新年度が始まり4週目となりました。

先週はフェスティバルの連合決めがありました。総合チーフによる連合の紹介が、それぞれ個性があって、見ていて楽しくなりました。男女総合チーフのやり取りもとてもよかったです。

今年のフェスティバルは、3年生が6クラスなのに対し、1,2年生は5クラスという例年とは違った形です。1,2年生を6連合に分けるのは大変だったと思います。

1,2年の各クラスを3つのグループに分けることによって、この問題をクリアしたわけですが、今回の連合分けもスムーズにできて、見事としか言いようがありません。

フェスティバル本部の皆さんの働きに感謝したいと思います。

 

また、今年のフェスティバルはコロナ前にもどして2日間の予定です。

ところが3年生は、この2年間コロナのために1日に短縮したフェスティバルしか経験していません。

これも3年生にとっては大きなチャレンジです。

ぜひ協力して、2日間みんなが楽しめるフェスティバルを作り上げて欲しいと思います。

 

ところで新年度を迎えたこの3週間は、それぞれにとって大変だったと思います。

1年生は何もかもが初めてですね。フェスティバルの連合決めと言っても、なぜこんなに盛り上がるのか、不思議だったかもしれません。

授業の教室移動なども大変だったでしょう。

2年生はクラス替えがあって、新しい人間関係を作るのに苦労したと思います。

3年生にとっては、フェスティバルをやり遂げることとそれぞれの進路実現という大きな課題があります。

特に進路に関しては7月の評定が重要ですから、勉強にもしっかり取り組まなければなりません。

 

例年この時期、2,3年生はグッと成長します。心の丈が伸びる、そういう印象です。表情などにも自信を感じます。

それは新入生を迎えたことも関係していると思います。

 

さて、早いもので今週末から大型連休に入ります。

新学期、気を張り詰めて、疲れが出ている人もいるかもしれません。

みんなでこの1週間を何とか乗り切りましょう。

来週はお待ちかねのゴールデンウイークです。

 

ところで雪国新潟も今は春たけなわです。

桜は散りましたが、敬和の庭にもたくさんの草花が咲いています。

正面玄関前には、チューリップとパンジーの寄せ植えされた植木鉢がたくさん並んでいて、とてもきれいです。

真野先生にお聞きしたところ、これは3月に卒業した52回生、蔵王クラスの労作で植えたものだそうです。

彼らは、「自分たちは卒業するからチューリップが咲くのを見られないけれど、入学する新入生を歓迎するために植えよう、」そう言って球根を一つひとつ植えたそうです。

まだ見ぬ新入生に対する先輩たちの歓迎の思いのこもった花々です。

そこに私は敬和の「労作の心」を感じました。

 

敬和の前庭には多くの木がたっています。それらの中には記念樹として植えられたものがあります。

それらの木の一本一本にも植えた人の思いが込められているのかもしれません。

そして5月になると、まぶしいほどの新緑の季節を迎えます。

 

さて、今日の聖書では「神の庭」ということが歌われています。

「いかに幸いなことでしょう。あなたに選ばれ、近づけられ、あなたの庭に宿る人は。」    

あなたとは神さまのことです。

詩人が神様に選ばれ、この庭に宿ることができた喜びをうたった詩です。

 

この庭で喜び楽しむとは、どのような生活でしょうか。

おいしいものを好きなだけ食べたり、やりたい放題やることがこの庭での楽しみでしょうか。

もちろんそうではありません。それは、この箇所の前の部分を読むと解ります。

 

そこには次のように書かれています。「祈りを聞いてくださる神よ。罪の数々が私を圧倒します。背(そむ)いた私たちをあなたはあがなってくだいます。」

この詩人は、自分の犯してしまった罪に苦しんでいる人だったのです。

そしてその罪を神様によってあがなわれた人だったのです。(あがなわれるとはゆるされる、という意味です)。

ですからこの詩篇は、何かの罪に苦しんだ詩人がその罪をゆるされ、その喜びを歌ったものであることが解ります。

 

「罪」というと、警察に捕まるような犯罪などを連想し、自分と関係ないと思う人も多いかもしれません。

しかし実際は、誰でも人間は、罪を犯すことと隣り合わせにいるものです。

自分の気づかないところで、人を傷つけてしまうことは誰にでもあるはずです。

つい軽い乗りで言った言葉や行動が、相手との関係に取り返しのつかない結果をもたらすこともあります。

 

罪とは、人間が自分の力だけでは、それを回復することができないような大きな過(あやま)ちを意味します。

罪に苦しむとき、人は自分の力の限界を経験します。

そこから救われるためには、その重荷を一人で抱え込むのではなく、誰か信頼できる他の人に相談し、助けてもらうことが必要です。

なぜなら、そこで人の愛と神様の愛に出会うからです。

今日の詩編は、罪に苦しんだひとが神様の愛によってゆるされ、その庭にやすらうことの喜びを歌ったものです。

 

ところで、ルソーというフランスの思想家に次のような有名な言葉があります。

「人間は二度誕生する。はじめは存在するために、二度目は生きるために」

 

高校生である皆さんは今、この二度目の誕生を迎えています。

それは単に存在するためではなく、人間として生きるためです。

それを第二の誕生と言います。

そこには喜びや期待とともに、むしろそれ以上に不安や苦しみが多いはずです。

そして様々な失敗を犯し、人を傷つけてしまうこともあります。

自分の力ではどうにもならないと思える時もあるかもしれません。

新たな誕生には、「産みの苦しみ」がともなうからです。

しかし神さまは一人ひとりを見守り、喜び、楽しむ場所へと導いてくださいます。

今日の聖書は私たちにそのように教えてくれます。

 

私たちも敬和学園での生活が、互いに様々な失敗や過ちを犯しながらも、神様の愛と赦しを経験する場所となることを願います。

その恵みをおぼえて今日の一日、共に歩みましょう。

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