毎日の礼拝

校長のお話

2008/03/01

「かもめ食堂」

聖書:ヨハネによる福音書 6章48~51節
かもめ食堂という小説があります。
群ようこという人の作品です。
主人公の名前はサチエさんです。
サチエさんは38歳です。そのサチエさんが行きがかり上、フィンランドに行くはめになってしまいます。
「どうせ行くなら」ということで、特異な才能である念力を使って宝くじで大金を当てます。
そしてそのお金でフィンランドの首都ヘルシンキに「かもめ食堂」というレストランを開くわけです。
サチエさんは小柄で年齢より相当若く見られます。
そのために地元の人たちはかもめ食堂のことを「子ども食堂」と呼びました。
サチエさんはヘルシンキの食堂を出すにあたって考えたことがあります。
それは、かもめ食堂では、オーナーである自分がおいしいと思ったものをだけを出しましょう、ということでした。
そのこだわりの1つがおにぎりです。
サチエさんは食べることを大事にしていて、自分が大好きなのりを巻いたおにぎりをかもめ食堂でぜひ食べてもらいたいと考えました。
そういうサチエさんの気持ちと裏腹に、かもめ食堂にやってくるお客はあまりいませんでしたし、ましておにぎりを注文する人はほとんどいません。
主人公のサチエさんを演じているのは小林聡美さんという女優です。
かもめ食堂は言うなればハートフルコメディです。
小説を読んでも映画を見ても心があったかくなります。
そして、食事を作る場面がしばしば出てくるのですが、その食事・メニューも贅沢ではないけれど、食べると幸せな気分になれそうなものばかりです。
最近の言い方をするならばスローフードです。
わたしが「かもめ食堂」に関係することで好きなことが1つあります。
それはかもめ食堂を舞台にしたテレビCMです。
パスコというパンメーカーの食パンのCMにかもめ食堂が使われているのです。
しばらく前からは秋冬バージョンに変わりました。
このCMの中で小林聡美が映画と同じセットのかもめ食堂で、食パンを使ってサンドイッチをつくる場面が映されます。
白と青が貴重の明るい雰囲気の厨房の中で、軽く焼いた食パンの上に千切りのキャベツ、そしてコロッケが載せられ、そこにとんかつソースのようなものがかけられ、そしてもう一枚の食パンをかぶせる、それ包丁を入れる瞬間、サクッという音が聞こえてきます。
切り口が見せられます。
それはごくありふれたコロッケパンですが、本当においしそうです。
それを眺めているお客さん、その人たちはフィンランド人のエキストラだそうですが、幸せそうな表情です。
わたしも思わずエミタイにコロッケパンを買いに行きたくなりました。
なかなかできのいいCMだと思います。
いいと思った理由は、このCMのコンセプト、つまり何を伝えたいかがよくわかるからです。
パスコのかもめ食堂のCMのいいたいことは、パンは命だということです。
サンドイッチにとってその味の決め手はパンだということがよく伝わってきます。
そしてそのおいしいパンを見て食べて、人は幸せな気分になれる、食べたら元気になれそう、まさにそんな気分にさせられるCMです。
このCMをみながらわたしは次のフレーズが頭に思い浮かびました。
「サンドイッチの命がパンなら、俺の人生は命がパンやな」。
わかりにくいですか。
わたしにとっては、パンが命ではなく、命がパン、命がパンになった、ということです。
わかりやすくいえば、このCMからイエス様を思わないではいられないということです
今日の聖書には「わたしは命のパンである。わたしは天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるなら、その人は永遠に生きる」とあります。
これはイエス様が弟子や大勢のユダヤ人に対して言った言葉です。
ここでいうパンというのは食べ物の象徴です。
人が生きるためには、必ず食べなければなりません。
それじゃ、何を食べてもいいかといえばそうではありません。
食べたいだけ食べたらいいかといえばそうではありません。
食べたいからといって好きなものだけを食べたら、間違いなくメタボリック症候群になります。
人が元気に生きるためには、何を食べればいいのか、どのくらい食べればいいのか、それが大事だということです。
何を食べるかということは、言い換えたら、どのような生き方をするかということです。
そのわたしたちに、イエス様はご自分のことを、人を生かす命のパンである、そのわたしを食べなさいといわれました。
食べるということは受け入れるということです。
つまりイエス様を受け入れることによって、すべての人がいきいきとした生き方ができるようになり、それによって、みんなが幸せな気分になる、世の中が平和になるということです。
敬和学園風にいうならば、敬神愛人です。
神を愛し隣人を愛するような生きかた、強さでなく弱さを大事にする人間になること、それによってその人の命が最も輝くようになる、ということを、イエス様は「わたしは命のパンである。このパンを食べるなら、その人は永遠に生きる」という一言で言い切られたのです。
与えられた1日1日を、命のパンであるイエス様を迎えるにふさわしい気持ちと姿勢でもって過ごしましょう。