のぞみ寮通信

大望館

2011/05/08

大望館通信 第166号(5月8日)

<全体礼拝お話しより>

  私はのぞみ寮に来て7年目になります。7年、振り返って見るといろんなところで変化がありました。

一緒に仕事をしている仲間も替わりました。そういえば、いつの間にか私が来た頃の女子寮の先生全員が替わりました。なんだか寂しい気持ちにもなりますが、そんな変化よりものぞみ寮で過ごしている君たちの変化の方が大きいように思われます。
 今から7年前に大望館では大きな変革が行われました。丁度私が赴任した時の36回生が行った変革です。それまでの大望館は先輩の言うことには絶対服従。やれと言われたことには絶対に逆らえない。簡単に言えばそんな館だったんです。先輩から後輩へのいわゆる“いじり”もひどいものでした。ここでは紹介できないものも沢山あると聞きます。そしてそれをやられた後輩たちが最上級生になると、自分たちがやられたことを後輩にして楽しむ。時には先輩にやられた以上のことをして楽しむ。「俺達が1年生の時には・・・」そんな声を何度も耳にしました。また、それに耐えることが人間的成長と、間違った考えが当たり前にあったのです。
 その流れを変えたのが36回生です。「俺達がやられてきたことを俺達は」それを「やられて嫌だと思ったことは絶対にやらない」そう全員で誓い合ったんです。36回生の辛抱と忍耐があり、今の大望館の礎となっています。この変革が無ければ、今も同じ事が続けられてきたかも知れません。
 
 この36回生が寮を巣立って行く時、修了礼拝で信田寮長は「山は動く」という題の説教をしました。その説教は、私自身の生きる指針となっている、そう言っても過言ではありません。36回生のもたらした大きな変革を山と例え、その大きな山が動いた。どんな山でも、少しずつ別のところに持って行けば、いずれはその山も動かすことが出来る。さすがに、富士山は無理かもしれませんが、でもそれでも、日本がみんなで力を合わせ、国家的プロジェクトを立ち上げ取り組めば、不可能でないかもしれません。「山は動く」大事なのは動かす為に何をするかじゃないでしょうか?
 私が赴任して7年。この7年で間違いなくのぞみ寮という山は動きました。いや、動き続けています。それはこの前の寮祭が現してくれました。3・11の震災を覚え、今までのお祭りであってはいけない。今までの寮祭を全て見直し、寮祭を行うのかどうかの真っ白からのスタート。最終的に規模を小さくしようということになりましたが、規模は小さくても、中身は今まで以上のものでした。食事のパーティーから礼拝まで。見事に一つになりどれ一つ欠けてもならない寮祭であったと思います。思わずビビッときてしまいました。心が震えるそんな瞬間であったと思います。また、その心が震えた時、間違いなくのぞみ寮という山が動いたんだと思います。
 
 しかしながら、過ぎ去ればもう過去のことです。ここからさらに私たちは山を動かしていかなければなりません。その皮切りとして私は君たちに投げかけたいことがあります。携帯電話です。
 今から3年前のことです。のぞみ寮から携帯電話が一切無くなりました。全員が教師のところに持ってきました。預かった数は半端で無かったです。それは、生活指導上のある痛みがきっかけになり、当時の3年生39回生が本気になって考え行動したことです。のぞみ寮に携帯電話は必要でない。むしろ邪魔なものだ。何台預かったかは覚えていませんが、こんなに持ってきていたんだと、ショックであったのは確かです。
 あれから3年。多分現状は同じぐらい、私達がちょっとショックになるぐらいあるんじゃないかと思います。でも、私達寮の教師はそれを取り上げるために、君たちが学校に行っている間に私物のチェックをしたりなどは絶対にしません。簡単なのはそれをすれば一件落着かも知れませんが、それをしたらのぞみ寮は終わりだと思います。
 だから、君たちには自分で考え行動して欲しいのです。なぜ、39回生が自ら携帯電話を預けに来たのか?考えて欲しいんです。携帯電話が君たちの寮生活を本当に充実させるものなのでしょうか?君たちの先輩は気がついたんです。むしろ薄っぺらなものにしてると言う事に。繋がっていかなければいけない仲間は、携帯電話の先にはいないと言う事に、本気で寮生活に取り組む事が一番大事だと言う事に。
 是非、それぞれの館で一度話し合って欲しいです。そして、みんなでもう一度山を動かして下さい。

(澤野)
 

 
 
 

<震災ボランティア>
 
 5月1日~4日まで三泊四日で宮城県へ労作に行ってきました。大望館からも3年生4名が参加してくれました。ゴールデンウィークということもあり、参加できる人数が限られていましたが、君たちの思いも一緒に被災地へ行き、君たちと一緒に作業にしてきたつもりです。
 被災地の現状ですが、ブラウン管を通して見る映像以上の衝撃で、それを目の当たりにすると、ここでいったい何が私たちに出来るのか?そんな思いに駆られます。被災地での作業は泥のかきだしがメインで、スコップとバケツ、一輪車を使い、溝に溜まった泥と家の庭の泥を運び続けました。腕がパンパンになり、握力が利かなくなる。そんな中でもひたすら作業にあたりました。あの状況の中では一生懸命やらずにはいられなかったんです。これは実際に行ってみないと解らない感覚です。でも、私も人間ですから限界が来ます。
 私を肉体的な限界よりも精神的な限界に追い込んだ男がいます。その男とは、3年生になってから寮入したばかりのR君。一日の終わりを迎える頃には何度もボーっとみんなの作業を眺める。時にはそのお家の方と一緒に、まるで親子のように私たちの作業を眺める、そんな光景が何度も見られました。そして、作業が終ると彼は復活するのです。
 一日目の夜にN君とR君は、変態トークに目を輝かせていました。そして、二日目私にとっては思いがけない日となったのです。その日の朝、私は車をポールに引っ掛けてしまい、バンパーがはずれ、めっちゃブルーでした。思ってもみなかったのはそれだけではありません。私は生まれて初めて生徒に自分の大事な部分を蹴り上げられ、悶絶してしまったんです。こんな経験これからすることがあるでしょうか?
 私がバッグから着替えを出そうとしていた時、いきなり後ろから私の股の間を蹴り上げる足が・・・。急なことで意味がわかりません。悶絶です。あまりの痛さに吐き気もします。振り返って見ると、ある男が土下座をしてるではないですか。なぜ?何があったの?怒りよりも疑問が湧き上がります。「すみません間違えました!!」「エっ!間違い?」疑問が怒りに変わりはじめます。でも、動けません。動けず冷静にその場の状況を判断しました。土下座するR、近くには校長。蹴ったのは間違いなく奴。でも、近くには校長・・・。
 判断しました。今はダメ、今彼を泣かすことは、適切な時ではない。何故なら近くに校長。時は必ず来る。
 時は必ず来る。その時まで・・・。

(澤野)