のぞみ寮通信

のぞみ通信

2022/03/01

のぞみ通信 2022年2月28日 第269号

題字 めぐみ館2年 Y.Kさん

 

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 「僕だけのジャンプじゃないな、って。跳ぶのは僕なんですけど、言い出したのも僕なんですけど。でも皆さんが『僕にしかできない』って言ってくださるのであれば、それを全うすることが僕の使命なのかなって思いました」。これは、昨年12月、全日本選手権の時に、4回転半の成功を諦めない理由を説明した際の羽生結弦選手の言葉です。

 北京冬季五輪が終わりました。五輪に出場するような選手ともなると、メディアはその競技のずば抜けたパフォーマンスと共に、選手の言葉もたくさん報道してくれます。

 それらの言葉には、共通するものがあるように思います。今回の五輪は、それを特に強く感じました。それは「他者の存在」です。羽生選手は、「皆さん」の言葉によって「僕の使命」を見つけたと言いました。フィギュアスケートは、芸術性や表現力を競う競技だから、それを観る審判や観客を意識するのは当然です。だから、選手個人の目標達成にとって「他者の存在」が、競技力向上の原動力になっていると思います。であれば、他者の応援などによって力づけられた選手が、競技後に「他者」への感謝などを表明するのは、極めて自然な姿だと思うのです。

 それ以外にも、村上市出身の平野歩夢選手は、優勝が決まった直後のインタビューで、「(自分の優勝が応援してくれた人たちとって)なにか刺激になってもらえればもうそれ以上はない」と。また、湯沢町で小中学校時代を過ごした川村あんり選手は、決勝後、「諦めない姿っていうのをみなさんに見せていきたいなって思って……頑張ってくれば、夢は叶うってお伝えしたいです」と。自分の競技への純粋な思いだけを語ればいいインタビューで、二人の選手共に「他者」へのコメントを語ったのです。それは、自分の人生をかけた競技する姿から、何か普遍的な価値を感じてほしいのだと思うのです。

 自分の生き方を通して、「刺激」や「諦めない姿」を他者に伝えるということは、のぞみ寮でも見られる光景です。「大望館のA先輩のようになりたい」「みぎわ館のBさんの生き方に励まされた」など、私はそんな話をよく聞きます。

のぞみ寮生の皆さんが、「僕にしかできない、僕の使命」を日々の生活の中から見つけ、神様に与えられた使命の道を生き抜いてほしい、と心から願うのです。

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ソリで登校するめぐみ館生

 

 

 

♢3年生ラストメッセージ特集♢

 

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ラグビーラインアウトを体験

 

「私の壁を壊してくれた仲間の存在」  H.J(大望館3年・岡山県)

 最後に何を話そうかと悩んだ結果、私が敬和学園に馴染むまでの出来事について話そうと思います。

 私は、2年生の初めに敬和学園へ編入してきました。最初は「荒れているなぁ」といった印象を持っていました。スクールバスのマナーが悪かったり、先生の言うことを聞かなかったりして「私はとんでもない学校に来てしまった」と思い、深く絶望しました。全員が全員そうではありませんでしたが、前の学校とのギャップに耐えられませんでした。

 「こんな人たちと関わっていたら、私までこんな風になってしまう」と思い、人との間に壁を作りました。学校では、なるべく一人でいるようにしました。しばらく経ち、ひょんなことからのぞみ寮に入ることになりました。私は「寮でも人と関わらず落ち着いて過ごそう」と思っていました。これは今でも変わっていないと思いますが、私は「ここで人と関わろう」と思った出来事がありました。

 一つ目はK・S君がコンビニに誘ってくれたことです。学校で何の関わりもなかった私を誘うという想定外な行動に少々驚きましたが、せっかく誘ってくれたので行くことにしました。その帰り道にいろんな話題で盛り上がったのを今でも覚えています。それがきっかけで仲良くなれました。

 二つ目はS・K君の存在です。彼とは同じクラスでしたが、特別仲が良かった訳ではありませんでした。しかし、彼の寮での姿を見ていると、私が作っていた壁が段々と無くなっていったような気がしました。寮を変えようとする心意気やリーダーシップ、オーラなど彼のすべてが「世の中には酷い奴もいるけど、敬和学園には俺みたいな人もいるんだぜ。もっと人と関わってみな」と私に語りかけて来るようでした。それがあり、敬和学園で初めて友達を作ろうと思いました。

 これらのことがあり、友達をつくることが出来て、それなりに楽しい学校生活を送ることが出来ました。この話では2人しか出ていませんが、みなさんのおかげでもあると思っています。本当に感謝しきれません。初めは敬和学園が嫌いで「早く卒業したい」と思っていたけど、今は卒業することが少し寂しいです。これからも敬和学園のぞみ寮生の健康と発展を願っています。

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大望館3年生

 

 

 

「元気の種まき」 I.R(みぎわ館3年・栃木県)

 敬和での生活は、変わりたいという思いから始まりました。元々、親のそばから離れた生活をしたいと思っていた私にとって寮は、そこまで大変じゃなかったし、ルールを覚え生活することもそこまで嫌だとは思ってもいませんでした。唯一問題だったのが、人間関係でした。小学生のころから人間関係が苦手だった私は、トラブルに巻き込まれたり、仲間外れにされたり、人とかかわることに対して恐怖感を抱いていました。

 「とりあえず、気に入られるような嫌われない性格で行こう」と思い、最初は、自分を作って生活をしていました。でも、どんどんと隠していた自分がぼろぼろと出てきてしまったのです。自分の嫌いな部分が、日が増すごとにどんどん出てきました。「きっと嫌われた」「また、中学の時と同じ状況になる」「仲間外れにされる」と思っていました。けれど、一緒に生活をするみんなの態度は変わりませんでした。むしろ、キャラを作っていたときよりも距離が近くなっていきました。みんなは、落ち込んでいる私に対して、「そんなにネガティブにならないで」「あなたはすごいんだよ」「自分にもっと自信をもって」と言って、受け入れてくれました。そして、「Rには、味方がたくさんいるんだから大丈夫」と言ってくれました。自分の中で隠していた苦しいこと、我慢していたことがだんだんと喋れるようになりました。

 いつの間にか私は、彼女たちの前で苦しくなるぐらい泣くことができるようなっていました。甘えられるようになっていました。そして「助けて」と言葉に出せるようになりました。そして、気持ちがこもった「大好き」「ごめん」「ありがとう」が言えるようになりました。口に出して本当の気持ちを伝えられるようになっていました。こんなに大切な家族になるとは、入寮した時の私からは想像できません。苦しくなった時、みんながいたから乗り越えることができました。イライラしていてもなんだか、みんなの姿を見て、雑談をしていると、いつの間にかイライラが消えていました。私はとても幸せ者です。

 寮生活する中で共有することの喜びを知りました。人が怖いと思っていた私は、人と喜びや悲しみ、苦しみ、幸せを共有するということのすばらしさを知りました。共有することで自分の幸せを分けることができる。つまり、苦しい思いをしている人、悲しい思いをしている人たちにも、少しは元気になる種を分けることができる。その喜びを知りました。たとえ、その時は、元気が与えられなかったとしても、その種をまき続ければ、そのひとを元気にすることができるのではないか、と私は考えています。実際にそういう経験があるので、言えます。私がここまでこれたのも、元気の種をまき続けてくれた仲間がいるからです。そして、私は、とても個性豊かな寮の先生方に守られて育ったおかげで、3年間で個性が強くなった気がします。あと、自分のことが好きになれました。

 53回生、54回生、これからの寮をよろしくお願いします。敬和での寮生の力が大きいことを誇りに思って、前へ、前へと一歩ずつ歩んでいってください。そして、敬和生活を楽しむことはもちろん、たくさん自分の弱さと向き合っていってください。これからの敬和での生活を応援しています。それでは、行ってきます。

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みぎわ館 たこ焼きパーティー

 

 

 

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男子寮行事 言葉遊びクイズ

 

 

「考える場」 N.K(光風館3年・山形県)

 入寮したばかりの頃を思い出すと、一つ一つが初めての体験でどんなことにも苦労していたように感じます。寮で過ごしていても落ち着かず、楽しいけれど常にスイッチをオンにしたままのような感じでした。そんな私を、先輩方や同学年の仲間が自分に居場所を与えてくれたことで、徐々に寮は自分にとって安らぎを与えてくれる「家」のような存在に変わっていきました。

 そんな光風館が私に与えてくれたものは、たくさんありますが、その一つが「考える場」です。私たちは3年間、他人がより身近にいる環境の中で生活してきました。それぞれが違う考えを持ち、生活も同じではないですが、何かトラブルが起こったりした場合、それは個人ではなくて光風館の問題として見られることも多く、それが苦痛な時期もありましたが、そんな環境があっての今だと思っています。また、光風館は私にたくさんの青春を与えてくれました。敬和での生活も終わりに近づき、最近まで私は青春探しにはまっていました。今までの生活が、この先意味を持つものになるのか心配になり、焦っていたのです。思い出を無理やり作り出そうとするなんて、昔を思い返すおじさんのようですが、私は毎日の生活に意味を持たせることに必死でした。

 でも最近、そんなことしなくてもこの光風館での日々は、勝手に意味を持つ物になっていくことに気が付きました。みんなで頑張って企画した行事はもちろん、くだらないように見えるやり取りや犯してしまった間違い、どんなに無駄に思えることもすべてが今の自分につながっているんだなと知ることができました。

 そんな私の、自分なりの気づきから後輩の皆さんに伝えられることは、もっと楽に、気負わないで生活してほしいということです。一つ一つの行動に意味を求め、合理的になりがちな人もいると思います。決してそれが悪いとは思いませんが、考えてばかりではつまらないと私は思います。皆さんには、もっと直感で何かにとらわれずに行動してほしいです。すべての行動が意味を持ち、近道も回り道もないということを少しでも共感してくれたらうれしいです。

 さて、私たち光風館の52回生は3年間いろいろなことがありましたが、一番身近な存在でした。ここで出会えたこと、一緒に歩めたこと、全てが奇跡だと改めて思います。今はやめてしまった仲間も含めて感謝の気持ちでいっぱいです。私たちの代は決して後輩たちの手本になるような姿ではなかったかもしれないし、迷惑もたくさんかけてしまったけど、仲の良さで言えば他と比べても負けない自信があります。入寮したばかりのころに前の寮担任のメグさんに、「お前らは一生の友人だからな」と言われたのを思い出し、本当にそうなんだなと思っています。そう思わせてくれた52回生の皆さん、のぞみ寮のみんなには感謝でいっぱいです。

 最後に、私の好きな聖書箇所を読んでお話を終わります。『あなた方を迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人とともに喜び、泣く人とともに泣きなさい。』(ローマの信徒への手紙12章14節~15節)

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光風館3年生

 

 

 

「仲間と過ごす中で『愛』を知りました」 Y.H(めぐみ館3年・新潟県)

 「自分は必要のない存在。だから自分なんかいなくなっても誰もきっと何も思わないだろう。」

 これは中学時代に私がよく思っていたことです。その時の私は今よりも自分のことが嫌いで、自分の存在価値を強く否定することがたびたびありました。学校の環境になじめず、人間関係に悩んでいた私は常に孤独でした。本当はたくさんの友達を作って楽しい学校生活を送りたいと願い、積極的に行動することもありましたが、上手くいかないことのほうが多く、徐々に苦痛を感じ始めました。毎日楽しそうに学校生活を送る他の同級生を羨ましく思い、自分と比較しては悔しくなって泣きそうになることもありました。そのため、私にとっては学校という場所は「苦」でしかありませんでした。学校のことになるだけで体調が悪くなり、学校が終わると心身共に疲れて、家に帰ると学校での不満を口さえ開けば言っていたような気がします。今思えばあの頃の私は最悪でした。自分にだって原因がなかった訳ではないのに、自分が上手くいかないのは周りのせいだと決めつけ、家族を巻き込んで悪い空気ばかり作っていたからです。本当はただ周りと同じように生活したいだけなのに、自分で自分の心を追い込んで勝手にしんどくなっている自分がいました。そして、挙句の果てに「自分は愛されていない。愛されるわけがない」とさえ思うようになったのです。そんな私でしたが、のぞみ寮に来てからはそのように思うことが少なくなりました。それは愛というものを知ることができたからです。私はここでたくさん愛され、そして他者を愛せるようになりました。

 ある時、後輩が自分の存在価値を否定しているのを目の前で見ました。私は心が傷みました。中学時代の自分を見ているような気分でした。私はその後輩に「大丈夫。少なくとも私は大切に思っているよ」と伝えました。すると、その後輩は少しだけ笑顔になり、「Hさんは優しいですね」と言われた覚えがあります。こんなことが言えるようになったのは、私の大きな成長の証だと思います。けれど、時には自分自身に対して「愛されているのか」と今でも不安になることがあります。そして自分の存在価値を昔のように否定してしまうこともあります。けれどそんな時は、みんなからもらった手紙に書かれている「大好きだよ」や「Hは愛されているよ」という言葉を読み返します。「Hはなんで自分にひどいことばっかり言うの?」と泣きながら伝えてくれた友達もいました。私は、仲間と過ごす中で「愛」を知りました。

 「愛とは赦すこと。愛するとは相手を大切に思うこと」と聞いたことがあります。本当にその通りだと思います。私も常にそういう人でありたいと思います。大学でもきっと私のことだから、悩み苦しんだりすることが少なからずあると思います。でも、そんな時にはここでの経験を活かしていきたいです。神様がどんな時でも共にいて、力を貸してくださると信じて、日々歩んでいければと思っています。

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めぐみ館の仲間達と談笑

 

 

☆寮生リレー☆ 〜寮生活を通じて〜

 

「私の寮生活」 O..N(みぎわ館3年・新潟県)

 私の3年間の寮生活が終わります。週末も家に帰らず、ほとんど寮で楽しく過ごしました。それでも寮生活で苦手だったことがあります。それは、消灯前に広い廊下で「10時30分です」とみんなに知らせる当番です。私がその当番をしていたとき、大きな地震が起きました。違う部屋の先輩が「いいよ、いいよ、こういうときはいいよ」と言ってくれて、揺れが収まるまで先輩の部屋にいました。本当に「ほっ」としたことを今でも覚えています。

 寮生活には決められた時間にすることがいくつかありましたが、みんなと一緒に行動したり、みんなに迷惑をかけないようにしたりする行動は、どれも私にとっては自然にできることでした。事務室でテレビを見ていると、いつの間にか集まってみんなで一緒に過ごした時間は、私の寮生活する上で力となりました。みぎわ館のみんな、ありがとう。寮生活の思い出を大切にしながら、ゆっくりと歩んでいきます。

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〜寮務教師の一言〜

「恵みの出会いの中に」 女子寮 小菅 真子

 季節がめぐる。入寮当時のあどけない表情がなつかしい。3年間の歩みを振り返る。

 卒業のこの季節は、旅立ちのうれしさとさみしさとで心の中は複雑だ。仲間と過ごした時間が「かけがえのないものであったこと」「もう一つの家族」と表現する生徒も多い。一人一人が順調ではない時間を歩んできた。だからこそ、心に響くのだと思わされる。ご家族の温かい励ましと支えがあったからこそ今がある。新たな場所での一人ひとりの幸せを祈るばかりだ。

 意欲的に活動する1,2年生。表情にも頼もしさがあふれている。心を尽くし励むことを生徒から日々教えられている。感謝だ。