お知らせ

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2021/12/13

今週の校長の話(2021.12.13)「クリスマスの驚き」

校長 小田中 肇

【聖書:ルカによる福音書 2章8~11節】

その地方で羊飼いたちが野宿しながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは民全体に告げられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」

 

定期テストも終わり、賛美歌発表会の練習が始まりました。昨年はコロナのために、学年ごとにチャペルで発表し、他の学年の合唱は聞くことができませんでした。

今年は全校がチャペルで発表します。他の学年の発表を聞くことができます。特に1年生は、2,3年生の合唱をよく聞いて欲しいと思います。

 

私は毎年、いくつかのクラスの合唱に驚かされます。クラスのそれまでの歩みを感じさせてくれる、そのような合唱に出会うからです。

最優秀賞や金賞をとるクラスの合唱は、歌がうまいというだけではなく、心に響いてくる何かがあります。

 

敬和で、長年、教師をしていると、生徒が作り出してくるものに驚かされることが、しばしばあります。教師が想定している以上のものに、思わず、出会うからです。

これは、教師にとっては大変、嬉しい経験です。その意味で、敬和の先生は恵まれています。

先週、金曜日の英語特講履修者による「原爆展」の発表もそうでした。初めてのチャペルでの発表でしたが、このチャペルだからできることをよく考えて作られた、素晴らしい発表だったと思います。

一人ひとりがよく調べて、時間をかけて準備してきたことが伝わってきました。

これからも敬和は、このような驚きをたくさん経験できる学校であって欲しいと思います。

 

2000年以上前、古代ギリシアの哲学者プラトンは、「哲学は驚きから出発するものでなければならない」と言いました。人間が人間らしく生きるためには、「驚く」という経験を大切しなければいけない、という意味だと思います。

 

例えば、人工知能AIが驚くことはありません。AIにとって想定外のことが起きても、今までのデータからどうすればよいかを計算して答えを出します。多少の混乱はあっても、そこに驚きはありません。

人間以外の動物はどうでしょうか。本当のところは動物になってみなければわからないのですが、動物もパニックになることはあっても、人間が驚くように驚くことはないように思えます。

 

2年前の秋、私は3年生が1年生のとき、グリーンピア津南でのキャンプ修養会に参加しました。天候に恵まれ、3日間晴れていました。

夜、ホテルのお風呂に行くため、外を歩きましたが、星がとてもきれいに輝いていました。天の川まではっきり見えて、満天の星空に言葉を失いました。

津南に行ったのは3回目でしたが、いつも雨が降っていました。ですから、このときの星空は、私にとって思いも寄らない経験でした。

星空に驚くとともに、人間を超えた自然の神秘に向かって、心が開かれていくように感じました。

 

クリスマスの出来事も驚きの経験です。今日の聖書では、野宿をしていた羊飼いのもとに天使が現れ、救い主の誕生を告げる場面を描いています。

天使が近づくと、周りが光に照らされ、明るくなります。恐れる羊飼いたちに天使は告げます。

「恐れるな。わたしは民全体に告げられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」

 

聖書の民イスラエルは、長いこと救い主の誕生を待ち望んできました。皆さんが持っている聖書は、旧約聖書と新約聖書に分かれています。

旧約聖書には、救い主を待ち望む民の歴史が記されています。

書かれた期間も旧約聖書は1000年以上かかっているのに対して、新約聖書は数百年です。

どれだけ長い期間、救い主の誕生が待ち望まれて来たかが分かります。

 

この大事なことが、ある夜、野宿をしていた羊飼いたちに告げられたのです。当時、羊飼いは、貧しく苦しい生活を強いられていました。

「神の子が、お生まれになった」、という大切なお告げが、最初に届けられたのは、このような羊飼いたちだったのです。あまりに突然のことで、彼らは驚き、恐れました。しかし、それは、彼らにとって、これ以上の喜びはないほどの、嬉しいお告げでした。

羊飼いたちは、この天使のお告げを、疑うことなく、希望をもって受け入れました。その後、彼らは、星に導かれて、救い主=イエスを見出します。

 

これは、簡単なようでいて、なかなかできないことです。マタイによる福音書には、神の子の誕生を知らされた、ヘロデ王とエルサレムに住む貴族たちの反応が描かれています。

彼らは、その知らせに、喜びではなく、不安を抱きます。そして、なんと生まれて来る神の子を亡き者とするために、策略を巡らすのです。

彼らは、驚きも喜びも感じません。なぜなら、彼らは、自分たちの権力と富を守ることしか頭にないからです。

 

長年、待ち望んで来た救い主の誕生に対して、このように全く異なる2つの反応があるのはどうしてでしょうか。

一般に人間は、自分の理解を超えたことがらに出会ったとき、まず自分の知っていることの範囲で、そのことを理解しようとします。自分の知っている知識の枠組みに合わせて、理解しようとするのです。

そして、理解できないときは、そのことを受け入れようとしません。その内容を疑い、時には、否定しようとします。

その結果、往々にして真実を見失ってしまうのです。

 

それに対して、羊飼いたちは、真実を見失いませんでした。本当に大切なものを見抜く知恵を彼らは備えていたのです。

人間の理解を超えた、神の神秘に向かって、心が開かれていたのです。だから、主の天使は、王様や貴族にではなく、羊飼いたちに現れたのです。彼らは、驚きと喜びをもって、天使の言葉を受け入れました。

 

私たちも、その恵みをおぼえて、驚きと喜びをもって、クリスマスを待ち望むものでありたいと願います。