お知らせ

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2021/10/11

今週の校長の話(2021.10.11)「イエスの少年時代」

校長 小田中 肇

【聖書:ルカによる福音書2章42-47節】

イエスが12歳になったときも、両親も祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、1日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を探し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。3日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。

 

 

皆さんが、初めて文字を読めるようになったのは何歳のころでしょうか。始めは、ひらがなから覚えたと思います。

私は、あまりに昔のことなので、「いつ」とはっきり言うことはできませんが、小学校に上がる、少し前に、母から、ひらがなの書いてある、積み木で習ったのをおぼえています。

「あ」と「お」や、「め」と「ぬ」の区別がつかなくて、母から、直されたのを、おぼろげにおぼえています。

 

今、当たり前に行っていることも、それを最初にできるようになった時がありました。始めて自分で着替えができるようになった時、始めてお箸を使えるようになったとき、始めて文字を書けるようになった時、数え上げればきりがありません。

その時のことをはっきり記憶している人は少ないと思います。しかし、誰かが、皆さんの傍らにいて、その人に、教わったり、励ましてもらいながら習ったはずです。

そして、その頃は、一つひとつのことを、自分でできるようになるのが、純粋に楽しかったのではないでしょうか。

 

今日の聖書は、イエスの少年時代の出来事を伝えるものです。内容を紹介します。

 

イエスが12歳になったとき、イエスの家族は、親戚の人たちと一緒に祭りに参加するため、エルサレムの都に上ります。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスだけは、エルサレムに残りますが、両親はそれに気づきません。

イエスが道連れの中にいるものと思い、1日分の道のりを行ってしまいます。それから、親類や知人の間を探し回りますが、見つかりません。捜しながらエルサレムに引き返しました。

3日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしているのを見つけます。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いた。このようなお話です。

 

12歳のイエスが、いかに賢い少年であったか、そして、家族から離れて別行動にでるなど、自立への芽生えも感じさせてくれるお話です。

 

この話を読むとき、私は以前、学習塾に勤めていた時に出会った子供たちのことを思い出します。そこは中学受験を目標にした小学校5,6年生を中心にした塾でした。

勤務して2年目に、成績が特によい生徒を集めた、小5のクラスを担当することになりました。そこで私は子供たちの優秀さに驚きました。

11歳から12歳の子供が、方程式を用いずに、算数の難しい応用問題を解いて行きます。問題を解く力もすごいと思いましたが、それ以上に、彼らのもつ素直な明るさ、そして問題を考えるときの、子供とは思えない落ち着いた態度に驚きました。

 

今になって思うと、彼らが見せたのは、人が思春期を迎える前に示す、完成された子供の姿です。子供時代が終わり、青年期を迎える前の一時期、人は、誰でも完成された子供の姿を示します。

その現れ方は、人によって違いますが、誰もが、そういう時期をもつのではないでしょうか。この時期、子供は、透明感あふれる、生き生きとした姿を見せるのです。

世の中のいろいろなことを、子供なりに理解します。時には、大人以上の深い洞察力を示すこともあります。そして未来に対する、明るい予感でいっぱいです。

先ほど紹介した、少年イエスの賢さも、この年齢特有のものに思えます。

 

しかし、残念ながらこのような時期は、長くは続きません。必ず終わりが来ます。精神的にも、肉体的にも、人はいつまでも、子供ではいられないからです。

中学生になると、小学生の頃とは雰囲気が全く変わってしまう子供もいます。

 

それが、今、皆さんが、その真っ只中にいる思春期というものです。もう子供でもなく、しかし、大人ともまだ言えない、子供から大人へと変貌する中間の時期です。

 

そこでは、子供の頃の完成された、明るい透明感はすでに失われています。それは、一度、失われなければならないのです。

大人になるために、もう一度、今度は、実際の経験をとおして学び直さなければならないからです。それは、子供が新しいことを習うことよりも、はるかに、苦しく、厳しいことかもしれません。

 

若者であれば、誰もが乗り越えなければならない試練です。しかし、それは自分ひとりの力で乗り越えられるものではありません。そのくらい大変な試練だからです。

皆さんも、辛いときは、ぜひ、家族や友達、学校の先生や信頼できる大人の人、そういう人たちに頼ってください。昔から、人々はお互いに支え合うことによって、この思春期の苦しい時期、ひとつの危機を乗り越えてきました。

 

そして、この時期をどのように過ごすかが、その人の、その後の人生に大きな影響を与えます。ですから、皆さんが、今、生きている、かけがえのないこの青春の日々を、大切に生きて欲しいと思います。

 

聖書のお話にもどります。イエスが宣教活動を始めたのは30歳頃と言われています。12歳の時に示した、目の覚めるような賢さも、花が散るように、いったんは失われました。

しかしその後、さまざまな経験と学びを重ね、決して失われることのない、本当の智恵と勇気が授けられました。それは神に仕え、愛をもって隣人に仕えるという生き方です。

一度は失われた、子供時代の賢さが、人と神に対する揺るぐことのない「愛」に形を変えて、イエスのもとに戻ってきたのです。その後のイエスの活動は、新約聖書に詳しく伝えられています。

イエスは、神様と人への愛を、十字架における死にいたるまで実践し、人々から、世の救い主と呼ばれます。

その恵みをおぼえて、私たちも今日の一日、そして明日からの定期テストにのぞむ者でありたいと願います。