お知らせ

お知らせ

2021/09/06

今週の校長の話(2021.9.6)「東京パラリンピックに寄せて」

校長 小田中 肇

【聖書:ローマの信徒への手紙 5章3~5節】

「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」

 

昨日、東京パラリンピックが閉会しました。新学期が始まっていたこともあって、試合をテレビで観る時間がありませんでした。しかし、新聞の記事はなるべく読むようにしました。選手の方々、パラリンピックに出場するまでのそれぞれの歩み、その背景に関心があったからです。

なぜ、障がいをもつようになったか、どのような思いでその現実と向き合ってきたのか。新聞には様々な選手のことが紹介されていました。その中の何人かを紹介します。

 

車いすバドミントン女子シングルスで金メダルを取った日本の里見紗季奈さん(23歳)は、高校3年生の2016年5月、車の助手席で交通事故に遭いました。出血はなく、「何で動けないのかわからなかった」と言いますが、脊髄損傷と診断されます。その日のうちに医師から、車いす生活になると告げられました。

毎晩、一人になると、ベッドで泣いたといいます。9か月後に退院。「『障がい者でも頑張っている』みたいな感じが嫌で葛藤した」。人目を避けて行動するほど、ふさぎ込んだ、といいます。

転機は、父親に強引に連れていかれたバドミントンの練習会でした。その後、練習に励みます。

「つらいと思うことはたくさんあったが、バドミントンを続けてきてよかった」試合後、報道陣に答えました。

 

新潟県阿賀野市の山田美幸さん(14歳)。現在、京ヶ瀬中学校の生徒です。50メートル背泳ぎで銀メダルをとりました。

山田さんは生まれつき両腕がありません。小学生の長縄大会では、長縄を回す役目をできず、長い時間、泣き続けたこともあったが、翌週には気持ちを切り替えて笑顔で登校したと言います。

「障がいは個性だと思います。健常者もいろいろなことで悩んでいる。障がいがあるからとか、考えないようにしています。」そのように報道陣におだやかに答えました。

 

目が見えない人の5人制サッカー、フランス代表のアキム・アレズキさん(38歳)。アルジェリアで生まれ、高校生だった2001年に反政府デモに参加しました。そのとき政府軍の撃った銃弾が頭に当たります。フランスの病院に移送され、何とか一命を取り留めたものの視神経の損傷で失明します。

現実を受け入れるのは難しかったが、3年後に通い始めた、パリの視覚障がい者学校で転機が訪れます。

「音楽とサッカーに出会い、立ち直るきっかけになった」。

ギターを弾き、作曲に挑戦。ピアノの調律に興味を持ち、「この仕事に携わりたい」と思い、資格を取得。現在、ピアノの調律師を本職とする。

5人制サッカーに出会ったのも、学校でのこと。昔から好きだったサッカーを、ボールが転がるときに出る音や指示の声を頼りにプレーできるのは新鮮だった、と言います。

 

今、3人の選手を紹介しました。それぞれの方には、それぞれの歩み、歴史があることがわかります。どれも尊敬に値するものです。しかし、彼らは特別な存在ではありません。すべてのアスリートにそれぞれの物語があります。

また3人の歩みからも分かるように、障がいは、誰にでも起きうることです。ですから、障がい者を差別したり、偏見をもつことは絶対にいけない。

むしろ、彼らの生き方から、私たちは何か大切なものを学ばなければいけないと思います。

 

もう一人紹介します。アフリカ、ザンビアの女子陸上選手モニカ・ムンガさん(22歳)です。生まれつき髪や肌の色素が薄い遺伝子疾患「アルビノ」で、視覚障害があります。

アフリカは黒人の多い国ですが、生まれつき肌の白い「アルビノ」の人は、ひどい差別を受けてきました。アルビノの体の一部を手にいれると幸運になれるという迷信があり、今もアフリカではアルビノの人の身体を切断して、高値で売買する人がいるというのです。

信じられないような話です。国連人権高等弁務官事務所の報告書によると、2006~19年の13年間に、アフリカ28か国で208名が殺害され、585人が襲撃されたといいます。その多くが女性や子供です。

ムンガさんも4歳のころ、親戚のおばさんに注射器で血を抜かれたことがあるといいます。そして周囲から「人間じゃない」などと言われ差別を受けてきました。

「もうこれ以上、殺される人が出て欲しくない。走ることが、偏見や差別をなくすキャンペーンになれば」と気持ちを奮い立たせ、練習を続けたといいます。

ムンガさんが、苦しい経験をしながらも、強い使命感をもって、このパラリンピックに出場したことが伝わってきます。

 

今日の聖書は、パウロがローマの信徒に宛てて書いた手紙の一節です。

「わたしたちは苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」

苦難とは心身に受ける苦しみのことです。この言葉はパラリンピックの選手たちの姿と重なります。パウロ自身、何らかの障がいを身に負っていたという説もあります。

 

ではパウロはなぜ、「自分は苦難を誇りとする」と言うことができたのでしょうか。この箇所の前後を読めば分かるのですが、それはパウロが、神様の愛を確信していたからです。

パウロの行動は、すべて神の愛によって支えられています。イエス・キリストの十字架の死において、神の愛が、余すところなく示された。

だから、人間が経験するどのような苦難も必ず希望に変えられる、なぜならそこには神の愛があるから。パウロはそのように確信しました。そして次のように続けます。

「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」

 

世界中から参加した、アスリート一人一人の背後には、彼らを支える多くの人々の働きがありました。家族をはじめ多くの人たちの愛に支えられて、彼らはパラリンピックの競技会場に立ったのです。

私たちも、その恵みを覚えて、今日の一日、互いに愛をもって支えあう者でありたいと願います。