入試情報

中学生の保護者のみなさんへ

親の役割、学校の使命

05_06-1「自分探し」「自己肯定感」という言葉が日常的に使われるようになって15年ほどになります。
ただ誤解や狭い理解から否定的に受けとめられることがあります。
「自分探しさせることが、自己肯定感を持たせることが、子どもを余計に甘えさせることになる。世の中を甘く見るようになって、努力しなくなるし、向上心も失うことになる」などの意見があります。
しかし、自分探しをすることや自己肯定感を持つことは一人ひとりの人間的成長には欠かせないのです。
物事の見方や価値観一つではありません。
自分を受け入れることや違いを持った他の存在を受け入れるためには多様であることが求められます。
それらが欠けていると生きにくくて仕方がありません。
そういう意味で今の日本は子どもたちが大変生きにくくなっています。
求められるのが親の役割であり学校の使命です。
子どもたちが多様な価値観と自己肯定感を持てるようになるためには、そのための場所と時間を確保する必要があります。
学校は本来生きる上でさまざまな価値観があっていい、多様であることが豊かさにつながること、それが他者を受け入れ自分を受け入れる力になることを、時間をかけて学ぶ場所です。
ところが実際はそうなっていません。
子どもたちの置かれている状況を表す文章があります。
「今の子どもの不幸は 勉強しかさせてもらえないこと、
成績でしか存在を認めてもらえないこと、
ゲームをさせてもらえるのも、勉強をさせるための道具だから
すべてが勉強に収れんされていくこと、
それが今の子どもの不幸です」。

イエス・キリストと弟子のペトロ

05_06-2子どもたちは必ず成長していきます。
そのため環境を整えることが学校の使命です。
敬和学園はキリスト教が本質的に持っている価値観、人間観を大切しています。
キリスト教の価値観、人間観とは、それぞれが持っている違いは大切にされるべきものであり、自分存在を大切にすることが他の人を大切にすることになるということです。大切にするイコール愛する、です。
こうした考え方を代表するのが、イエス・キリストと弟子たちの関係です。
一番弟子のペトロが、イエス・キリストがイスカリオテのユダの裏切りによってユダヤ当局に捕まって連行されて行く時のことです。
ペトロは心配そうに見ていたのですが、周りにいた人から「あなたもイエスの仲間だろう」と言われるとすぐに否定してしまいます。
彼はその数日前にイエス・キリストに「たとえ火の中水の中、私はどこまでもあなたについて行きます」と胸を張っていたにもかかわらずです。
ペトロは人間的弱さをさらけ出します。
いざとなったら大切な人さえ裏切る信頼できない人間といえます。
そのペトロに連行されていく際にすれ違ったイエス・キリストがとった態度がルカによる福音書22章61節、62節に書かれています。
05_06-3「主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは「今日鶏が鳴く前に、あなたは3度わたしを知らないだろうと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた」。
ふつうなら「お前は何て信頼できない人間なんだ、どうしようもない情けない奴だ」となるのですが、イエス・キリストはペトロをじっと見つめたというのです。
その目は批判ではなく赦しのまなざしでした。
この期に及んでもなお信頼していると無言で語りかけたのです。
それがわかってペトロは激しく泣きました。
この出来事をきっかけにペトロの生き方が変わります。
内面的な成長とそれを行動に表すことのできる人間へと成長していきます。
ペトロが持っていた人間的素晴らしさが、イエス・キリストの弱さを大切にする姿勢によって引き出されることになったのです。
そこに敬和学園の子どもたちを受けとめる際の原点であり出発点があります。
ただし存在をゆるすことと、行動をゆるすことは違います。
存在をゆるし守るために、逆にその行為をゆるさない、受け入れないことがあります。
特に他者の存在を傷つけるような行為には徹底的に厳しい態度を持って臨むことになります。
それがあって初めて、子どもたちは学校を信頼し自分の内側に持っているものを外に出すことができるようになります。
イエス・キリストは弟子たちをとことん信頼しました。
信頼するとは待つことでもあるのです。
敬和学園の教育は待つことから始まります。

学力をドュナミスとエネルゲイアで考える

05_06-4敬和学園は高校ですから、当然子どもたちが学力をつけることに全力を注いでいます。
一般的には学力をテストの点数、成績です。数字などで表します。
ギリシャ語で力を表す言葉は2つあります。
1つはドュナミスでもう1つはエネルゲイアです。
ドュナミスはダイナマイトの語源になった言葉で、内側に蓄える力のことです。エネルゲイアはエネルギーの語源で外に働く力、外に出ていく力を表します。同じ「力」でも二つには大きな違いがあります。
ドゥミナスがあるかないかは量で決まりますから、多くの学校はできるだけ量を詰め込むために学習時間を増やそうとします。
学校ではドュナミスが評価されますが、社会に出るとエネルゲイアが大切にされます。
自分の持っている力を隣人や社会のために、使うことができる人が評価されるのです。
持っている力を隣人や社会のために使うことを「貢献する」といいます。
敬和学園は、ドゥミナスをエネルゲイアにできる人を育てようとしてきました。
ドゥミナスをエネルゲイアに変えるためには何が必要でしょうか。
それは「心」です。
心が最もふさわしい形でふさわしい方向へと働くことです。
ドュナミスが心の働きと方向性によってエネルゲイアになるのです。
ですから、敬和学園は心の教育、つまりキリスト教による価値観と人間教育をおこなってきたのです。
子どもたちには敬和学園でドゥミナス(蓄積した力知識)を、心を動かしてエネルゲイア(他者と世の中のための力にする)ことが楽しく喜びにあふれたものであるかをぜひ体験してもらいたいと考えています。