自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2020/12/07
聖書はイスラエル・ユダヤ民族の歴史と信仰についての書物です。
イスラエル(ユダヤ)はその長い歴史の中で、いつもいつも周辺列強国の支配下にあり、独立王国であったことはほとんどありません。
ダビデとその子どもソロモンの時代(紀元前1000~967年)とハスモン王朝(紀元前134~63年)の二つの王朝だけなのです。
イスラエル民族の長い歴史の中では、民族が苦難に遭遇すると、イスラエル王国の繁栄の頂点であったダビデ王の血を引く新しい王、他民族の支配から救い出してくれる王の出現を期待する、民族の願望、つまりメシアを待望する風潮がしばしば現れました。
イスラエル民族(ユダヤ人)は純潔思想を持っていたので、他の民族と交流することも自分たちが「汚れる」と考えていました。
自分たちは神から選ばれた特別な民族だとも考えていました(選民思想)。
神様に選ばれた特別な私たちを神様は放ってはおかれない。
いつか必ず救い主が神様から遣わされる日が来る。その日を信じて待ち望んできたのです。
紀元前63年、ローマ帝国の将軍ポンペイウスがエルサレムを占領し、約80年続いていたユダヤ人のハスモン朝の支配が終わると、ダビデ王の子孫からメシア(救い主)が出現し、イスラエル王国の繁栄を回復するというメシア待望論がさらに急速に広がっていきます。
ですからイエスが生まれる頃には、ダビデ王の子孫から約束されたメシアがいつ出現するのかということが、ローマ帝国の支配に苦しむユダヤ人たちの共通する期待と祈りになっていたのです。そしてそのような期待の中で、イエスが誕生したのです。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか?」 この質問をした人は東方から来た占星術の学者でした。
「博士」あるいは「賢者」とも訳されます。
古代社会では天文学や占星術は王の素養であり、祭司職の条件でもありました。
イスラエルから見て東の国の王様、または祭司が訪ねてきたと読み取ることができます。研究者によってはゾロアスター教の神官ではないかとの説もあります。
今朝、読んでいただいた場面を想像してみてください。
あれほど待ち望んでいた救い主の誕生を、自分たちが馬鹿にし、さげすんでいた他民族から知らされるのです。
ヘロデ王は慌てて祭司長たちや律法学者たちに調べさせます。
そしてミカという預言者がユダヤ地方のベツレヘムという村で救い主が生まれると預言していたことを突き止めたのです。
私たちは今日二つのことを学びたいと思います。
ひとつ目
自分にとって必要な事柄についての情報はこまめにアップデートしておく。自ら備えておくということです。
あれほど待ち望んでいた救い主の到来についての資料をこの時代の祭司長や律法学者たちはしまい込んでいたようです。
確認しながら、確かめながら、解釈を重ねながら、準備していくことの大切さを学びます。
ふたつ目
最も必要で重要な知らせは、聞きたい人からもたらされるとは限らないということです。
ユダヤの人々は自分たちが馬鹿にし、さげすんでいた人々から、劣っていると教えられた人々から、他民族・他宗教のリーダーから、最も大切な知らせを受けました。
面目も誇りも打ち砕かれたことでしょう。
神様は時々こういうことをなさいます。
苦手な相手や口うるさくていやだなあと思う相手を通して神様からのメッセージが語られることがあるのです。
そのメッセージを受け止める準備を私たちはしているでしょうか。
聞きたい人からの聞きたい情報だけをきいてしまう。
私たちは聞きたいことだけを聞くという性質を持っています。
聞きたいこと以外は聞こうと努力しなければ聞くことができないのです。
耳が痛いことでもあなたの成長に必要なことが多くあることでしょう。
気に入らない相手からそれがもたらされることもあるかもしれません。
アドベント(待降節)はクリスマスの準備をする期間です。
飾りつけやプレゼントの用意も大切ですが、最も大切なことは神様はイエス様を私たちにくださったことの意味を「聞く」ことです。
あなたの周りの誰かを通して語られる神様からのメッセージを聞く備えを整えるアドベントといたしましょう。
神様は思いもかけないやり方で呼びかけてくださいます。